何年か前、東京の愛宕神社にお参りに行きました。
出世の石段を途中一度も休まないで一気に登ろうと思いました。
一緒に行った者が、何かあると大変だから、ゆっくり登るように気遣ってくれましたが
出世の石段を途中一度も休まないで一気に登ろうと思いました。
一緒に行った者が、何かあると大変だから、ゆっくり登るように気遣ってくれましたが
なんだか無性に一気登りがしたくて、頑張りました。
結果は、一気登り成功でしたが、少し胸の辺が苦しい感じもしましたが
頑張ったよな、って自分で自分に言いながら一人笑いをしました。
本殿にお参りしてから池の近くに行くと、結構な数の鯉が、足元に向かって集まって来ました。
どの鯉も私の餌をめがけて口をパクパクあけて必死でした。
しかし、私が餌を持っているはずがありません。
ですが、なんだか、この鯉たちに申し訳なく感じて、100円の餌を買い求めて鯉たちに振る舞いました。
彼らは、餌をめがけてもの凄い勢いで突進してきました。
弱肉強食、生き馬の目を抜くような光景でした。
そうこうしているうちに、どうしても餌にありつけない鯉が一匹いることに気づきました。
餌に食いつこうとすると、横から斜めからすばやい鯉が出てきてさらっていくのです。
その弱い鯉を発見してからは、どうしても食べさせたくて、もう一袋餌を買ってきて、その鯉をめがけて餌を投げ入れ続けました。
やっと、彼の口の中に餌が入ったので安堵して次のお参り処に向かいました。
出世の石段を一気登りできたことと、弱い鯉の口にも餌を与えることができたことで、ようやく笑い顔を復活させることができました。
結果は、一気登り成功でしたが、少し胸の辺が苦しい感じもしましたが
頑張ったよな、って自分で自分に言いながら一人笑いをしました。
本殿にお参りしてから池の近くに行くと、結構な数の鯉が、足元に向かって集まって来ました。
どの鯉も私の餌をめがけて口をパクパクあけて必死でした。
しかし、私が餌を持っているはずがありません。
ですが、なんだか、この鯉たちに申し訳なく感じて、100円の餌を買い求めて鯉たちに振る舞いました。
彼らは、餌をめがけてもの凄い勢いで突進してきました。
弱肉強食、生き馬の目を抜くような光景でした。
そうこうしているうちに、どうしても餌にありつけない鯉が一匹いることに気づきました。
餌に食いつこうとすると、横から斜めからすばやい鯉が出てきてさらっていくのです。
その弱い鯉を発見してからは、どうしても食べさせたくて、もう一袋餌を買ってきて、その鯉をめがけて餌を投げ入れ続けました。
やっと、彼の口の中に餌が入ったので安堵して次のお参り処に向かいました。
出世の石段を一気登りできたことと、弱い鯉の口にも餌を与えることができたことで、ようやく笑い顔を復活させることができました。
帰り途、この二つのことを思い出しながら、複雑な気持ちになりました。
一気登りをしようとしたのは、確かに私だけれど、これは明らかに「シニアの気持ち」とパラレルになっていたのです。
まだ、大丈夫。
まだ、やれる。
若くないけど、年寄りではない。
自分は、歳の割にはしっかりしている。
一気登りということは、実は、そういうシニアの気持ちがしでかした行動なのです。
この日、このとき、私は、シニアの気持ちを象徴していたのだと言っても良いでしょう。
また、弱い鯉の口にも餌を与えることができたという安堵感は
「健康・自立」のいきいきシニアが
一気登りをしようとしたのは、確かに私だけれど、これは明らかに「シニアの気持ち」とパラレルになっていたのです。
まだ、大丈夫。
まだ、やれる。
若くないけど、年寄りではない。
自分は、歳の割にはしっかりしている。
一気登りということは、実は、そういうシニアの気持ちがしでかした行動なのです。
この日、このとき、私は、シニアの気持ちを象徴していたのだと言っても良いでしょう。
また、弱い鯉の口にも餌を与えることができたという安堵感は
「健康・自立」のいきいきシニアが
「介護・依存」の辛いシニアに
『心の声かけ』をしていたんだと思います。
うまく表現できませんが
シニアの心身の現実をしっかり見据えて、koureibunka の活動に専念しなければならないと強く考えた日でした。
今日もありがとうの朝が来た
毎日がいのちのはじまり
生きていることにありがとう
尻尾ふりふり私のワンコにありがとう
こころ開いてくれる人にありがとう
二度咲きのバラや蕾にありがとう
今日は、ありがとうと言って生きていく
(くろほとき)
おはようございます。
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