異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

【ヤバイ】特定秘密保護法が施行された日にアメブロの強制削除が相次ぐ!

2014-12-12 04:49:34 | シェアー

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-4778.htmlより転載

ヤバイ】特定秘密保護法が施行された日にアメブロの強制削除が相次ぐ!当ブログの予備ブログが消える!ホワイトフードのブログも!

12月10日に特定秘密保護法が施行されましたが、この日にアメーバブログがブログの規制に乗り出していた事が判明しました。当ブログもアメーバの予備ブログが事前通告無しで削除され、他にも同じ様な被害にあったという方の報告が相次いでいます。楽天市場等で放射能測定した食品を販売している株式会社ホワイトフードが運営している「放射能と戦うブログ」も12月10日に強制閉鎖され、現在は閲覧も出来ないような状態になってしまいました。

また、ツイッターやフェイスブックなどのSNSで検索してみると、12月10日前後にアメブロを消されたという報告が増加しています。種類などは色々とありますが、いずれも事前の通告などは全く無かったようです。ちなみに、デフォルト設定のままでアフィリエイトなどを一つも貼っていないブログが消されているので、規約違反の可能性は低いと考えられます。

new_screenshot11-12-2014 105705iuyhtg12345らく、アメーバブログ側が自主規制をしたのだと思われますが、何も言わずに強制閉鎖というのはちょっと酷いです。私はバックアップもある上に、複数の避難先があるので対応することが出来ますが、多くの方は何も出来ずにそのまま消されてしまっています。皆さんもアメブロには注意が必要です。
*特定秘密保護法で消された可能性があるだけで、他の理由で消された可能性もゼロでは無いです。あとでアメブロに問い合わせなどをしてみます。


☆世界の真実を探すブログ
URL http://ameblo.jp/sekainosyoutai/

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☆ホワイトフード 放射能と戦うブログ
URL http://ameblo.jp/whitefood/entry-11956520864.html

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アメブロが急に削除されてしまいました。削除されるような事はしていないのに、突然消されるのがアメブロ。ついにやられました。

 

秘密保護法施行日に放射能関連のブログが一方的に閉鎖されてるようだけど アメブロが勝手に自粛したのか、正式に政府関係から削除要求があったのか… 政府の要請なら『放射能』関連の一部の情報は特定秘密に入っていて、今後一切、表に出てこなくなるということかー

 


日野原氏103歳記念講演 「いのちは与えられたもの、人のために生きよう」

2014-12-12 04:41:17 | シェアー

Christian Today, Japan

http://www.christiantoday.co.jp/articles/14678/20141210/shinrojin-no-kai-hinohara-shigeaki.htmより転載

新老人の会・日野原氏103歳記念講演 「いのちは与えられたもの、人のために生きよう」

2014年12月10日17時43分 記者 : 新庄れい麻 
新老人の会・日野原氏103歳記念講演 「いのちは与えられたもの、人のために生きよう」
日野原重明会長103歳記念特別講演の様子=11月24日、千葉市民会館(同市中央区)で

「新老人の会」千葉支部による、第4回フォーラム「日野原重明会長103歳記念特別講演」が24日、千葉市民会館(同市中央区)で開催された。1000人が入る大ホールが満員になるほどの盛況ぶりで、第一部は「新老人の会」会長の日野原重明氏による講演、第二部にはテノール歌手秋山衛氏と船橋女性合唱団によるミニコンサートが行われた。

新老人の会は、「65歳以上を老人」とする捉え方がすでに実態に即していないとして、75歳以上の自立して生きる老人の姿を「新老人」と名づけた日野原氏の「新老人運動」に賛同する人々の集まり。2000年9月に発足して以来、全国に45の支部が展開され、現在の会員総数は約1万1000人。平均年齢は70歳。

世界に例を見ない高齢化の道を突き進む現代日本において、自立し、生きがいを持って生きることを目指し、「いつまでも愛し愛される人間であること」「創意を持ち続けること」「耐えること」の3つのスローガンの下で活動している。

スローガンだけでなく、▽自立をして良い生活習慣・文化を次の世代に伝える、▽戦争体験を生かして世界平和の実現に寄与する、▽自分たちの健康情報を研究者に提供し次の世代に貢献する、▽会員同士新しい友を求め全国的な交流を図る、▽自然への感謝を持ち良い生き方を普及する、という5項目の目標を掲げ、「子どもたちに平和と愛の大切さを伝える」という使命を持っている。

「いのちを守り、平和を築く-私たちが伝えて行くべきものは何か-」と題して講演を行った日野原氏は、軽い足取りでステージに登場。近頃、心臓に疾患が見つかったものの、90歳を超えるため手術を担当してくれる医者がおらず、普段は車椅子に乗っているというエピソードから話し始めた。普通の老人であれば、「気の毒に」と暗い雰囲気になってしまうようなエピソードだが、日野原氏が話すと、会場から何度も爆笑が起こる。

新老人の会・日野原氏103歳記念講演 「いのちは与えられたもの、人のために生きよう」
10月に103歳の誕生日を迎えた日野原重明氏(写真:「新老人の会」千葉支部提供)

自分のいのちを大切にするように、他人のいのちを大切にすることで世界平和は実現できる、と信じるという日野原氏。今回の講演会の題には、「まずは、自分のいのちを大切にすることが大切だ」というメッセージが込められているという。

日野原氏は、フランスの画家ゴーギャンの名作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が大好きだという。みなさんのいのちはみなさんのものではない、与えられたものだということを意識してほしい。そして、それがどうして与えられたのかを考えてみましょう、と語り掛けた。また、いのちの真価を考えるにあたって、今までいのちの危険を感じた経験がありますかと問い掛けた。

日野原氏自身は、1970年のよど号ハイジャック事件に巻き込まれた際、発生4日後に開放され日本の土を踏んだ。その時、「自分のいのちは与えられたものだ。これからは人のために生きよう」という実感が湧いてきたという。

