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【憲法】基本的人権がなくなる!? 自民党が削除しようとしている第97条

2014-12-25 12:35:42 | シェアー

http://matome.naver.jp/odai/2137187986019723901より転載

基本的人権がなくなる!?自民党が削除しようとしている憲法第97条

参院選を前に、自民党による憲法改正草案の内容が話題になっています。その中でも特にセンセーショナルに議論されるのが、「基本的人権」について定めた第97条。これが、今回の自民党改憲案では、まるごと削除されています。自民党は、「基本的人権」を否定しようとしているのでしょうか…?

更新日: 2014年12月10日

lessthanpandaさん

 

自民党による改憲案では、第97条がまるごと削除

日本国憲法 第97条は、日本国憲法第10章最高法規にある条文で、憲法の基本的人権の本質について規定している

「基本的人権」は、永久の権利として全国民に与えられたものである、としています。

自民党改憲案では、この97条が全部削除されている

2012年に発表された自民党による憲法改正草案では、この第97条が、まるごと削除されています。

第97条 条文

The National Diet Building stands in Tokyo, Japan, on Friday, Nov. 16, 2012. Prime Minister Yoshihiko Noda dissolved the lower house of parliament today after the upper house passed a bill to issue bonds to finance spending for the rest of this fiscal year, following a months-long impasse that left the government weeks away from running out of money. The election will be held on Dec. 16. Photographer: Junko Kimura/Bloomberg via Getty Images

【現行憲法】
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

【憲法改正草案】
(削除)

(※画像はイメージ)

削除すべきではないだろうと思う条文も納得がゆく説明も無いままに削除されては不安にならざるを得ない

草案を作成した自民党による、国民に対する充分な説明がないのも問題と思います。

自民党の #憲法 改正案は壊憲案。例えば、憲法第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は(中略)現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」を丸ごと削除しているとか酷いね reishiva.exblog.jp/20614991/ 

 

ジャーナリストによる意見。

なぜこんな大事そうな条文を…削除したのだろう?

97条削除の理由として、97条と11条の「重複」があげられています

ん…?内容が重複している条文が存在しているのか!?

97条は正直憲法の中でも存在意義があまり無い条文の代表例

前述の97条と、次に挙げる11条を比較してみてください。

第11条 条文

Photo by AID / amana images

【現行憲法】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

【憲法改正草案】
国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

(※画像はイメージ)

自民党憲法改正案で、現行の97条を削除したのは現行11条と内容が重複しているためで、11条が「国民は全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は侵すことのできない永久の権利である。」としています。

 

自民党・片山さつき参議院議員による改正案の97条削除に関する説明。

では、なぜ11条と重複した内容の97条が現行憲法にはあるのだろう?

日本国憲法があえて、重複をいとわずに、最高法規の章に基本的人権の条項を持ってきたのはなぜだろうか

11条があれば基本的人権は守られそうな感じがしますが、そもそもなぜ同じような条文が2つも存在しているのでしょうか。そこには何かしら意味はあるはず…?

沿革的には、総司令部から民政局長コートニー・ホイットニー将軍自筆の条文であるので残すよう懇願され、既に11条があるにもかかわらず条文として加えられたという経緯がある

コートニー・ホイットニーはGHQ民政局の局長時代に憲法草案制定会議の責任者として、日本国憲法草案作成を指揮した人物。GHQ案と日本政府案の間での幾度にも及ぶやり取りの結果、11条と97条が残ったという経緯があるらしい。

人権保障をこの憲法の最大の目的として設定し、過去の人間の努力でかちとられた成果を、現在に生きる者が守り、未来の人間に引き継いでいくことを、最高法規の章で再確認することは、決して過少に評価されてはならない

「第十章 最高法規 」は、97条から始まっています。
97条に明記されている、すべての人に平等に与えられた基本的人権という考え方は、人類が長い歴史の中で、時には血を流し、近年ようやく勝ち得たものなのです。
憲法の中の「最高法規」が、人権尊重を説くこの97条から始まることに、もっとも大きな意味があるとする意見も。

確かに97条は11条と内容は酷似しております。しかしだからといって、意味が「重複」しているわけではありません

97条という基本的人権に関する条文が削除された、という上っ面の事実だけで、云々を語ることは少々私たちには難しいことではないでしょうか。

割と重要な憲法問題だと思っています。9条や96条の話も大事だけど、人権というのは、けっきょく、こういう局地戦の積み重ねで得られたもの。「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であ」り、それが「過去幾多の試錬に堪へ」てきた(憲法97条)というのは、そういうこと。

 

