コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

義父の戦争体験

2006-02-09 10:51:02 | Weblog
『ロシア人達は、動物を解体して食べるのに、内蔵を食べて肉は余り食べないんだよ、だからたまには、肉を貰って食べる事が出来た。万年筆を黒パンに変えたり、珍しい物を探してきては食べ物と交換して生きてきた。食べられれば、それで嬉しいね、食べ物には文句を言わないけれど、山芋はジンマシンが出来るから駄目だね。昔付き合った女が山芋を出したから、俺と別れたいのか?と言い分かれた』などと家族の前で笑いながら平気で話していました。

『捕虜収容所では、1つのベッドに3人が寝るんだけど、両端の2人は死んで真ん中は生き残れるんだよ、ノミやシラミがこちらに移ってくるから分かるんだ。虫は人が死ぬのが分かるんだね~』と話していました。

戦争から帰って来たのは、昭和22年の初め頃だと思います。
『K、只今戻りました!』と最敬礼したそうです。
もう死んでしまったと思っていた息子が帰って来たのですから、両親は大喜びだったに違いありません。
それと、これから結婚する義母もです。

着ていた毛皮の帽子やコートには、
ノミやシラミが蠢いていてお祖母さんが煮沸消毒したそうです。
このシベリア抑留のせいで、
両足の爪先が冬になると痛むと言っていました、凍傷になってしまったようです。

国から出た保障は、10万円と銀杯だったそうです。
半年短くて軍人恩給は貰えなかったそうですが、
半年長ければ命が無かったかも分かりませんので、
早く帰れて良かったと思います。


白く見える埃のようですが、
2月5日に舞った風花です。
丁度夕日と重なりました。