異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

「特定秘密保護法施行を前にしての声明」特定秘密保護法に反対する牧師の会/12/9記者会見

2014-12-10 18:47:14 | シェアー

http://anti-secret-law-pastors.blogspot.jp/2014/12/blog-post_10.htmlより転載

 2014年12月10日水曜日

「特定秘密保護法施行を前にしての声明」

 
12月9日に発した声明を紹介します。

「特定秘密保護法施行を前にしての声明」

2014年12月9日
 「特定秘密保護法に反対する牧師の会」
共同代表 朝岡勝 安海和宣
 呼びかけ人一同


 昨年12月6日、特定秘密保護法は稚拙な法案審議と強行スケジュールによって成立しました。
それから一年が経ち、明日12月10日に施行されようとしています。この間、多くの国民の不安や反対の声、国の内外からの重大な懸念の声が寄せられていたにもかかわらず、政府は主権者たる国民の声に謙虚に耳を傾けることなく、むしろ法施行に向けての準備を着々と進めて来ました。
これらの経過によって私たちの不安や懸念は払拭されるどころか、ますます同法施行後の社会に対する深刻な憂いを抱かざるを得ない状況になっています。ここにあらためて私たち「特定秘密保護法に反対する牧師の会」は同法の施行に反対し、速やかに廃止されることを求めます。
 そもそも同法が国会で審議され始めた当初から、これが今の政権が「積極的平和主義」の名の下に推し進める「戦争ができる国造り」の流れの中にあることが繰り返し指摘されて来ました。事実、今年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定によって、このことは一層明らかになっています。
今回突如として衆議院解散と総選挙となりました。政権与党は経済問題を前面に押し出して、特定秘密保護法や集団的自衛権行使などの重大な論点を選挙の争点から隠そうと躍起になっており、そのどさくさの中で同法は明日の施行を迎えようとしています。
 私たちは今回の選挙が明らかにこの二年間の政権の価値観、国家観を問うものであることを覚えます。
そして立憲主義、基本的人権、思想・信条・良心の自由など民主主義社会に不可欠な理念、憲法前文及び第9条に記された平和主義、聖書が示す正義と公義、平和と和解が大切にされ、小さくされた者たちの声が押しつぶされることのない社会のために、これからも声を挙げ続けてまいります。
 かつての戦争の時代、国家によって声を封じられ、自由を奪われた人々があったことを私たちは忘れません。そのような時代に少数ではあっても屈することなく抵抗を続けた人々があったことを私たちは記憶します。
そして抵抗の時代を迎えている今、信仰と良心に基づく生き方を主体的に選び取っていくことをここに言い表すものです。


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http://jpnews.org/pc/modules/mysection/item.php?itemid=1012より転載

政治/特定秘密保護法施行前日 牧師の会が記者会見

投稿者: Staff 掲載日: 2014-12-10 (215 回閲覧)
政治/特定秘密保護法施行前日 牧師の会が記者会見
 特定秘密保護法が12月10日、施行された。それに先立ち9日、「特定秘密保護法に反対する牧師の会(以下・牧師の会)」(共同代表/朝岡勝、安海和宣)は、東京・千代田区神田駿河台のお茶の水クリスチャン・センターで記者会見を開き、「施行を前にしての声明」を発表。冒頭で同会発足の経緯を安海氏(東京めぐみ教会牧師)が説明。続いて朝岡氏(同盟基督・徳丸町キリスト教会牧師)と、呼びかけ人の川上直哉(日基教団正教師、東北ヘルプ事務局長)、城倉啓(バプ連盟・泉バプテスト教会牧師)、杉浦紀明(ホーリネス・川越高階キリスト教会牧師)、星出卓也(長老教会・西武柳沢キリスト教会牧師)の各氏が発言した。
 声明では、「同法が成立してからの1年間、多くの国民の不安や反対の声、国の内外からの重大な懸念の声が寄せられていたにもかかわらず、政府は主権者たる国民の声に謙虚に耳を傾けることなく、むしろ法施行に向けての準備を着々と進めてきた。私たちの不安の懸念や払拭されるどころか、ますます同法施行後の社会に対する深刻な憂いを抱かざるを得ない」とし、同法の施行に反対し、速やかに廃止されることを求めた。(中田 朗)

写真右=記者会見で。右から共同代表の安海、朝岡両氏と、呼びかけ人の川上、城倉、杉浦、星出各氏。





日本弁護士連合会 【改めて秘密保護法の廃止を求める会長声明】

2014-12-10 12:09:13 | 紹介

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2014/141210.htmlより転載

 