「どこから来て、何者で、どこへ行くのか」という重い命題に対して、「いのちは与えられたものだ」と確信に満ちた強さで断言する日野原氏。その背景には、一度死を覚悟した経験と、いのちを与えたもう神への信仰がある。

30歳で医学部に入り、38歳から医者として働きを始めたドイツのキリスト教伝道者アルベルト・シュバイツァーを尊敬しているという日野原氏は、何歳になっても「創(はじ)める」ことをし続けなければならないと語り、「人のために生きようと決心するだけではだめです、行動に移さなくてはいけません。行動するためにこの場所を出て行ってください」と人々を送り出した。

日野原氏は、自身の父である日野原善輔牧師を記念した日本基督教団日野原記念上尾栄光教会(埼玉県上尾市)に毎年行っているというが、帰り際には必ず「来年また会いましょう!」と言って去って行くという。成すべき仕事がある限り神は自分を生かしてくださると、地上での働きに邁進し続けている。




「この国はどこへ向かっていくのか」②政治家の最大の役割は「どんな手を使っても戦争をしない」こと

2014-12-12 04:35:57 | シェアー

http://www.magazine9.jp/article/taidan/6979/より転載

「この国はどこへ向かっていくのか」その2:
政治家の最大の役割は、「どんな手を使っても戦争をしない」こと

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この夏、全国で公開中の映画、想田和弘監督の『選挙2』。ある地方議会選挙の様子を通じて、日本の政治の、そして社会の「今」を焙り出す内容に、 注目が集まっています。自民党圧勝との報道が続く参院選を経て、この国はどこに向かっていくのか。私たちは、それに対して何ができるのか。想田監督と、連載コラム「愛国問答」でおなじみ鈴木邦男さんとの対談から考えます。

鈴木 邦男(すずき・くにお)1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

 

想田 和弘(そうだ・かずひろ)映画作家。ニューヨーク在住。台本やナレーションを使わないドキュメンタリー「観察映画」作品に『選挙』(07年)、『精神』(08年)、『Peace』(11年)、『演劇1』『演劇2』(12年)がある。最新作『選挙2』が全国で公開中。著書に『精神病とモザイク』(中央法規出版)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs. 映画』(岩波書店)がある。「マガジン9」では『映画作家・想田和弘の「観察する日々」』を連載中。公式サイト:映画作家・想田和弘 OFFICIAL WEBSITE


●自由のない自主憲法より、自由のある押しつけ憲法を

編集部
 さて、参院選の争点の一つとされている「改憲」ですが、想田さんは自民党が昨年4月に発表した「日本国憲法改正草案」の危うさ、とんでもなさについて、マガ9掲載のコラムなどでもたびたび取り上げられていますね。

想田
 最初、「国防軍の創設」が明記されたということについてはかなり騒がれましたよね。僕も最初は「そこだけが問題なのかな」と思ってたんですけど、ネットで検索して自民党のホームページに掲載されている草案の全文を読んでみて、「なんじゃこりゃ」とぶっ飛んだんです。僕たちの基本的人権が制限されるような改変があちこちにある。それなのに、そのことが全然話題になっていないし、ほとんど報道もされないということに、現実的な危機感を持ったんですね。それでツイッターでいろいろ発信したりするようになったんですけど…。

鈴木
 おっしゃるように、あの改憲案では、いろんな権利や自由が抑圧されますね。しかも、国防軍の問題もそうなんだけど、前文にも戦争に対する反省の言葉などがまったくなくなってしまっている。それも酷い話だなあ、と思います。さらには、96条――憲法改正のルールを政府が自分たちで変えようというせこい話まであって。
 僕はもともと学生時代から「アメリカに押しつけられた憲法はダメだ、自主憲法をつくろう」という意見でした。でも、今の自民党改憲案が通ったら、アメリカが戦争をするときには国防軍を出すなど、さらにアメリカに従属した国になりかねない。今言ったように自由も権利も抑圧されるし、それなら僕は自由のない自主憲法より自由のある押しつけ憲法を取る、と言っているんですよ。

想田
 押しつけ憲法というのも、押しつけられたのはその当時の支配者階級であって、民衆ではないんじゃないかと僕は思っています。権力者にとっては大日本帝国憲法のままのほうが都合がよくて、だからGHQが「改憲案をつくるように」と言ったときにも、それとたいして変わらない案しか出てこなかったんでしょうけど。
 だって、例えば日本国憲法14条に、人種や信条や性別、身分や門地によって差別されない、貴族制度は廃止するという文章がありますけど、それで困る一般の民衆っていないですよね。あるいは、24条の「両性の本質的平等」が出てきたときに、「平等じゃ困る」って怒る女の人はあまりいなかったでしょう。「押しつけられた」のはあくまで特権階級や男性、つまりは権力の側にいた人なんだと思うんです。
 僕は、今の憲法が自分の権利を抑圧してると感じたことは一度もありません。もちろん、例えば同性愛者にとっては24条が抑圧になるかもしれないとか、改善の余地はあると思うけれど、おおかたの部分において、憲法があるから自由にできない、権利が抑圧されているということはないと思います。制定過程がどうあれ、「押しつけられた」と実感として感じない。逆に言えば、自民党の改憲案をつくったような人たちが「押しつけられた」と感じるのは、憲法があるから自分たちの権力が十全に振るえない、民衆を自由に支配できないと思っているからじゃないんでしょうか。


●戦争の「やられる側」になることが、想像できなくなっている

編集部
 また、自民党改憲案では、第3条に「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」とあり、日の丸・君が代に対する強制もさらに強まっています。鈴木さんは、以前から「強制には反対」だと主張されていますが…。

