コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

義父と戦争

2006-02-08 09:19:30 | Weblog
陸軍の通信部隊に配属され、
少尉だったそうです。

『新兵で最初は2等兵なんだけど、上に成るにはテストだから勉強さえすれば誰でも位が上に成れる』と話していました。

学生時代の通信簿を見せて貰いましたが、
殆んど全部「甲」でした。

出兵の時、近所の友達を呼び、
『今日出兵だけど俺は夜には帰ってくるから、夜一緒に銭湯に行こう』と言ったそうです。
そうしましたら、何時もの行動を知っている友達が、
『Kちゃん、お風呂行こう』と呼びに来たそうで、
『Kは今日出兵して戦争に行ったから、家には居ないよ』と、
お祖母さんが答えたと、大笑いしていました。
『馬鹿な奴だよね~、幾ら俺でも出兵したら帰れない事位分かりそうなものを』と続く。

何時もの普通ではない行動を、
知っている友達だからこそ来たのだと思います・・・

戦争では中国に渡り、
ソビエト軍の捕虜になり、シベリアに送られたそうです。
『汽車から見る、
地平線に沈む夕日の大きさと綺麗さは忘れられない』と、
言っていました。

同じ捕虜でも通訳に成れたそうで、
持ち前の機転の良さのお陰でしょう。

毎日が重労働でバタバタと仲間達が倒れていったそうです・・・
人間、極限状態になると、最後は気力、体力勝負なのでしょうね。

『毎日朝から夜まで同じ事をさせられる、その度にあいつ等、同じ事を言っている。繰り返し同じ言葉を聴いていれば、何を言っているか分かるようになる。汽車から降りろ、木を切れ、運べ、など、だから覚えられたんだ。分からなくても分かった振りをして適当に誤魔化し、覚えれば良いのさ』と、話していました。

捕虜全員が同じ条件ですから、頭の回転の速さが勝負を決めるんですね。


妻達家族が根津からひばりヶ丘に越し、
たまに散歩に出掛けた平林寺。
ここで幽霊が写真に写っていました。