改めて秘密保護法の廃止を求める会長声明

本日、特定秘密の保護に関する法律が施行された。

 

当連合会は、本法律に対して、国民の知る権利を侵害し国民主権を形骸化するものであるとして、法案段階から再三にわたって反対の意見を表明してきた。その理由は、国が扱う情報は、本来国民の財産として国民に公表・公開されるべきものであるにもかかわらず、本法律は、行政機関が秘密指定できる情報の範囲が広範かつ曖昧であり、第三者のチェックができず、チェックしようとする国民、国会議員、報道関係者等を重罰規定によって牽制する結果、主権者国民が正しい意思決定を行うために必要な情報にアクセスできなくなるからである。

 

2014年7月26日に国際人権(自由権)規約委員会が日本政府に対して出した本法律に関する勧告意見においても、同様の懸念が表明されているところであり、その施行令や「特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し統一的な運用を図るための基準」等を考慮しても、これらの懸念は、何ら払しょくされていない。しかも、2013年12月の本法律制定過程においても、主権者に対する十分な説明は存在せず、国民的な議論が尽くされたとは到底言えないのであり、民主主義国家における主権者の信任を得たものとはおよそ評価できない。

 

したがって、まずは本法律を廃止し、制度の必要性や内容について、改めて一から国民的な議論を行うべきである。

 

当連合会は、政府に対し、改めて本法律の廃止を強く求め、引き続き本法律の廃止のための活動を行っていく所存である。

 

加えて、国民主権の確立のために不可欠な情報公開制度・公文書管理制度の改正、ツワネ原則に則した、国民の知る権利及びプライバシーの保護の規定を明文化する立法の実現に尽力するとともに、本法律が施行された後も濫用されないよう監視し続けることを表明する。

 

  2014年(平成26年)12月10日

  日本弁護士連合会
  会長 村 越  進



【重要】総選挙2014:首相が「どの論点を避けているか」にも目を向けてみる

2014-12-10 11:51:47 | シェアー

ポリタスhttp://politas.jp/articles/240より転載

山崎雅弘
戦史/紛争史研究家

【総選挙2014】首相が「どの論点を避けているか」にも目を向けてみる

 2014年12月9日


Photo by Chatham HouseCC BY 2.0

2014年の衆議院議員選挙は、決定権を握る首相が(形式上は唐突に)「解散総選挙」を選択した真意が判然としないこともあり、メディアの側も選挙報道の軸となる「争点」を明確に絞り込めていないように見えます。

私は、既に「争点」として論じられている個別の問題よりも、むしろ「現政権が最終的にこの『国』をどんな形へと作り替えることを目指しているか」を重視して、一有権者としての「総合的評価」を行うつもりでいます。その分析評価においては、第二次安倍政権が経済政策や安全保障政策などの諸問題の決定過程において国民に見せた姿勢や説明内容に加えて、同政権の発足から二年間における日本国内の社会的様相の変化と、同政権が記者会見等で質問されても論点化するのを避けて「一切触れようとしない」問題は何なのかという点にも目を向けて、判断の材料としています。

1点目の「諸問題」については、既に多くの方が論じておられるので、ここでは2点目の「同政権の発足から2年間における日本国内の社会的様相の変化」と、3点目の「政権が論点化するのを一貫して避け続ける問題」について、私なりの認識を述べてみます。


日本の社会は、第二次安倍政権下でどう変化したか

人が歴史を学ぶ意義の一つは、過去と現在と未来が「途切れずに連続している」という「感覚」を、思考の底流に形作ることだと思います。現在目の前にある様々な問題は、いきなり目の前に出現したのではなく、ほとんどの場合、少しずつ視野の中で拡大してきたはずですが、大抵は「はっきりわかるほど大きくなる」または「深刻化する」まで、その変化には気付かずに見過ごしてしまいます。

それと同様に、社会全体の重要な変化も、唐突に激変するのではなく、漫然と日々を過ごしていると全然気付かないくらいの緩いスピードで、少しずつ進んでいきます。20世紀における、あるいは人類史で最悪の政治体制の一つとすら評価されているナチス・ドイツの非人道的な独裁も、日本の現副総理が内輪の講演で「あの手口に学ぶ」と述べたように、多くの国民がその重大さに気付かない程度の遅さで、じわじわと形成されていきました。