鈴木
 もし僕が首相だったら、まずその条項のもとに、在特会のデモなんか全部禁止しますね。あれは日の丸をまったく尊重してないですよ。僕らも街宣をやっていたころはそうだったんですが、汚れた日の丸の旗をぐちゃぐちゃに立てていたりして。日の丸に失礼な話ですよ。
 あと、卒業式や入学式で強制するなんていうのも、日の丸・君が代をむしろ侮辱していると思います。そもそも、『君が代』って難しい歌だから、大して練習もせずにみんなで歌おうとしても、全然合わない。それじゃとても国歌を尊重しているとは思えないんですよ。

想田
 鈴木さんが君が代や日の丸を好きだというのは、どういう感情なんですか? もしあれが、違うデザインの旗だったり違う歌だったりしても好きなのか、それともあの旗であの歌だから好きなのか…。

鈴木
 違うものでもいいと思いますよ。極端に言えば、国歌も国旗もなくてもいいと思います。だって、君が代も日の丸も明治維新以降にできたもので、それ以前の歴史のほうが圧倒的に長い。国旗国歌がなかったら日本じゃないなんて思いません。
 日の丸って、もともとは江戸幕府が開国して外国と貿易をするときに、船に「日本の印」が必要だからと使い始めたものなんですよね。だから、幕府軍対薩長軍の戊辰戦争のときには、幕府軍が日の丸を掲げて、薩長軍は錦の旗を使っていた。でも、その後戦争に勝って明治政府を成立させた薩長の人々は、なぜかそれまで「賊軍の旗」だったはずの日の丸を日本の旗として使い始めるんです。錦の旗はさすがに畏れ多いとでも思ったんでしょうが、倒した敵軍の旗を自分たちの旗にするなんて、世界でもなかなかないことじゃないでしょうか。
 君が代も、誰がつくったのか正確にはわからないような歌ですし、いいかげんというか、やっぱり寛容な国だなあと思いますね(笑)。そういう意味で僕は日の丸も君が代も好きなんです。

想田
 天皇制についてはどうですか。

鈴木
 僕は、あったほうがいいと思っています。天皇制の成り立ちはともかく、いろんな意味で日本が全体主義になるのを阻止する力になってきた民族の英知だと思う。日本でヒットラーやムッソリーニが出なかったのは、天皇制があったからだと僕は思っているんです。
 かつて、日本は戦争に反対する天皇の意思を超えて戦争に突入したけれど、戦争をやめるにあたっては天皇の決断が大きな影響をもたらした。立憲君主制の弱さと利点がそこにありますね。そして今、天皇は政治には一切かかわらない「象徴」となったわけですが、自民党の改憲案ではそれを再び「元首」にするということになっている。政治的なことに今よりもっと巻き込んで、何かあったら責任を負ってもらう、というふうに読めます(※)。
 そんなふうに、天皇を再び政治、そして戦争の場に出すべきではないですよ。長い日本の歴史の中でも、象徴的存在であった時期のほうが長いくらいなのですし、精神的、伝統的な象徴としてあったほうがいいと考えています。もちろん、天皇陛下はじめ皇室の方々には、ものすごく重い仕事を国民が強制しているともいえるわけで…政治的なことに関与しない限り、もっともっと自由にしていただいていいとは思いますが。

※自民党改憲草案第1条は、「天皇は、日本国の元首であって…」と定めている。また、現憲法では天皇の国事行為には内閣の「助言と承認」が必要とされているが、同草案ではこれを内閣の「進言」と変更(6条4項)。6条5項では、国事行為以外の「公的な行為」を行う、との定めもある。

想田
 自民党の改憲案は、自分たちの権力を思い通りに行使するために、天皇を使おうとしているということですよね。かつての戦争のときには、きっとまさにそういうことが起こっていたんじゃないでしょうか。

鈴木
 だから、これからも戦争をしようと思っているのかと勘ぐりたくなります。そもそも、天皇を元首にする、国防軍をつくるというのは、日本を「強い国家にするんだ」という意志表示でしょう。そして、領土交渉では「戦争も辞さずに」なんて言い出す。戦争を体験していたら、そんなことは絶対に言えないと思うんだけど。

想田
 かつては自民党の中でも、戦争体験のある議員が「ストッパー」になっていたのかもしれませんが、みんな引退していってしまった。戦争体験そのものがこの社会全体から失われていっていて、それはもちろん素晴らしいことなんですけど、一方で「戦争って怖いよね」と肌感覚で捉えられる人がどんどん少なくなっているということなんでしょう。
 しかも、戦争で「やられる側」になることが、みんな想像できなくなっていますよね。常に自分たちは「やる側」。僕はアメリカに住んでいてアフガン戦争が始まったときに、アメリカ人の考える「戦争」の中には、自分たちが「やられる」イメージが一切ないんだな、だから「世界の警察」として、いろんな紛争に介入するんだな、と改めて思ったんですけど、日本も徐々にそういう感覚になってきている気がします。


●人の生活を守ることこそが、国益を守ること

鈴木
 本来、政治家の一番大きな役割は「戦争をしないこと」だし、それができる政治家が支持されてしかるべきだと思います。でも、今の社会の雰囲気はそうなっていないんですよね。以前、テレビである旅館の主人が「(日中関係の悪化で)中国から観光客が来なくなって大変だ」という話をしているのを見たんですが、続けて「でも、やっぱり国益のことを考えたら我々も我慢しなくちゃいけませんよね」というんです。

想田
 その人が、自分からそう言っているんですか。

鈴木
 そうです。そういう人の生活こそが「国益」であるはずなのに、「国益」というのは何か別のところにあるものだと考えられている。そして、「毅然とした態度で挑む」とか、週刊誌レベルの勇ましい言葉を言っている政治家のほうに支持が集まって、「話し合いで解決する」なんていうと「反日的だ」「売国奴だ」とか言われたりする。それが怖くて、政治家も「まずは相手の言い分を聞いて…」とはなかなか言えないんでしょう。
 ただ、本当の「愛国者」なら、戦争を避けるためには「国賊」と呼ばれる覚悟くらいはするべきですよ。かつて、小村寿太郎が「国賊」と呼ばれながら日露戦争の講和条約締結に踏み切った(※)みたいに。今の「愛国者」は、安全圏にいながら「戦争をしてでも島を守れ」みたいなことを口で言ってるだけなんですから。そんなのインチキですよ。

