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爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

「何とかなる」と考える

2021-11-27 12:32:36 | 日記
思う様にならない。行き詰まる。

何をしていいか分からない。

こんな時に、悩みやストレスの重みに耐えられないと、「ああ、もうやめた」となる。

一休(1394~1481)さんは、この世を去る時、弟子を集めて「もし困った時が有ったら、この箱を開けなさい。ただし、本当に困った時にだぞ」と言って、風呂敷に包んだ大きな箱を置いていった。

弟子たちは、それから数年みんなで力を合わせて頑張った。

が、どうにもこうにも、寺の運営が出来なくなったので、その箱を開ける事にした。

その箱を開けると、また箱がある。

それを開けるとまた小さな箱がある。

いくつもいくつも開けていくと、最後にマッチ箱ぐらいの箱があった。

この中にどんな宝が入っているのか、弟子たちが恐る恐る小箱を開けると、クルクル丸めた小さな紙がある。

何だこれはと、紙をめくる。

「何とかなるよ」と書いてあった。

人生はどんな事があっても、何とかなる。

私は40歳の時に名門校を退職し、「心の教育」の為に独立し「道塾」を創設した。

誰もが、何故そんな馬鹿げた事をするのか、と笑った。

が、その通りだった。

「心の塾」などへ月謝を出して来る人は、いるはすがない。

家は借家だ。家賃が払えない。

米が買えない。

月に18万の赤字だ。

退職前は43万円も貰っていたのに…。

もうダメだ、と毎朝思った。

生まれて初めて借金をした。

開塾して三年間は玄米で一日二食にした。

ある日「なるようになれ」と思った。

いままで「失わんことを恐れ」ていたから、悩み苦しんでいたのだ。

「つぶれてもいい」と思ってやっていたら、いまは何とかなっている。






まずは「自分の非」を認める

2021-11-26 13:13:40 | 日記
宇宙の仁の心は、父の体内から数億個の精子が送られた時から、動き始めている。

数億の精子は、たった一つの母親の卵子めがけて、突進する。

まさに死に物狂いの戦いをして、たった一つ精子が母の卵子に入る。

もし貴方がトップではなく、二番手で突入しようとしたいたら、貴方はこの世に存在しない。

宇宙の仁の心は、その時から数億個の精子の中から貴方一つを見つけ、貴方をこの世に送り、貴方を慈しみ、貴方を愛し、貴方を育てようと決心したのだ。

貴方がこの世に出現したのは、偶然ではない。

宇宙の仁の心によって、選ばれた必然だった。

だから人は「三月仁に違わず」で、いつも思い通りの心を持っていたい。

誰もが宇宙の仁の心で、生まれてきた。

ならば、自分の事ばかり考えないで、たまには人の事を思いやり、弱い立場の人をもっと慈しんだらどうなのか。

孔子の弟子では顔回(がんかい)という人が三月、つまりいつもいつも仁の心で生き通したという。

まあ、そこまでとは言わず、一日に一回でも、一月に一回でもいいから…。

明治時代の話だが、日本橋を一台の人力車が走っていた。

が、出会い頭にボンとぶつかった。

二台の車夫は車から飛び出し、さっと頭に巻いてあった手ぬぐいをとって「ああ、私が悪かった。ごめんなさいまし」。

「いや、とんでもねえ、俺が止めねえからいけなかった。ごめんなせえ」と二人で頭を下げた。

宇宙に選ばれた貴い人間同士の「人を思いやる」美しい姿だ。





「和」を大事にする

2021-11-26 11:41:30 | 日記
「和を貴しと為す」ーー仲良くやる。

和やかに生きる。

世界で一番大事な事は、平和だ。

自分の人生で一番大事な事は、心の平和である。

人間の心の修行の最終目的は、みんなが心を平和にして、仲良く生きる事ではなかったのか。

二千年も三千年も前から「和」の大切さを、誰もが知っていた。

人間社会の理想は、世界も国家も個人も和やかに、和して生きていく事で有ったのに、何と今日は世界も国家も個人も、弱いものを潰して独り勝ちする事を得意とし、高い目標を掲げては競い争う、分裂と混乱の地獄となった。