Photo by Daikrieg el JeviCC BY 2.0

こうした変化に「気付く」ためには、長い時間をかけて録画した映像を早廻しで一気に観るのと同じように、過去数年間の社会の動きを回顧し、何がどんな風に変わったのかを定期的に確かめる必要があります。植物の成長も、毎日水をやっていても変化を「変化」だと気付きにくいですが、録画の早廻しで観ると生育の具合がよくわかります。

それでは、第二次安倍政権が発足してから、日本国内がどのように変化したのか。以下は私の主観ですが、発足前と較べて「変わったな」と思う点をリストアップしてみます。

人種差別や民族差別など、偏見と差別を堂々と主張する攻撃的・排外的な言説(いわゆるヘイトスピーチ)が増え、ネット上だけでなく路上でも公然と叫ばれるようになった

特定の国を名指しして国民や慣習を貶め、その国の前途が悲観的・絶望的であるかのように描いた本が数多く出版され、書店の目立つ場所に並ぶようになった。

「日本」や「日本人」を礼賛する本やテレビ番組が急激に増加した。

政治家が、19458月(敗戦)以前の「女性観」に基づく役割分担への回帰を、公然と語るようになった。

国境なき記者団」が発表する「言論の自由度ランキング」で、日本は再び50位以下に転落した(50位以下は過去3回、2006年2013年2014年でいずれも安倍政権)。

公共放送の会長や経営委員など、現政権との親密な関係で社会的な優位に立つ側の人間が、傲慢な態度を隠さなくなった暴言を吐いても地位を失わなくなった

公共放送のニュース番組が、首相や政府に対する批判的内容を一切報じなくなり、逆に首相や閣僚のコメントはたっぷりと時間をとって丁寧に報じるようになった。

大手新聞社や在京テレビ局のトップが、首相と頻繁に会食するようになった 。大手芸能事務所の社長やプロデューサー、大手出版社の社長も、首相と親密な関係を結び始めた。

「国益 」「売国 」という言葉が大手メディアや週刊誌で頻繁に使われるようになった。

政府に批判的な人間への威圧・恫喝・見せしめのような出来事が増えた。

首相が国会で名指しして批判した新聞社の関連人物を雇用する大学に対し、無差別殺人を予告する脅迫が行われたが、首相も国家公安委員長もこの脅迫行為を非難しなかった。

ヘイトスピーチを行う団体の幹部と現職閣僚一人は本来そのような団体を取り締まる立場の国家公安委員長)が、政治思想面で共感し合っていることを示す団体機関紙記事記念写真などがいくつもネット上に流出した。

天下りや家賃が優遇される官舎など、民主党政権時代には頻繁に行われていた、官僚の特権的境遇や税金の無駄遣いに関する大手メディアの批判的報道がパッタリと止んだ。

首相と現職閣僚の靖国神社参拝慰安婦問題の矮小化などによる、近隣諸国との軋轢増大海外メディアからの批判は、ここでは「国外の問題」として除外しましたが、上に列挙したような国内の変化のほとんどは、首相自身や閣僚、および彼ら・彼女らと親密な関係を持つ作家や評論家、政治活動家が直接的に関わって生じているものだと言えます。

撮影:初沢亜利

先に述べたように、歴史の文脈で見れば、社会の変化は継続します。こうした変化が、私の抱いている印象の通り、この2年間で「増えている」としたら、現在の政権が続く限り、今後もさらに増え続ける可能性が高いと思われます。実際、現政権は、諸外国では犯罪として法規制の対象となっている「ヘイトスピーチ」にすら、積極的な抑制的対応をとろうとしていません。与党への投票は、こうした「変化の方向性」への「是認」を意味します


首相が一切触れない問題は何か

首相は解散後に行った党首討論会において、先の戦争(第二次世界大戦または太平洋戦争、当時の日本側呼称では大東亜戦争)における日本国内での責任の所在はどこにあると思うかと質問された時、返答をはぐらかして誤魔化し、論点化することを避けました

もしドイツで、首相や大統領が同じ質問を受けた時、ヒトラーやナチスの責任に一切触れず、「さまざまな論文が書かれているので、政治家はそれらを謙虚に読んで学ばなければならない」等の漠然とした一般論に逃げたとしたら、ドイツ国内はもとより周辺諸国からも猛烈な批判に晒されて、即刻地位を失うでしょう。しかし日本では、現職の首相が、先の戦争での自国の責任の所在を問われて上のような一般論の言葉で逃げ、当時の政治家の責任を一切認めなくても、全く問題視されず、首相としての地位を失うこともありません