※小村寿太郎は日露戦争当時の外務大臣。1905(明治38)年、全権大使として日露講和条約(ポーツマス条約)を成立させた。政情不安が続いていたロシア、国力の違いからこれ以上の戦争継続は困難と判断した日本、両政府の意図が合致しての講和だったが、それまで「日本軍の勝利」ばかりの報道に接していた民衆は直接の賠償金なしの講和に納得せず、帰国した小村には「国賊」の言葉が投げつけられ、内務大臣官邸などに火が放たれる「日比谷焼き討ち事件」も起こった。

想田
 僕は、いわゆる「現実論」と言われるものが、本当に現実的かどうかを検証する、想像することがとても大事だと思っています。例えば原発にしても、ずっと原発を推進するのが現実派で、いらないというのが理想主義だと言われてきた。でも、福島第一原発の事故が起きたことで、その捉え方は間違っていたことが明らかになりました。だって、廃棄物処理の方法もわからない、事故が起きたら国土が汚染される、しかもメンテナンスのためには誰かが必ず被曝しなきゃならない…。いろんな意味で、実は原発というのは現実的な発電手段ではないことがわかってきたわけです。
 領土問題もそうで、強硬論をとる人が現実派のように言われているけど、それをどんどん押し進めていけば、究極的には戦争になります。でも、例えば中国と戦争になれば日本経済はガタガタ…というか、多分もう終わりですよね。それが現実的な選択だとは僕には思えません。やっぱり、現実的な選択というのは鈴木さんのおっしゃるように、どんな手を使っても戦争を避けることだと思うんです。

鈴木
 ただ、これまで「憲法を守ろう」「戦争はよくない」と言ってきた側の言葉に、まったく説得力がなかったのも事実だと思います。憲法9条があるから日本は平和なんだ、憲法さえ守っていれば大丈夫だとひたすら言い続けるだけ。それだけでは、中国や北朝鮮の脅威が拡大していて、領土が取られるし拉致被害者も帰ってこない、やっぱり強力な国防軍が必要だ――という声のほうが、説得力を持って聞こえて来てしまうんですよ。

想田
 「護憲」を言う人たちの言葉に説得力がないというのは、そこに日常的な「実感」が伴わないまま「正しさ」を言い続けてきたからじゃないでしょうか。平和とか憲法とかの話をするとき、ややもすると僕らは、集団的自衛権がどうのとか、自主憲法がどうのとか、概念の世界でばかりしゃべろうとしてしまいます。だから「9条を守れ」といった言葉はもはやただの決まり文句、スローガンになってしまっていて、人々の感情を喚起しない。そうではなくて、もっと日常に引きつけて考えるというか、「9条がなくなる」のが現実としてどういうことなのかを、きちんと伝えないといけないんだと思います。
 例えば、僕が応援している「全日本おばちゃん党」の基本方針である「おばちゃんはっさく」なんて、まさに概念ではなくて実感です。〈その1〉は「うちの子もよその子も戦争には出さん!」なんですが、子どもを戦争に出したい親なんていないわけで、その実感は誰もが共有できますよね。概念ではなくてそういう、生物しての実感ともいうべきところから出発すると、もっと共感が広がりやすい気がするんです。

鈴木
 あと、「平和憲法を守ろう」という人たちが一番弱いのは、「自分の国のことしか考えてないじゃないか」と言われることじゃないかと思います。世界には困ってる国がたくさんあるのに、自分たちさえ良ければいいのか、と。そこにやましさを感じてる人が多いから、「日本も金だけ出してるんじゃダメだ」なんていう言説が説得力を持ってしまうんじゃないでしょうか。
 僕は、日本ももっと「攻めの論理」を打ち出していくべきだと思います。例えば自衛隊が、外国で血を流していない、人を殺していない、戦争に参加していないことに対して、やましさを感じる必要なんてないですよ。むしろ、自然災害の現場での自衛隊の活躍は、世界中から賞賛されてるんだから、世界の軍隊を自衛隊化する、自衛と災害救助にはあたるけれど外に出て行って戦争はしない、そういう組織に組み替えていくべきだという理想を発信するくらいのことを考えたほうがいいと思う。

想田
 なるほど、そうですね。僕はアメリカに住んでいますけど、9・11テロ事件の後、そのアメリカが戦争に進んでいく過程を見ていて、とても怖かったんですよ。世論調査で「アフガニスタン攻撃を支持する」という意見が、たしか9割以上。みんなこぞって星条旗を掲げて、本当に翼賛体制というべき状況でした。
 野球を見に行っても、大リーグでは7回終了後に、『私を野球に連れてって』っていう歌をスタンドでみんなで歌うのが慣例なんですが、9・11の後1年くらいはそれが『God Bless America』に替わってしまって。それをみんなで起立して歌うんです。僕は嫌だったので座ったままでいましたけど、ものすごいプレッシャーを周囲から感じましたよ。

鈴木
 一つ流れができてしまうと、それに異を唱えるのは難しいんですよね。

想田
 はい。アメリカって、どちらかというといろんな価値観が混在していて、ファシズム一色にはなりにくいというイメージだったので、余計にショックでした。僕が今のような、いわゆる「右傾化」というような流れにすごく警戒心があるのは、その経験も関係しているかもしれません。
 このままの流れが加速したときに、僕が特に怖いなと思っているのは、改憲にまで至ってしまって、表現の自由が定められた憲法21条までが変えられてしまうことです。もし表現の自由を「公益及び公の秩序」で制限できるとする今の自民党改憲案(※)のような条文ができてしまったら、もう僕たちは政府批判さえできなくなってしまう。事実上、民主主義は終了ですよね。それをもう1回ひっくり返そうと思ったら、武力革命を起こすしかないわけで…そこまで行く前に、なんとかこの流れを止めたいと思っています。