法学者による見解。

現行の11条・97条のもとになったGHQ草案

Photo by Comstock / Comstock

第九条 日本国ノ人民ハ何等ノ干渉ヲ受クルコト無ク一切ノ基本的人権ヲ享有スル権利ヲ有ス

第十条 此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ永続性ニ対スル厳酷ナル試練ニ克ク耐ヘタルモノニシテ永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民ニ神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ

(※画像はイメージ)

改憲の真意の説明と、国民はそれを知ろうとする姿勢が大切

自民党は、去年まとめた憲法改正案の趣旨が国民に十分、理解されていないとして、国民の疑問に対応する態勢を整えたり、解説資料を新たに作成したりして、国民への周知を図りたいとしています

現行憲法も、自民党による改正草案も、ちゃんと概要を「知っている」と答えられる人はこの国にどのくらいいるでしょうか?
「基本的人権について定めた97条が削除!!」のように、一部だけを取り上げてセンセーショナルに騒がれるのは、現状では仕方ないことなのかもしれません。

今の日本に必要なことは、国民一人一人が憲法を知ることだと言うこと

先人たちが、どのような思いで現在の平和憲法を作り上げてきたかを汲み取り、憲法の内容を国民も充分に知識として持つこと。これがとても重要なことのように思います。

憲法を変えることがいいとか悪いとかの主張をする前に、まずは、今の憲法を読み、憲法を知ることが不可欠

議論の対象となる憲法そのものを知らなければ、結局は誰かの情報に流されてしまうだけです。憲法を変えるかどうかを判断するためには、自ら憲法を知ろうとする姿勢が必要です




安倍首相:長期政権樹立で改憲視野=第3次内閣は7例目

2014-12-25 12:33:58 | シェアー

 <憲法改正の手続き>

                                      byK・Mさんのフェイスブックより

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http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2014122300231より転載

長期政権樹立で改憲視野=第3次内閣は7例目-24日に首相指名

(2014/12/23-14:13)

 安倍晋三首相は24日に召集される特別国会で、衆参両院本会議での首相指名を受け、同日中に第3次安倍内閣を発足させる。

2度の衆院選を乗り越えた安倍氏は長期政権樹立を見据えており、悲願の憲法改正に向けた環境整備の前面に立つ考えだ。戦後就任した33人の首相のうち、第3次内閣までこぎ着けたのは6人だけで、安倍氏は7人目となる。
 安倍氏の在職日数は24日で通算1095日に達する。来年9月には任期満了に伴う自民党総裁選を控えるが、先の衆院選圧勝の実績を踏まえ、自民党内では再選は堅いとの見方が強い。安倍氏は衆院選後の15日の記者会見で、憲法改正について「国民的な理解と支持を深め、広げていくために自民党総裁として努力していきたい」と強調した。
 戦後、第3次以上の内閣を組閣したのは、吉田茂、鳩山一郎、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎の各元首相で、いずれも一時代を築いた。 
 吉田氏は一度退陣した後に政権に返り咲き、3度の衆院選を経て歴代最多の第5次内閣に達し、在職日数は計2616日に上った。安倍氏の大叔父の佐藤氏はこれを上回り、第3次内閣までで2798日と戦後最長を誇る。安倍氏の「政治の師」でもある小泉氏は2001年に就任後、03、05年の衆院選に勝利し、平成に入ってから最長の1980日を務めた。
 難しい政策課題での行き詰まりや国政選挙での敗北を機に、第2次内閣で幕を閉じる例も少なくない。安倍氏の祖父の岸信介氏は、日米安全保障条約改定に反発するデモ隊が国会を取り囲む中、条約承認案の自然成立を受けて内閣総辞職。再度、選挙に打って出ることはなかった。橋本龍太郎氏は1998年の参院選で大敗、投開票日の翌日に退陣を表明した。

◇戦後首相の在職日数上位10人    
    首相    在職日数  内閣 
 1 佐藤 栄作   2798日   3次 
 2 吉田  茂   2616日   5次 
 3 小泉純一郎   1980日   3次 
 4 中曽根康弘   1806日   3次 
 5 池田 勇人   1575日   3次 
 6 岸  信介   1241日   2次 
 7 安倍 晋三   1095日   3次 
 8 橋本龍太郎   932日   2次 
 9 田中 角栄   886日   2次
10 鈴木 善幸   864日   1次
(注)安倍晋三首相は24日の第3次内閣発足時




ヘイトスピーチ、闘う人々を描く ドキュメント映画完成

2014-12-25 12:33:04 | ご案内

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11518055.htmlより転載

ヘイトスピーチ、闘う人々を描く ドキュメント映画完成

2014年12月20日16時30分

 