公的な場面で何度も「先の戦争の反省に立って」と口にする首相が、実は「戦争の責任が誰にあるのか」つまり全体の構図を何も認識していない

これは、どう考えても異様な状況です。公的な場面で何度も「先の戦争の反省に立って」と口にする首相が、実は「戦争の責任が誰にあるのか」つまり全体の構図を何も認識していないことになります。満洲事変を引き起こしたのも、蘆溝橋事件という偶発的事件を日中戦争に拡大したのも、真珠湾の米軍やマラヤの英軍に先制奇襲攻撃を仕掛けたのも日本であり、日本は「戦争の主体」でしたが、責任の所在が「今はよくわからない」というのが本当なら「反省」のしようもありません。再発を防止もできないでしょう。

では、首相はなぜ、先の戦争の責任の所在という重要な問題への回答を意図的に避けたのか

首相の過去の発言を見れば、同様の態度をとっている例が他にも多数見つかります。

首相は、「戦後レジームからの脱却」と言い、戦後日本の憲法や価値判断基準を全否定しつつ、戦前・戦中のレジーム(国家体制)の問題点には何も言及していません。

「国のために戦って命を落とした軍人」を慰霊する目的で靖国神社を参拝するのは「国民として、国の指導者として当然のこと」と言いつつ、死亡した軍人の6割が餓死、つまり「運用管理側の不手際」で死んだ事実 には触れない。その「運用管理側の不手際」の総責任者であった東條英機らが、同じ靖国神社に「英霊」として祀られている事実にも、両者を同じ「英霊」という概念で括って並列に置くことの妥当性にも触れようとしません。

慰安婦問題では「国による強制を裏付ける文書は無い」と言いつつ、慰安婦施設を実質的に運営管理した軍や政府側の責任者の名前や、具体的な組織図等は一切明らかにしません。

先の戦争が「侵略であったか否か」と問われると「私は『侵略ではない』と言ったことは一度もない」という巧妙なレトリックを使うが「侵略であった」とは明言していません。


Photo by MIKI YoshihitoCC BY 2.0

これらの「首相が言及しない」「論点化を避けた」問題を見ると、全てに共通する方向性が浮かび上がります。それは何かと言えば、戦前・戦中の国家体制の肯定と是認です。

触れない、言及しない、というのは、言い換えれば「否定的に評価しない」という意味でもあります。「戦後レジーム」を否定して「日本を取り戻す」と言いつつ「戦前・戦中レジーム」は否定しないという話を論理的に整合するように換言すると、現政権は「戦前・戦中レジーム」を肯定して、日本をそこに戻すことを目指すという意味になります。

「戦前・戦中レジーム」と聞くと、多くの人は「戦争」や「軍国主義」等の言葉を連想されるかもしれません。しかし、少し引いた視点から見れば、「戦争」や「軍国主義」は当時の日本を支配していた政治思想が生み出した副産物であり、その根源を残したまま「戦争」や「軍国主義」だけを否定しても、当時の体制と訣別したことにはなりません。

現在の内閣を構成するほとんどの国会議員は、「戦前・戦中レジーム」の精神的支柱であった「国家神道」系の宗教的政治団体に所属

大手メディアは実質的に黙殺していますが、首相をはじめ現在の内閣を構成するほとんどの国会議員は、「戦前・戦中レジーム」の精神的支柱であった「国家神道」系の宗教的政治団体(日本会議国会議員懇談会神道政治連盟国会議員懇談会など)に所属しています(首相は後者の会長も務めています)。日本会議や神道政治連盟などの宗教的政治団体は、戦前・戦中の体制に対する批判的認識を一切受け入れず、逆に戦前・戦中体制の復活を目指すことこそが、日本にとって唯一の「愛国の道」であるかのような政治宣伝を、現政権の成立後は特に活発に行っています。

人命や人権の価値を著しく軽んじた戦前・戦中の「国家神道」思想は、いわば国家体制の「ソフトウエア」であり、「軍国主義」の根幹である軍隊はそれによって動く「ハードウエア」でした。戦後の日本は、ハードウエアとしての軍隊を否定することで、戦争への回帰の道は断たれたと錯覚して安心しましたが、「国家神道」を別のソフトウエアで上書きすることは怠りました。その結果、現政権下で古いソフトウエアが再起動しています。


© iStock.com

戦前・戦中の「国家神道」体制は、日本の長い歴史上ただ一度、国の主権を外国に譲り渡すという悲惨な「敗戦」をもたらした国家体制で、実際にはわずか10数年ほど日本の政治を支配したに過ぎない「一過性」の現象でした。「日本の伝統」でもなければ、唯一の「愛国の道」でもありません。むしろ、日本という国を滅亡の淵へと導いた「亡国の体制」でした。