※自民党改憲案では、現憲法にある「公共の福祉に反しない限り」という言葉が、「公益及び公の秩序」に差し替えられている。人権と人権がぶつかり合ったときのみ、それを調整するために人権が制限される、という考え方の「公共の福祉」に対し、「公益及び公の秩序」では政府が「公益のため」と称して、政府に反対する運動などを禁止・弾圧することも可能になる。

(構成/仲藤里美 写真/塚田壽子)

←その1

─対談を終えて─

 

 とても真面目で、真剣にこの国の現状を憂えている。想田さんと対談し、そう思った。僕のイメージの中では、「映画監督」というのは、いつも威張っていて、尊大で、イライラして他人に八つ当たりし、怒鳴っている。でも結果(出来た映画)さえよければいい。そんなイメージだった。
 でも想田さんは、そんな「監督」像からは最も遠い。「映画監督とはこういうものだ」という世間のレッテルや印象、「説明」「ナレーション」に僕らは支配されていた。右翼・左翼・護憲派・改憲派という言葉もそうだ。そんなレッテルを貼って、安心し、その人間を理解したつもりになっている。いけないことだ。さらに悪いことには、そのレッテルを貼られた人が、それで満足し、その「役柄」を演じてしまうことだ。もっと右翼らしく生きよう。もっと改憲派らしく生きよう…と。〈現実〉の方が、映画的であり、演劇的なのかもしれない。
 そして国民全体が〈現実〉を重視し、現実的であろうと演技している。いや、演技しているという意識もない。それが自然な生き方だと思っている。想田さんは言う。そんな〈現実論〉が果たして現実的か? と。原発を見ても分かるだろう、と。そのとおりだ。今、この国に足りないのは〈現実論〉を疑う知性だ。想像力だ。防衛・憲法にしても、現実を見すえながらも現実を超える夢や理想を語ることだ。本当は、映画監督として想田さんは「改憲し右傾化する日本」をドキュメンタリーとして撮りたいのかもしれない。「改憲後」の日本を映画にしたいのかもしれない。しかし、時間がない。「終わった後」で、教訓を残しても意味がない。だから、焦っているのだろう。たとえ映画の仕事は一時休んでも、「発言」しなくてはならない。そう思いつめているのだろう。「武力革命」まで口にしている。そうならないように僕らも命がけで頑張らなくてはならない。と痛感した。(鈴木邦男)

 まだ僕が日本に住んでいた20年以上前から、「右翼」として「朝まで生テレビ」などに出ていた鈴木邦男さんにずっと関心を抱いていた。肩書きとは裏腹に、なんだかいちばん真っ当な人に思えていたからだ。そのギャップが不思議でたまらなかった。だから今回初めてお会いする機会に恵まれて、本当に嬉しかった。思った通りの方だった。そして積年の謎が少しは解けたような気がする。鈴木さん、マガジン9の皆さん、ありがとうございました。(想田和弘)



対談「この国はどこへ向かっていくのか」 鈴木邦男×想田和弘

2014-12-12 04:27:21 | シェアー

http://www.magazine9.jp/article/taidan/6488/より転載

2013年7月10日

taidan130710


この夏、全国で公開中の映画、想田和弘監督の『選挙2』。ある地方議会選挙の様子を通じて、日本の政治の、そして社会の「今」を焙り出す内容に、 注目が集まっています。自民党圧勝との報道が続く参院選を経て、この国はどこに向かっていくのか。私たちは、それに対して何ができるのか。想田監督と、連載コラム「愛国問答」でおなじみ鈴木邦男さんとの対談から考えます。

鈴木 邦男(すずき・くにお)1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

 

想田 和弘(そうだ・かずひろ)映画作家。ニューヨーク在住。台本やナレーションを使わないドキュメンタリー「観察映画」作品に『選挙』(07年)、『精神』(08年)、『Peace』(11年)、『演劇1』『演劇2』(12年)がある。最新作『選挙2』が全国で公開中。著書に『精神病とモザイク』(中央法規出版)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs. 映画』(岩波書店)がある。「マガジン9」では『映画作家・想田和弘の「観察する日々」』を連載中。公式サイト:映画作家・想田和弘 OFFICIAL WEBSITE


●選挙制度は、「有権者が関心を持たないように」つくられている

編集部
 自民党圧勝の衆議院選挙から半年あまり。そして、参議院選挙ももうまもなくです。そんな中で公開中の想田さんの最新作『選挙2』は、東日本大震災直後の2011年4月に実施された川崎市議会選挙の様子を、完全無所属で出馬した「山さん」こと山内和彦さんを中心に追ったドキュメンタリー映画ですが、まずこれをごらんになっての鈴木さんの感想からお聞きできますか。

鈴木
 この、(ポスターにある)街頭で防護服を着て演説するシーンが面白かったですね。どう見ても勝てそうにない闘いなんだけど(笑)、よくここまでやったなあ、と思って。 
 あと、公職選挙法ってくだらない規定がいっぱいあるんだなあと思いました。よく駅前で、ビラも配らずにひたすら「おはようございます、○○です」ばっかり繰り返してる候補者を見て、「なんだこいつら」と思ってたんだけど、あれは法律に従って行われているものなんですね。有権者は誰もそんなこと知らないんじゃないですか。

想田
 候補者の1人が、「本当なら政策をきっちり書いたビラを配りたいけれど、公職選挙法で禁じられている」とカメラの前で訴えるシーンですね(※1)。

編集部
 候補者の選挙カーが名前だけを連呼して走っていくシーンも何度も出てきますが、あれも公職選挙法で、走りながら政策を訴えることはできないようになっていると聞きました(※2)。

