仁愛の心で生きるという事は、花火の様に一瞬の輝きではなく、谷川の流れの様に、絶え間なく人を優しく思いやって行くという事だ。
「自分は、どう死ねばいいのか」と、自分の死に方を考えておけば、それまで「どう生きるか」が分かる…という意見もある。
が、では「どう生まれたらいいのか」を考えて、この世に生まれて来たのであろうか。
人間は宇宙の生成力によって生まれ、命は自然に尽きて行く。
人は歳を取るに連れて、手足が不自由になったり、寝たきりになったりしてしまう。
「どう死ねばいいのか」などと考えた所で、自分が考えた様に上手くはいかない。
「死して後に已(や)む」。
それよりは、いざ宇宙からお迎えが来たら「貴重な人生を長い間ありがとう」と合掌する事だ。
次に「この世を去るのは寂しいが、自分がいつまでも生きていたら、周りの看病する人はおおいに苦しく、大変な事であろう」と、看病して下さる人の苦心を思いやり感謝して、宇宙の暖かい懐に抱かれて行こう。
「子、川のほとりに在りて曰く、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎(や)めず」。
孔子がある時、川のほとりに居て、流れる水を眺め、弟子たちに言った。
「死んで行く人はこの川の流れの様に、昼となく夜となく、どんどん逝ってしまう。そして、決して二度と帰っては来ない」。
孔子は、人の死を嘆いてこんな事を言っているのではない。
悲しみの言葉でもない。
二度と帰らぬ生命であるから、毎日を苦しみ悩んで生きて行くのを止めて、楽しく豊かに明るく生きて行く工夫が欲しい…と。