人種差別をあおるヘイトスピーチに立ち向かう人たちを追ったドキュメンタリー映画「レイシスト・カウンター」が完成した。わたなべりんたろう監督(47)は「差別を目にしても、傍観するしかないと思っている人々に見てほしい」と話す。

 わたなべさんは東京在住の映画ライター。昨年4月からヘイトスピーチに抗議する活動「カウンター」に参加している。「多種多様な人々が差別に反対している。この現状を多くの人に伝えたいと思った」

 カウンターの参加者には、セクシュアルマイノリティーやK―POP好きの女子高生など、様々な人がいた。ジャーナリストの安田浩一さんや李信恵(リ・シネ)さん、国会議員の有田芳生さん、師岡康子弁護士ら計20人にインタビューし、映像をまとめた。現在、宣伝・配給と海外上映に向けた字幕制作の費用を、インターネットで資金を募る「クラウドファンディング」で集めている。わたなべさんは「人種差別や排外主義を決して許さない社会になってほしい」と話す。詳しくは、モーション・ギャラリー(https://motion-gallery.net/projects/rcounter/)まで。(伊藤恵里奈)

 


(言論空間を考える)拡散する排外主義 東島誠さん、白井聡さん

2014-12-25 12:32:35 | シェアー

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11516296.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11516296より転載

(言論空間を考える)拡散する排外主義 東島誠さん、白井聡さん

2014年12月20日05時00分

写真・図版  写真・図版  写真・図版

 

 ネット空間から「反日」や「売国奴」といった言葉が広がり、メディアにも登場するようになった。レッテルを貼り、排外的に攻撃する言動が拡散する背景には、何があるのだろうか。この国の歴史と言論をめぐる歩みから考えた。

 

 ■「江湖」の精神、取り戻そう 東島誠さん(歴史学者

 坂本龍馬が理想を求めて土佐を脱藩したときの出港地といわれているのが、伊予国長浜(現在の愛媛県大洲市)の「江湖(えご)」の港。本来の読みは「ごうこ」、もしくは「こうこ」です。

 江湖は、唐代の禅僧たちが「江西」と「湖南」に住む2人の師匠の間を行き来しながら修行した故事に由来します。一つの場所に安住することを良しとせず、外の世界へと飛び出すフットワークの軽さを表します。国家権力にも縛られない、東アジア独自の「自由の概念」といってよいでしょう。

 幕末を駆け抜けた龍馬の遺志を継ぐかのように「江湖」の看板を掲げたのが、明治期の言論界です。「江湖」を名に冠する新聞・雑誌が多数生まれました。当時は「官」に対する「民」、「国家」に対する「市民社会」が「江湖」でした。自由民権思想のリーダーだった中江兆民は、東洋自由新聞で読者を「江湖君子」と呼んで社説を書き、晩年は兆民自身が「江湖放浪人」などと呼ばれました。

 現代では「江湖」は全くの死語となりました。ネット空間においても、私は「江湖」の精神を見つけにくいと感じています。「江湖」とは正反対の嫌韓・反中やヘイトスピーチなど、排外的な主張があふれているからです。異論を述べると激しく攻撃され、排除される。ネットは人々を開くどころか、閉じる方向へと進める役割を果たしていると思います。

     *

 <力増す「対外硬」> ところが明治期を振り返ると、そこには「江湖」の精神が息づいていました。夏目漱石をはじめとする名だたる文豪が寄稿した「江湖文学」は、無名の読者に投稿を呼びかけて参加の場を開きました。同誌の仕掛け人、田岡嶺雲(れいうん)は、窮乏していた韓国(植民地支配以前の大韓帝国)からの留学生を援助するため、幸田露伴の妹、幸(こう)らの出演するチャリティーコンサートを企画し、「江湖」に対して義援金を呼びかけてもいます。

 しかし、「江湖」の精神は、日露戦争を境に退潮していきます。かわって政府の弱腰外交をたたき、外国への強硬姿勢を掲げる「対外硬(たいがいこう)」が力を増し、「下からの運動」が台頭しました。その頂点が1905年の日比谷焼き打ち事件です。ロシアに譲歩したポーツマス条約に不満を持つ数万人の群衆が日比谷公園に詰めかけ、暴徒化して内相官邸や警察署、政府擁護の新聞社を襲撃したのです。