※1…公職選挙法142条で、地方議会選挙における頒布物は葉書のみとなっており、ビラは含まれないので配布できないとされている。

※2…公職選挙法141条の規定では、走行中の自動車の上からの「選挙運動」は禁止、ただし「選挙運動のための連呼行為」は許される、となっている。

想田
 なんだかすごいことになっていますよね(笑)。公職選挙法というのは多分、有権者が政策や主張や人柄で候補者を選ぶための選挙制度を想定していない。むしろ、そういう選挙制度にしないための規定なんだと思います。

 例えば、選挙ポスターは税金を使ってつくられてるわけですけど、よく考えるとあれって、候補者の政策も主張も何も伝えてないですよね。それを伝えようとしたのが、政策提言を細かく書いた今回の「山さん」のポスターなわけですけど(笑)、普通の選挙ポスターには顔写真の他に名前と党名とキャッチフレーズくらいしか書いてませんから、それを投票先を選ぶための材料にするというのは実はすごく不条理です。でも、その不条理を当然のように制度化したのが今の選挙システムなんですよね。

 じゃあ、その他に候補者から政策を聞いたり、議論したりする場が設けられているかといったらそれもない。選挙公報と政見放送くらいですね。僕は川崎の市議選を2度観察しましたけど、一度も候補者同士の討論会は開かれませんでした。つまりは、構造的に政治や政策についての議論が起きないように、有権者が関心を持たないように、選挙制度がつくられているんだと思います。

鈴木
 候補者同士が市民会館などに集まって討論する会というのは、昔はよくあったんですよ。社会党の委員長だった浅沼稲次郎が、選管などが主催した立会演説会で刺殺されるという事件があって以来、行われなくなってしまったようです。警備上の都合などがあるようですが、今もどんどんやったらいいのになあ、と思いますね。外国には選挙カーもないというし、立会演説会や討論会をちゃんと開けば、かわりに選挙カーを走らせるのを禁止したって十分選挙はできますよね。ネットでの選挙運動も解禁されたし、そのほうがうるさくなくていいかもしれないですよ。

 あと、想田さんが自民党のある候補者にカメラを向けていると、本人や周囲の選挙の運動員が「撮るな」と制止しようとするシーンもありましたけど、あそこまでよく出しましたね。あんなものを公開して訴えられるとかいうことはなかったんですか。

想田
 今のところはないですけど、あり得ますね。すでにあれを撮ったその日、党の顧問弁護士から文書が来て「あのシーンは使うな」と要求されました。でも使ったんですけど(笑)。

鈴木
 彼らは個人情報保護だとか言っていたけど、選挙なんだからね。誰にでもオープンにすべきものでしょう。盗み撮りしたわけじゃないんだし。

想田
 はい。たすきを掛けて拡声器を使って演説していて、プライバシーも何もないだろう、と。しかも、それは税金を使って行われているわけで…弁護士とも相談したんですけど、訴訟になっても負けるはずはないし、ここで自主規制しちゃまずいな、と思ったんです。

 で、当の自民党が出してきた改憲案では、表現の自由を定めた憲法21条も骨抜きにされてますけど、ああいうシーンを出せるということこそがまさに表現の自由が守られている、憲法が生きているということだと思うんですね。今はまだ、憲法がちゃんと僕たちの権利を守ってくれている。それなのに自主規制してしまったら、自分から表現の自由を放棄して、自民党の改憲案を事実上認めてしまうことにもなる。だからここは恐れずに出して、もし物言いがついたら、憲法を使ってちゃんと反論しよう、憲法上認められている権利をちゃんと行使しようと思ったんです。表現の自由が憲法上は保障されていても、それを使わなかったら意味ないんですよ。


●「右翼」「左翼」というレッテル貼り

編集部
 さて、改憲についてのお話も出ましたが、ここからはそれも含め、今の社会や政治状況のお話に移っていきたいと思います。

想田
 まず、僕が鈴木さんにお聞きしたいのは、最近よく言われる「日本社会の右傾化」についてです。イメージとしては多分、在特会(※)に代表されるような排外主義、教育現場で日の丸・君が代が強制されるといった全体主義、あと例えば安倍首相が「国防軍をつくる」と言っているような、軍事化というかマッチョイズムのようなもの。そうしたことを指して「右傾化」と呼んでいると思うんですね。

 で、「右翼」を自称している鈴木さんからすれば、本来は社会の「右傾化」は望ましいことになるはずだと思うんですけど、どうもそうではないような気がします(笑)。こうした「右傾化」と言われる現象は、そもそも本当に右翼思想と関係があるんでしょうか。

※在特会…在日特権を許さない市民の会。日本社会において在日コリアンが不当な「特権(在日特権)」を得ていると主張し、その撤廃を目標に掲げる市民団体。各地でデモや街宣活動を展開しており、その中では「在日を殺せ」「朝鮮人を叩き出せ」といった過激な排外主義的発言も多く見られる。

鈴木
 いや、無縁だと思いますね。在特会も、あれは右翼ではまったくない。そもそも、右翼の世界には民族差別はないですよ。以前から、「日本と韓国と台湾は共産主義に対して連帯して戦わなきゃいけない」といった反共インターナショナリズムが、ナショナリズム以上に強いですから。在日コリアンで右翼団体に入っている人も何人もいますよ。一水会にもいました。