この戦前・戦中の体制を現代に復活させるためには、戦後に公布された日本国憲法を廃棄して、国民が形式上自発的に国のために犠牲になる、そして人権や人道といった現在の国際社会で重視・尊重されている価値よりも「国家全体の(物理的・経済的)利益」を優先する条項を記した、憲法が国を縛るのでなく国家体制が国民を縛る形式の「新憲法」への改訂が絶対的に必要となります。

与党への投票は、こうした「戦前・戦中体制への回帰」の「是認」を意味します。与党とそれに賛同する政党の議席が3分の2に達すれば、憲法改正は現実の問題になります。


「棄権」や「白票」という選択肢はありうるか

もう一つ、今回の選挙で投票所に行くことに気乗りしないという人が、「棄権」や「白票」という形式で「意思表示」することについて、私の考えを述べておきます。

「欲しい商品がお店に無いから買わない」のと同じ感覚で「入れたい政党が見当たらないから投票しない」という棄権行動を、想田和弘さんは「消費者民主主義」と的確に表現されていますが、民主主義国の市民は本来、死ぬまで選挙で有効票を投じる「義務と責任」を負う立場にあります。ここで言う「市民の責任」とは、今を生きる自分だけでなく、まだ選挙権を持たない世代やまだ生まれていない世代への「責任」も含む、大きな概念です。なぜなら、その選挙の結果は、まだ選挙権を持たない世代やまだ生まれていない世代の生活を大きく左右することもあるからです。正しい答えがわからなくても、責任を負います

今を生きる自分の都合しか考えず、「投票したい、投票するに値する政党が見当たらないから投票に行かない/白票を投じる」とか「誰か投票するに値する候補者を用意してくれれば、選挙に行ってやってもいい」「それができないのは政治サイドの責任であって、俺の責任じゃない」などと居直る、親に甘えた子供のような発想は、少なくとも国民が命がけで旧体制と戦って「民主化」を勝ち取った国では、決して出てこないでしょう。

与党には投票したくないが、かと言って野党の中で最も有力だと思われる政党も「気に入らない」ので票を入れたくはない——私も選挙のたびに、この種のジレンマと戦い続けていますが、大きな問題との対峙で小さな「自分の都合」や「自分の面子」を優先するのは、引いた視点や歴史的な観点で見れば、まったく合理的判断とは言えません。

実質的な「選択の自由」が与えられた環境で国民が投票できる選挙は、もしかしたら今回が最後になるかもしれない。ほとんどの日本人は、そんな風には考えていないでしょうが、古今東西の戦史や紛争史を調べれば、それと気付かないまま「最後の民主的選挙」を通り過ぎて、後戻りのできない「別の政治体制」へと移行した例は、決して少なくありません

「投票で政治を変えることはできない」という指摘は、現状では正しい部分もありますが、権力者は「投票結果を武器として、盾として、最大限に利用する」ことも事実です。現在の選挙制度では、「棄権」や「白票」は与党に投票したのと同等の効果を持ちます。

そう考えれば、民主主義国の選挙における「棄権」や「白票」という選択肢が、果たしてありうるのか、という認識も、少しは変わるのではないでしょうか。


© iStock.com

山崎雅弘 (やまざき・まさひろ)

1967年大阪府生まれ。戦史/紛争史の解説記事を『歴史群像』(学研パブリッシング)、『歴史人』(KKベストセラーズ)等に寄稿。著書は7万部のベストセラー『中東戦争全史』(学研パブリッシング)、アマゾンKDPの電子書籍『山崎雅弘 戦史ノート』シリーズ(六角堂出版)など。 


秘密保護法、許すまじ! 選挙中でもやります! 12/10 自民党前抗議アクション@大阪天満橋

2014-12-10 04:41:23 | ご案内

http://himitsulock.hatenablog.com/entry/2014/12/09/220449より転載

秘密保護法、許すまじ! 選挙中でもやります! 自民党前抗議アクション@大阪天満橋

 

世間では自民党圧勝のニュースが流れ、しらけムードがただよう選挙戦。
 

しかし、みなさん、この空気に流されてはいけません。

このしらけムードこそ、与党自民党が何より望んでいるもの。

そして、もしかしたらまた私たちは、マスコミのたれ流す自民圧勝報道に騙され、踊らされているのかもしれません。
 

マスコミがきそって流す選挙予想報道の背後で、明日、日本は大きな転換点となるかもしれない日を迎えます。
 

秘密保護法施行
 

昨年12月6日、多くの国民の反対を押し切って強行可決された「特定秘密保護法」が、明日12月10日に施行されます。

 

