オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

東北大震災からコロナ、人類の恥

2021-03-12 10:32:28 | 銀座の周旋屋

 

 東北大震災から10年になる。

 あのとき大船渡市で下宿していたひとりの大学院生が、被害にあったのに下宿と言う線引きだけで支援を受けられないでいるという話をお母さんから聞き・・・それはおかしい!!・・・と、以前に中央区議をやっていた仲の良かった同世代のおっさんに連絡をして、たまたま衆議院議員の政策秘書をやっておったので国会議事堂見学も兼ねて会いに行き・・・なんとかせいや!!・・・で、すぐに大船渡市長が動いてくれたことがあった。

 たくさんの苦学していた学生が助かった。

 この国は偏差値競争ばかりに走って、こと学問や研究を舐めくさっておるから、世界でもどんどん遅れた猿の国になって行ってる。

 その5年後に、俺は死にかかって、身体に障害を負って、また生まれ変わった。

 その間にも、いろんなことがあった。

 ただの周旋屋なのに、社会のいろんなことに首を突っ込んで来てるから、こういうことは普通の日常のこと。

 キレイごとの10年を報道してる深刻顔の大メディアに、眉間に皺を寄せて覗き見している善良なる庶民の皆様方、それぞれが個人として、ナニか現実生活で実際に東北の人たちに関わったのか? 

 素敵な感動話で暇つぶしか??

 遠目に眺めて、ただの自慰で満足か?

 原爆が投下された後の広島の街で生まれた俺には、慰霊式だとか、慰霊碑だとか、記念日と言う名の大勢の変態が集う後悔ゴッコなど、ガキの頃から興味がなかった。

 後悔しない生き方とは、今、自分にできることを即断即決してすぐにやって行くことだ。

 そこで金儲けをするとかはいっさい無く、すべて自腹を切ってやることだ。

 他には、ナニも無い。

 自作自演、自画自賛、自意識過剰な言葉遊びは、行動を起こしてからの暇な時間にやればエエ。

 俺はそう生きて来た。

 独りに出来ることは限られている、ただ大勢で金をかけてやれば嘘ばかり、ひとりひとりは虫けらのように扱われてる、だから俺はいつも独りで両手を拡げた範囲のいろんなことを続けて来たが、それも半世紀を超えて来ると相当な人たちに関わり合ってしまってる。

 ひとつ終われば、乾杯・拍手に慰労会ではなくって、すぐに黙って次へと向かってる。

 皆がそうすれば、国も豊かな国になるが、なかなかね、難しいだろうね。

 言葉にして、声をあげて、大メディアが取り上げない現実は、みな知らん顔、ガキの頃から見飽きてる。

 感動話を作るには、まず無くても良い悲劇を創造しなければならない。

 苦難から立ち直ったヒーローを作るには、まず無くても良い自作自演な苦難を創造しなければならない。

 その無駄の繰り返しが、愚かな人間社会の歴史というものだ。

 司馬遼太郎やらナニやらの英雄作りの嘘は、そんなことを応援してるようでもある。

 スターも、英雄も、勲章も、な~んもいらない世の中社会になって欲しい。

 屁が出てアクビが出るでよ。

 

 地球や宇宙の法則で、われわれ人類は生きて居る。

 人類の法則で、宇宙や地球をコントロールして、それで生きて居る訳ではない。

 地表の薄い部分だけを間借りして、人類は生きて居るというのに、自然破壊だの、温暖化だの、放射能だの、細菌だのと喧しい。

 そんな力を人類が持ってるとでも本気で思っているとしたら、すでにオツムは末期症状だろう。

 あくまでも人類の側の、人類だけの、人類同士の、都合の良い作り話さ。

 

 もっと大人たちが、しっかりと生きて見せてやってないと、子供や若者たちは未来が築けないだろうよ。

 みな自分のことだけ、自分が救われることだけ、あとは酒を飲んで時間潰し、くだらない生の時間を生きて居る。

 猿に自慰を教えると、死ぬまでやってるとは言うが、猿はそこまで馬鹿ではなくって、現代人が馬鹿ということだ。

 愚かな乳繰り合ってる幼児、そんだけのこと。

 昨年から続く嘘くさいコロナへの対応、日本人の9割9分が、間抜けな貴方任せ、自分のオツムで判断できない姿を見ていると、もう今後のお付き合いも考えてしまう、そういう笑い話にしかなってない。

 馬脚を現わしてる大人社会、恥ずかしくないのだろうか?

 そこのアンタのことだ。

 

 コロナ変異型で今度は大騒ぎだ。

 大笑いな、大メディア群を使った国民煽動型詐欺とも言う。

 日本並みに洗脳されてる国々を変異型の発祥地にして、深刻さを強調してる。

 ずっとやってなさい。

 俺は無視して自分の生を生きる。

 

 酷かった眩暈が、いよいよ良くなってきた。

 昨日の再検査でも、薬は一日1回になり、あとは俺が判断して止めれば良いという状況だと思ってる。

 雪山に登り、見晴らしの無い山に登り、ずっと安静にせずにハードに仕事や日常も過ごしておったが、大丈夫。

 昨夜から、3週間ぶりにバイクにも乗り始めた。

 そんなことさ。

 自分の身体の判断は、医者ではなく、俺が下すのが当たり前のことだ。

 医者も国家も、俺が生きて行く邪魔をするものならば、それは嘘、そういうことになってる。

 さ、またまた遠慮なく動き回るべよ。