 それから、日の丸・君が代や国防軍の話の前に言っておくと、実は僕は自分で右翼だと名乗ってるわけじゃないんです(笑)。

想田
 あれ、そうなんですか。

鈴木

 そう。テレビなどに出るときは、「この人は右翼です」と説明が入るんですけど、自分で名乗ることはありません。

想田
 でも、否定はなさらないですよね。

鈴木
 そうですね。あだ名みたいなものだし、いちいち訂正するのも大変だから「まあいいや」と。勝手に何とでも呼んでくれ、と思っています。

 そもそも、大学時代に政治団体に入ったときも、僕は自分が右翼になったという意識はなかったんですよ。学内で、あまりにも左翼の学生団体が横暴だから、それに対抗して自由を求めて闘うんだ、という感覚だった。今でも、自分は右翼だとかいうつもりはなくて、左右の全体主義に対して闘ってるんだと思っているんですよ。なかなか理解されないんですけど(笑)。

 本来は、人にはそれぞれ、いろんな問題についていろんな考え方がある。原発について、TPPについて、憲法について、夫婦別姓について、意見はみんな違うはずです。でも、テレビ番組などは、それだと大変だから、「この人は右翼」「この人は左翼」とレッテルを貼る。そうすると楽じゃないですか。見てる人もそのほうが安心できるし楽なんでしょうね。


●「思い上がり」よりも「自虐」のほうがずっといい

編集部
 鈴木さん、「右翼」を自称されているわけではないとのことですが、「愛国者」という言い方はされていますよね。マガ9での連載コラムのタイトルも「愛国問答」ですし、『愛国者は信用できるか』というご著書もありました。

想田
 鈴木さんの「愛国」ってどんなことですか?

鈴木
 僕が日本という国で好きなのは、文化についても人的交流についても、非常に寛容である意味アナーキーなところなんです。
 かつては中国、朝鮮、あるいは明治維新以降は欧米と、あらゆる国々の文化を取り入れてきて。たいていの国なら多分もう、文化の洪水状態になっちゃって自分たちの文化がなくなっちゃってるんじゃないかと思うんですよ。実際、ヨーロッパなどはかなり受け入れを限定しているように思えますが、日本はそこを相当無制限に受け入れて、それでも自分たちの文化も守り続けてきたわけで。

想田
 包容力がある。

鈴木
 包容力と、あと咀嚼力があったということでしょう。ただ、最近は「外国人を追い出せ」みたいなデモが堂々とやられていたりと、どんどん寛容性がなくなってきている感じがしますが…。
 あと、非常に「謙虚」な文化のある国だったとも思うんですね。例えば古事記とか日本書紀とか、建国にまつわる神話を見ても、神様やその子孫の天皇が、闘ったり殺し合いをしたり、悪いこともたくさんやっている。神話なんだから、もっと立派な、きれいなだけのものにしようと思えばいくらでもできたはずなのに、そこをあえて…

想田
 矛盾を含めたまま残している。弱さとか誤りをも抱擁するというか、受け入れるということですよね。

鈴木
 そう。そしてそこには、神様も天皇もこれだけ過ちを犯す、ましてや我々は神でも天皇でもないんだからもっと謙虚になろうよ、という教えがあったように思うんですね。
 ところが明治維新以降、西洋列強と肩を並べて「強力な国家をつくろう」とする中で、だんだんと思い上がりが生まれて、そうした「謙虚さ」はどんどん失われていった気がします。そして今、日本人は何も悪いことをしてないとか、謝れと言うなんて反日だとか言う人が増えてきている。本来、そこでちゃんと誤りを認めて謝れるのこそが日本人だと思うんですけどね。

想田
 最近、橋下(大阪)市長の従軍慰安婦をめぐる発言が波紋を呼びましたけど、その議論の中でも、彼の発言を擁護して「過去の戦争を侵略だと認めるのは自虐的だ」「売国奴だ」という声が、けっこう聞かれましたよね。それは鈴木さんからすれば、本当の意味の「愛国」とはいえない?

鈴木
 だって、個人だっていっぱい失敗もあるし、「あのときああすればよかった」ということはたくさんありますよね。集団だったらなおさらですよ。それが一点の過ちもなかったかのように言い張って、過ちを指摘することが反日だなんて、おかしいですよ。それなら「自虐」のほうがずっといい。
 「謝れというなんて自虐だ」という人の中には、自分自身は普段弱いけれど、国家が強くなったら自分も強くなれるかのように錯覚している人が多いような気もします。それがそもそも間違っているんですよね。

●「富国強兵」から抜け出られていない日本

想田
 いま、明治維新以降に思い上がりが生まれてきてしまった、とおっしゃいましたけど、たしかにそのころから、日本はどんどん「日本的」じゃない方向に進んできてしまった、そしてその延長上に今があるんじゃないかというのは僕も感じます。
 例えばTPP。普通に考えれば、あれは日本には相当不利な条約です。TPPに参加すれば、農林水産物の4割くらいは駆逐されてしまうといわれていて、ということは僕たちが慣れ親しんできた田園風景も破壊されて、国土も荒れてしまうだろう。日本はさまざまな面で主権行使さえできなくなるかもしれない。そんな条約であるにもかかわらず、世論調査ではTPP参加を支持する人のほうが多いという結果が出ていますよね。
 なんでなのかなと考えていたんですけど、当然ながらTPPに参加すると、得もいっぱいありますよという宣伝がされているわけですが、その「得」って何かというと、関税障壁がなくなるから外国に進出しやすくなるということですよね。つまりTPP賛成派が多いということは、自分もそれによって得をする、収奪される側ではなくて収奪する側になれると期待している人が多いのかなという気がしてきて。それって実は、明治時代の「富国強兵」と同じ発想なんじゃないかと思ったんです。富国強兵も、産業を興して軍隊を強くして収奪する側に回るぞっていうことですよね。その路線が敗戦後も払拭しきれず、潜在的に残されているから、これだけTPPに対する受容的な雰囲気があるのかな、と。

