17日、横浜市南区にある久保山光明寺の「お施餓鬼」出仕。
光明寺は私が高校、大学を含めて約十年間随身(僧侶としての修行)した寺である。師匠とも言うべき先代住職は平成16年に遷化。現在はご子息が住職を勤めている。
正式名称「吉上山 慈眼院 光明寺」
明治11年横浜の中心地における浄土宗の布教の精舎として、中区石川町に「鎌倉光明寺教会所」が建立されたのが草創。
横浜が都市として発展するのにともない、明治21年、横浜財界の重鎮だった吉田健三氏(吉田茂・元首相の養父)と上郎幸八氏が現在地を寄進。
吉田家を開基家、上郎家を準開基家として両家の一字をとって山号を「吉上山」と称する。
関東大震災や第二次大戦の空襲による倒壊や焼失を免れた本堂
書院外観
震災後、宮内庁より旧・小田原御用邸の御学問所が下賜されて移築した建物で平成17年、国の登録有形文化財に指定された。
書院内部
当日は襖をはずし、施餓鬼会参詣者の控室となる。
光明寺住職による法話 法要 導師・式衆入堂
導師(住職)による表白文(法要の主旨を述べる)の奉読
地蔵菩薩 県下最大級の木造の地蔵。江戸時代に作られ、昭和初期に秩父山中から光明寺に遷座された。
この碑は極東国際軍事裁判の結果、巣鴨刑務所で極刑死せられ、当地久保山で荼毘に付された東条首相以下60名(六十烈士)の忠魂碑。
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