2011年3月14日、福島第一原発3号機が爆発する姿がテレビに映し出された。その直後から、宮城県丸森町の役場に、町民からの電話が殺到した。

 「逃げずにいて大丈夫なのか」

 「町として何かしなくていいのか」――

 だが、町に放射能の測定機器がない。知識がある職員もいない。きちんとした回答ができなかった。

 町長の保科郷雄(ほしなくにお)(64)が振り返る。

 「町は何もしていないと、職員を無能呼ばわりする電話もたくさんかかって来ました。何日間も、電話が終日鳴り響いていました」

 保科は困り果て、町内で放射線量を測ってくれるよう県に繰り返し申し入れた。

 「とにかく、丸森の放射線量を測ってください!」

 町は14日から連日、県の原子力安全対策課に訴えた。一日に何度も電話した。

 しかし県の担当者は、測定機器が津波で流失してしまったと答えた。

 「両隣の白石市と山元町の平均値で線量を考えてください」

 やりとりの中で「県としては福島の原発事故の対応はしません」といわれたこともある。

 保科はいう。

 「県から『毎時何マイクロシーベルトに達したら逃げなさい』といった指示のたぐいは一切なかった。宮城にだって女川原発があるのに、災害時の行動基準はなかったのですかね」

 この点も知事の村井嘉浩(53)に取材を求めた。文書回答がきた。

 「県内の放射線量の測定状況を毎日確認した。収集した情報は、全県的に情報提供していた」

 これによって県として必要な対応は取っていた、との内容だ。

 また、「当時の国の防災指針に定める屋内退避基準と比較して(測定結果は)十分低いことから、WEBページで『健康に影響を与えるレベルではありません』と記載した」との回答もある。

 WEBページとは県のホームページのことだ。3月14日の初回測定からこの記載がある。

 結局、丸森町は3月22日の広報紙に、県の見解をそのまま載せた。

 保科はいう。

 「住民に何かいわなければならない。でもデータがない。苦しまぎれの対応でした」

 「影響がないという根拠が何か、県には問い合わせなかった。それはこちらの落ち度でした」

 (岩堀滋)