鈴木
 原発もそうですね。あれだけ「危ない」とわかっていながら、よその国に輸出しようとする、それでもみんな何も言わない、という。

想田
 日本の精神、日本的な美徳の一つだったはずの「謙虚さ」にも大きく反しますよね。

鈴木
 明治維新以降も、日清戦争くらいまではまだ謙虚な部分があったと思うんですけどね。日露戦争で勝った――本当に勝ったかどうかは別にして、勝ったということになって、そこから思い上がりが生まれたんじゃないですか。あんな不利な状況でも勝った日本は神の国だ、と。そこから、アメリカと戦争するときも、「我々は神の国なんだから」と、精神力だけで勝てるかのように暴走してしまった。今もだんだんとそうなってるんじゃないかと思うことがあります。

想田
 『坂の上の雲』がブームになったりするのを見ていても、あの日露戦争「勝利」の時期に、すごく郷愁を覚える人はいるんだろうなと感じますね。
 でも、よく考えたらおかしな話ですよね。日清も日露も、勝った戦争は私たちの中にどちらかというと「いい戦争」のイメージがある気がする。一方、負けたアジア太平洋戦争は「悪い戦争」というか、基本的にネガティブなイメージ。勝った戦争はいい戦争、負けた戦争は悪い戦争と、そういう感覚がどこかにあるんでしょうか。

鈴木
 僕らが学生のときも、右翼学生は「次の戦争で勝てばいいんだ」とよく言ってましたよ。

想田
 戦争ってそういうものなのかもしれないですね。橋下市長も、あの慰安婦に関する暴言の中で「敗戦国として、侵略したということは受け入れなくてはならない」と言っている。翻れば、同じことをやっていても勝っていたら侵略だと認めなくていい、ともいえます。

鈴木
 そうすると、もし日本があの戦争に勝っていたら、どうなってたんでしょうね。東京裁判じゃなくてワシントン裁判があって、アメリカを日本が占領して…そして、アメリカに天皇制を押しつける。今度、そんな映画を撮ってみたらどうですか。ドキュメンタリーじゃなくなっちゃうけど(笑)。

(構成/仲藤里美 写真/塚田壽子)



民主党政権の実績が凄すぎると話題に!天下り半減、実質賃金アップ、出生率が16年ぶりに1.6%増等など!

2014-12-12 04:14:50 | シェアー

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-4775.htmlより転載

民主党政権の実績が凄すぎると話題に!天下り半減、高校無償化、雇用保険拡大、GDP成長、実質賃金アップ、耐震強化、出生率が16年ぶりに1.6%増等など!

 

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*民主党
民主党政権時代の功績を振り返ってみると、高校無償化による学生の経済格差解消を始め、非正規労働者221万人に雇用保険の適用拡大をしたり、天下り半減、国家公務員の人件費約1割カット、中小企業の資金繰り支援、戸別所得補償制度の創設で農業を再生、「日雇い派遣」の原則禁止、児童扶養手当を父子家庭に拡大、大学授業料減免・奨学金制度の充実、1300万人分の年金記録回復、妊娠・出産時に家計を助ける出産一時金の引き上げ、小中学校の耐震化などがありました。

 


かなりの数を列挙しましたが、これは民主党政権時代の功績の一部に過ぎません。この功績の影響で民主党政権時代は出生率が16年ぶりに1.4%へ回復し、自殺者も15年ぶりに3万人以下となりました。大手マスコミや自民党寄りの方々は黙殺していますが、今の安倍政権よりはマシだと私は思います。

安倍政権は「少子高齢化対策を」とか言いながら、実際にやったのは外国人労働者を大量に受け入れる政策です。また、マンガやアニメの活用を掲げているのに、児童ポルノ改正案の時には二次元規制を入れようとしていました。更には賃金の上昇を宣言していましたが、これも実質賃金が1年以上も連続でマイナスになっています。

何処からどう見ても、民主党政権のほうが優秀です。私はまだ投票先を色々と考えていますが、このような情報を見る度に「自民党よりも民主党だな」という事を強く感じます。


☆民主党政権時代の実績
URL http://www.dpj.or.jp/article/achievements-of-dpj

引用:
子ども手当を経て新児童手当を創設しました
妊婦健診の公費負担継続不妊治療の助成を拡充
妊娠・出産時に家計を助ける出産一時金の引き上げを継続
待機児童の解消を目指して保育所等拡充、定員増を実現
一人ひとりに目が届く教育の実現に向けて教育体制を充実
子どもたちの安全確保へ小中学校の耐震化を加速
高校実質無償化で中退者が減少
生活保護の母子加算を復活・継続しています
児童扶養手当を父子家庭にも拡大しました
診療報酬2回連続プラス改定十分な医療体制を整備
大学授業料減免・奨学金制度の充実で学生支援
1300万人の年金記録を回復
医療先進国並み医師数確保へ医師不足解消の取り組み強化
戸別所得補償制度の創設で農業を再生
新たな雇用につながる法人税の特別税額控除を創設
派遣労働者の雇用環境を改善。「日雇い派遣」の原則禁止
非正規労働者221万人に新たに雇用保険の適用拡大
パート、派遣など有期契約労働者の不安を取り除く法改正
障害者虐待の防止、早期発見へ国や国民の責務を定める
無年金・無収入をなくすため高齢者等雇用安定法を改正 
国家公務員の人件費約1割カットを実現
貸し渋り・貸しはがし対策等を実施
中小企業の資金繰り支援のため補正予算で継続的に対処
中小企業の法人税率引き下げ
2030年代原発ゼロに向け新エネ開発・省エネ推進
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:引用終了
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☆天下り:政権交代後、半減 10年度462人- 毎日jp(毎日新聞)
URL http://bkuma.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20120608k0000m010121000c.html

引用: 
国家公務員の管理職以上の天下りは10年度に462人で、政権交代前の08年度(1236人)の約4割に減少していたことが7日、総務省の調査で分かった。鳩山政権が09年に閣議決定した天下りのあっせん禁止、独立行政法人役員への公募制導入が一定の効果を上げた形だ。
:引用終了