自分の考えを大切にして、他人の考えは認めぬ。

他人の不幸に同情するどころか、むしろ喜ぶ。

自分だけが良ければ良い。

その利己的な考えが、実は自分の心の平和を蝕んでいる事に、一向に気づかない。

日本国最初の憲法(604年制定)のトップにも「和を以て貴しと為す」とある。

とは言え、人の中には利己的で破壊的な考えを持って、良民を痛め苦しめ様とする支配者もいる。

そんな時は和を破っても、決然と挑戦しなくてはならない事もあるだろう。

孔子自身も一生涯、あらゆる人と仲良く和せた訳ではない。

にも関わらず、孔子がなぜ和の世界を強調したのか。

争いの世界からは、自分の才能を伸ばし、自立的に努力する人格者を育てる事が出来ないからだ。

親同士や兄弟同士が、明けても暮れても大声を張り上げて喧嘩をしている家から、成熟した人は出てこない。









考え過ぎない

2021-11-24 12:57:47 | 日記
孔子の弟子に、季文子(りぶんし)という人がいた。

彼は幼い頃から学問に励み、沢山の知識を頭の中に詰め込んでいた。

彼は魯の国の家老(大勢の武士達をまとめる役)にまでなった。

そして、何か事件が発生すると、その解決の為に、自分が得た歴史や経済や哲学の学問を紐解いて、その才知を振り絞り、熟慮に熟慮を重ねた。

だが、なかなかうまく事件を解決する事が出来なかった。

季文子の周りにいた家老や重役が、不思議に思った。

「あんなに学識があり、事柄を細かく深く分析し、整理してから行動しているのに、どうして事件がなかなか上手く解決しないで、行き詰まってしまうのだろうか」…と。

李文子本人も、実はその事にひどく悩み、ある日孔子にこう質問した。

「私は常に『三たび思いて而(しか)る後に行』なっているのに…いや、三たびどころか、五たびも十たびも考え直し、練り直してから事を行っているのですが、なかなか思う様に事が運ばず、充実した結果が出てこないのです。なぜでしょうか」。

孔子は答えた。

「再びせば斯れ可なり」…と。

きみは考えすぎなのだ。

二度くらい考え直せば、けっこうだね。

あまり考え直していると、細かいところだけ神経が働いて、ものを大局的に捉える事が出来なくなって、現実的でない事をするから、事がうまく収まらないのだよ…。

あれこれと考えすぎているうちに、心配ばかり膨らんで、精神力が萎えてくるものだ。

頭ばかり使っていると、決断力がなくなる。実戦力も落ちてくる。

だんだん厳しい現実と、立ち向かっていく勇気さえ失ってしまう。

ことわざに「下手の考え休むに似たり」がある。

長い間考えるというのは、とかく時間の浪費で、何の効果もない。

まず、一歩思いきって踏み出す事だと。






「言葉」を大切に

2021-11-23 20:56:36 | 日記
中学校の校長室に、よく生徒の心得が書かれている。

一つ、自分の考えをしっかり持とう。

二つ、自分の考えを、うまく発表出来る様にしよう。

今の中学生は、実にうまくしゃべる。

私達の時代の中学生は、一般に人前ではそんなに上手く話せず、殆どがもじもじしていた。

自分の考えなど、あまり持っていなかった。

小学生や中学生が、自分の考えを強く持って、ハキハキと明確に発表する。

それはそれで結構な事である。

聞いてみれば、なかなか立派な意見を言うし、拍手も送ってあげたい。

しかし、彼等の考えにはまったく体験的な裏付けがない場合多い。

その考えが、現実的なものかどうか。

また、本当に自分の考えかどうかの自省が、まったく感じられない。

ただ聞きかじった物をまとめて、それを自分の「考え」と錯覚し、その通りに行かないと、プッツンする。

口先ばかりで、上手い事を言わせ様とする教育に、どれだけの価値が有ると言うのか。

「巧言令色、鮮(すくな)いかな仁」は、孔子の名言である。

巧言令色とは、人を上手くだます様な、ずる賢い発言。

とんでもない悪い事をしているのに、いかにも人の為になっている様な、見せかけだけの発言。

人を偽りあざむく発言をする者は、人間一人ひとりが、宇宙と一つの生命を持った、いかに素晴らしい存在かを知らない。

人と人とが出会うくらい、不思議な事はない。

いつ、誰と何処で出会うか。

そして、人は出会った全ての人と、交際をしている訳でもない。

人と人とが結び付く時、一番大切なのは言葉なのである。

初めて交わした言葉一つで、親しい友人となったり、ほとんど見知らぬ他人となったするからだ。