 社会派弁護士の花井卓蔵らと超党派的な政治結社「江湖倶楽部(くらぶ)」を立ち上げた小川平吉は、早々に「江湖」の世界を離脱し、「対外硬」を推進しました。さらには政治家として、その後の韓国の植民地化や袁世凱政府への21カ条要求、治安維持法制定にも深く関与するに至ります。

 「江湖」が退潮したもう一つの理由としては、「江湖倶楽部」と共闘して社会変革に取り組んだキリスト教思想家、内村鑑三のような良心的な知識人たちが、時代の変化とともに内省に向かい、結果として積極的な外への発言力を弱めることになった点があります。

 かくして「江湖」は「対外硬」に負け、日本は戦争の時代に突入していきました。ネットの言論空間やデモで排外主義が吹き荒れる昨今の状況は、百年前の「対外硬」を思い起こさせます。

     *

 <新聞は「荷車」に> 現代のメディアに「江湖」の精神を復活させる道はあるのでしょうか。新聞社の主筆も務めた中江兆民は「新聞は輿論(よろん)を運搬する荷車なり」と語っています。私は「荷車」での運搬に汗する肉体労働、そのアナログ感が重要だと考えています。新聞記者は現場を歩いて、取材先の話を丹念に拾うことが大切だと思うからです。

 江戸時代に活躍した行商の貸本屋も重い本を何十冊も背負い、読者を訪ね歩く大変な重労働でした。彼、彼女らは書物だけでなく、様々な情報を直接人と会うことで媒介していったのです。人々と直接顔を合わせて交流するその様子は、現代よりもはるかに開かれた社会を感じさせます。

 希望や明るさが感じられない時代です。それでもまだ、考え、発言する自由は奪われてはいません。既存メディアは考えるための材料を汗して運搬することを、あきらめてはいけないと思います。(聞き手・古屋聡一)

     *

 ひがしじままこと 67年生まれ。聖学院大学教授。著書に「〈つながり〉の精神史」「自由にしてケシカラン人々の世紀」「公共圏の歴史的創造」。共著「日本の起源」。

 

 ■「大人」になり損ねた日本 白井聡さん(社会思想史家)

 「日本人は12歳の少年のようなものだ」。占領軍の総司令官だったマッカーサーは米国へ帰国後、こう言いました。では戦後69年を迎えたいまの日本人は、いったい何歳なのでしょうか。

 このところの「日本人の名誉」「日本の誇り」を声高に言い立てるヒステリックな言論状況をみていると、成長するどころか退行し、「イヤイヤ期」と呼ばれる第1次反抗期を生きているのではないかという感じを覚えます。

 中国や韓国は文句ばかりで生意気だからイヤ。米国も最近は冷たいからイヤ。批判する人はみんなイヤ。自分はなんにも悪くない――。どうしてこんなに「子ども」になってしまったのか。戦後日本が、敗戦を「なかったこと」にし続けてきたことが根本的な要因だと思います。

     *

 <欠けた敗戦感覚> 日本の戦後は、敵国から一転、庇護(ひご)者となった米国に付き従うことによって、平和と繁栄を享受する一方、アジア諸国との和解をなおざりにしてきました。多くの日本人の主観において、日本は戦争に「敗(ま)けた」のではなく、戦争は「終わった」ことになった。ただし、そうした感覚を持てたのは、冷戦構造と、近隣諸国の経済発展が遅れていたからです。

 冷戦が崩壊し、日本の戦争責任を問う声が高まると、日本は被害者意識をこじらせていきます。悪いのは日本だけじゃないのに、なぜ何度も謝らなければならないのかと。対外的な戦争責任に向き合えない根源には、対内的な責任、つまり、でたらめな国策を遂行した指導層の責任を、自分たちの手で裁かなかった事実があります。

 責任問題の「一丁目一番地」でごまかしをやったのだから、他の責任に向き合えるわけがありません。ドイツはいまも謝り続けることによって、欧州のリーダーとして認められるようになりました。それのみが失地回復の途であることを、彼らはよくわかっているのです。

 1990年代には、河野談話村山談話のように、過去と向き合う動きもありました。ところがいまの自民党の中には、来年、戦後70年の首相談話を出すことで、河野談話骨抜きにしようという向きもあるようです。

 河野談話の核心は、慰安婦制度が国家・軍の組織的な関与によって女性の尊厳を踏みにじる行為であったことを認め、反省と謝罪を表明した点にあります。この核心を否定するのか。ここまで来たら、やってみたらいかがですか。「内輪の論理」がどこまで通用するのか、試してみたらいい。