施行前の廃止は実現できませんでしたが、国際社会からも「稀代の悪法」と批判されるこんな悪質な法律を認めることは絶対にできません。

施行後も、ロックアクションでは、反対をとなえ続けます。

 

まずは第一弾。

明日の秘密保護法施行日に自民党前で抗議アクションやります! 選挙で忙しい時期ですが、みなさんお集まりください。

わたしたちが決してあきらめないこと、秘密保護法は許しがたい悪法であることを、道行く多くの人に訴えましょう。

 

●12月10日(水)  18時~19時半  

自民党大阪府連前 (地下鉄・京阪天満橋4番出口か徒歩5分 http://www.osaka-jimin.jp/info/syozai.shtml)
秘密保護法施行に抗議!!

自民党大阪府連前抗議アクション
 鳴り物とプラカードを持って集まろう!!!

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日本ペンクラブ声明【太平洋戦争開戦の日に当たって】

2014-12-10 04:29:10 | シェアー

http://www.japanpen.or.jp/statement/より転載

声明文

日本ペンクラブ声明【太平洋戦争開戦の日に当たって】

 いま、近年のこの国の様子を静かに顧みるとき、世の中がぐらりと傾いてくるような気分に襲われることはないだろうか。この重苦しい気配はどこから生じているのか。
 
 一九四一(昭和十六)年十二月八日、七十三年前のこの日、日本は太平洋戦争に突入した。その十年前からつづく日中間の戦争が泥沼化するなか、国際的孤立は深まり、景気は冷え込み、民心も鬱屈した。そのあげくの開戦はつかの間、閉塞感を打ち破るかのような幻想をあたえたが、それこそ近隣諸国の人々をも不幸に陥れて突き進んだ大破局への道であった。
 あの時代、政治権力と軍部は一体化し、経済界もアカデミズムもマスメディアも翼賛体制の下に組み敷かれた。日本ペンクラブも、その間、いっさいの自由な言論・表現活動を封じられ、文筆家としての生命を奪われた歴史を持つ。
 
 権力の野放図な振る舞いに歯止めをかける仕組みを、社会の土台に据えなければならない(主権在民・立憲主義・三権分立)。
 戦争は絶対にしてはいけない(平和主義)。
 一人ひとりの尊厳と人権は十分に尊重されるべきだ(基本的人権)。
 私たちの戦後は、こうした基本的原則に基づいて始まったはずであった。
 
 しかし、惨憺たる歴史の反省から再出発した日本は、近年、大きく変質しようとしている。
 政府は、特定秘密保護法によって、軍事・諜報情報も不都合な情報も恣意的に隠しおおせるようになった。集団的自衛権の発動によって、世界のどこででも武力の行使と戦争を行える態勢を整えようとしている。また、あの過酷な原発事故にも関わらず、原発推進を再び国策として掲げ、再稼働を急いでいる。
 これらが、かつての強権的な国家、絶対の国策の再来でないとしたら、いったい何だというのか。この先に目指されているのは、日本国憲法の根幹にある主権在民・平和主義・基本的人権等の精神の簒奪と否定であろう。それは、この社会を、国家を前面に押し立て、個々人の生命の安全や人権を二の次にし、戦争も辞さない世の中につくり替えていくことに他ならない。
 これら差し迫った事態が、日本の現在に重苦しさをもたらしている。
 
 これまで長い間、戦争の記憶は終戦記念日と結びつけられ、語られてきた。玉砕・空襲・原爆・飢餓・抑留等々の悲惨な戦争体験から学ぶことは、いまも少なくない。だが、今日の事態はそれにもまして、こうした悲惨さをもたらした元凶にまで遡り、現在の動きと重ね合わせて見ることを私たちに促している。
 私たちは十二月八日を忘れない。その失敗から得た痛切な教訓こそ、日本の現在を歴史のながれのなかで見定め、未来を見通す決定的な手がかりとなる、と信ずるからである。
 
               二〇一四年十二月八日
                                   一般社団法人日本ペンクラブ     
会長           浅田 次郎  
副会長         下重  暁子  
                                                                                            中西 進    
西木 正明 
専務理事      吉岡 忍      
常務理事    高橋 千剱破
野上   暁    
   堀     武昭   
                                                                                                                   松本 侑子