 国際社会は保育園ではありません。敗戦の意味を引き受けられず、自己正当化ばかりしていると、軽蔑されるだけです。

     *

 <「内輪」脱すべき> 「子ども」を成熟に導くには本来、メディアの役割が重要です。しかし残念ながらいま大方が「子ども」相手の商売に精を出している。「嫌中・嫌韓」本が多く出版され、テレビは「日本人はすごい」をアピールする番組を山ほどつくっています。

 メディアの非力さは、権力との関係でも露呈しています。新聞社やテレビ局の幹部が、首相とたびたび会食しているのはおかしい。民主制にとって決定的に重要なのは公開性です。そのような常識を、日本の政治家は欠いているのではないか。だから記者は政治家と個人的関係を築いて情報を得ようとし、「内輪」のサークルが出来あがる。

 衆院選投開票日の報道番組で、安倍首相がキャスターの質問に色をなして反論し、イヤホンを外すという一幕がありました。一国の最高権力者が、これほど批判への耐性が弱いことに驚きますが、裏を返せば、それだけメディアが首相を甘やかしてきたということでしょう。日本の政治にとってもジャーナリズムにとっても害悪でしかない、いびつな「内輪」文化を変えるべきです。

 日本は、戦後を通して「大人」になり損ねてしまった。先進近代国家になったつもりだったけれど、社会の内実はゆがんでいたという苦い事実をまずは正視するしかありません。それができないのなら、もう一度「敗戦」するしかないでしょう。(聞き手 論説委員・高橋純子)

     *

 しらいさとし 77年生まれ。文化学園大学助教。専門は社会思想・政治学。著書に「永続敗戦論」「『物質』の蜂起をめざして」、共著に「日本劣化論」。



「戦争史実、埋もれる」 731部隊めぐり情報公開求める女性

2014-12-25 12:31:31 | シェアー

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014122402000116.htmlより転載

「戦争史実、埋もれる」 731部隊めぐり情報公開求める女性

秘密保護法への危機感を訴える和田千代子さん=東京都小平市で

写真

 旧日本軍に細菌兵器開発をする七三一部隊があった、とされていることに関し、防衛省に情報公開請求を続けてきた女性が、特定秘密保護法に強い危機感を抱いている。来年は戦後七十年を迎えるが、政府は部隊の公表に真正面から取り組んでこなかった。「部隊に関する情報が『特定秘密』に指定されたら、今まで以上に歴史の事実が埋もれてしまう」と訴える。 (加藤文)

 情報公開を求めているのは市民グループ「731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会」で事務局を担う主婦和田千代子さん(66)=東京都小平市。

 和田さんは二〇一三年十一月、国(防衛省)を相手取り、情報公開請求訴訟を東京地裁に起こした。

 公開を求めたのは、一九五七年七月に第一号が刊行された、細菌戦に関する陸上自衛隊隊員への教育の際に参考とされたとされる部内雑誌「衛生学校記事」。この雑誌は、部隊の研究に取り組む大学研究者や市民の努力で一部が見つかっていたが、全容は明らかになっていない。

 郵便局に勤務していた和田さんは三十歳のころから反戦運動に関わり、その過程で部隊の問題を知った。九〇年代半ばには「七三一部隊が研究・開発したペスト菌などの細菌を散布され、被害を受けた」として、中国人遺族らが日本政府に損害賠償を求めた訴訟の支援に加わった。

 中国・浙江省や湖南省に足を運び、細菌戦の被害者らの聞き取り調査にも参加した。和田さんによると、被害地域の住民は結婚や就職などの差別を受けた。現地調査の際には「日本に謝罪を求めているのではない。原因が部隊によるものと分かるだけでもいい。日本で情報を集めてほしい」と託されたという。

 和田さんは提訴に先立つ一一年十二月、防衛省に情報公開請求をしたが、防衛省は一二年二月、文書不存在を理由に不開示とした。ところが、東京地裁に提訴後の今年九月、防衛省から、衛生学校記事の一部が防衛医科大学校(埼玉県所沢市)の図書館などで見つかったと連絡があった。

 二十五日午前十一時半から東京地裁四一九号法廷で開かれる和田さんの訴訟の次回口頭弁論では、国側から発見の経緯などの説明がある。和田さんは「見つかったのはまだ一部。すべてが公開されるまで、訴訟を続けたい」と力を込めた。

 <七三一部隊> 日中戦争下、細菌兵器の研究開発のため、中国東北部のハルビン市郊外に大規模な施設をつくり、捕虜にした中国人やロシア人らに生体実験を続けてきたとされる。政府は、敗戦直前に生体実験の資料が焼却されたことを理由に、どんな実験をしていたのかや被害の実態を明らかにしていない。