仕事で大失敗をした
自分の責任による失態ではないが
取引先の資金不足を顧みない無謀な計画を見抜けなかったのは
どういわれても自分のミスとして責められるだろう
明日には社では詰問され、やがて処分されるに違いない
やけ酒を呑んで憂さを晴らすのは今夜しかない
港近くの安居酒屋で一人しこたま呑んだ
意識も朦朧としてきて店の中の灯りが揺れる
だが呑んだくらいでは収まらない
体の中と心の奥から
何かを壊したいような乾きが湧き出る
「助けてくれ」
思わず口に出した
「大丈夫ですか、お客さん、呑みすぎでは」
カウンターの向こうから店主らしき男が声をかけてくれた
「いや、大丈夫だよ、いや、大丈夫・・なんかではないんだ」
しどろもどろに答える自分にも腹が立つ
「もうお酒はちょっとお休みにしましょう」
男がそういって出してくれたのは熱いお茶だった
熱い茶が体の中を沁みわたる
やがてすうっと酔いが覚めてきたが
救いを求める気持ちは強くなっていく
「マスター、収まりきらない気持ちを治める方法ってあるのでしょうか」
カウンターの向こうで忙しそうにしていた男性は手を止めて
「少しは酔いが覚めましたか?」と聞いてくれた
「酔いは少し覚めたけれど、心がまだ収まらないんだ」
「どんな風にしたら収まりますかね」
逆に聞かれて少し戸惑う
「女の子でも抱くか」
冗談で言ったつもりだった
だが男性は少し難しい表情をした
「ちょっと、高いかもしれませんが」
などという
「高い?」
「相場よりはね」
「気持ちさえ収まるくらいいい感じの相手だったら・・」
「そうですか・・だったら」
男性は一瞬躊躇いながら、こういった
「いま、九時前ですから・・ちょうどいいですね」
「??」
「その先の、倉庫街、こちらから数えて三番目の倉庫の脇の街灯下で、黒っぽいワンピースを着ている女が立つことがあります」
「立ちん坊ですか?」
「その女はこちらからの要求には一切NOを言わず、間違いなく満たしてくれるそうです」
「その筋の女性って、結構きつい性格の人が多いような気がするけど」
「う~~ん、どうなんでしょう、性格はよくわかりませんが・・」
「怖いな」
「でも、その女の客になった人で、満足しなかった人はないという話ですよ」
やがて店を出た僕は、都市伝説のような女の話を完全に信じているわけではなかった
だが、会いたいという気持ちもある
その女に出会った男たちは、持っているものをすべて出し切って全く新しい自分になれるという
だが、店のマスターは、自分ではその女に会ったことはないそうだ
*****
店を出て海岸通りのほうへ歩く
夜とあって、作業する人もない通りは静まり返る
やがて倉庫街、反対側は真っ黒な海だ
三番目の倉庫、女がいるはずはないと、そんなものはただの都市伝説だと
想いながら通り過ぎようとしたその時
街灯の灯りからは陰になる倉庫の角で腕組みをした人影を見つけた
立ったまま煙草を吸っているようで、上質な煙草の香りが広がる
思わず近寄ったのは、まだ僕に酒の酔いが残っていたからだろうか
いつもの僕なら怪しい人影には近寄らなかったはずだ
「わたしに何か用ですか?」
暗がりの女はきつく問うように訊いてきた
僕にはシルエットにしか見えない
「ちょっと聞いたもんだから」
「あら、どんなふうに聞かれたの?」
女は倉庫の壁にもたれながら煙草を咥えている
顔を天にむけ、煙草の煙を吐き出す
上等な煙草の香りが広がる
「身体と心の中のものを出してしまいたい」
女の問いには答えず、僕は自分の頼みを言った
「身体の中のもの全部って良く聞くけど、心の中のものもっていうのは初めてね」
女は煙草をポケット灰皿にしまい込みながら僕の方を向いた
「ちょっと難しいご注文だわ」
「できないってことか」
女は頭を振る
「わかったわ、で・・いくらくれるの?」
「いくらならいいんだ」
「くれる額次第でサービスも変わるわよ」
「最高額は?」
女はふっと、天を見つめる
都会であり星は見えない、せいぜい水銀灯の灯りが目に入るくらいだ
「あんたは初めてだからさ、ちょっとマケてあげるよ」
そういって、右手の掌を僕に指し示した
「いつつか」
「それでいいわよ、ただし前払いね」
港ゆえ、抑えられた波の音が時折、ちゃぷちゃぷと鳴る
水銀灯が足元だけを照らす
女は僕の腕をつかみ、ゆっくりと歩く
煙草の香りが微かに漂う
******
連れていかれたのはビジネスホテルだ
それもかなり古びていて、女は正面からではなく裏に回る
「ショウコよ、いい?」
暗がりの中にあるインターフォンに顔を近づけ女は小さな声で囁くように名乗る
「了解、お疲れさん、五階の五〇一号室」
男性の声が微かに聞こえる、フロントだろうか
鉄の扉のロックが外れ、中に入る
従業員用のエレベーターで五階に上がる
また鉄の扉を開けると普通のビジネスホテルの廊下だ
一番手前の部屋のノブに、ショウコと名乗った女は手をかける
鍵はかかっておらずドアは簡単に開く
女が部屋の灯りのスイッチを入れる
ビジネスホテルにしてはソファや大き目のテーブルもある広い客室だが
ベッドが大きめでダブルのサイズだ
「よろしくね」
女が僕を見て改めて挨拶をくれる
髪の長い、大きな目のはっきりした顔立ちで美人のほうだろう
「一気に抱きしめて崩したい?それとも朝まで時間があるからゆっくり順番に進めようか」
耳元にくすぐったい息を吐きながら悪戯っぽく聞いてくれる
「押し倒して無茶苦茶にしたい」
「あら、結構、肉食系ね」
「今、身体と心の中には悪いものがいっぱい、溜まっているんだ」
そういった瞬間、僕は女の衣服の上から胸をわしづかみにした
大きな、柔らかい感触が掌を満たす
「一つだけ約束」
「おカネなら払ったじゃないか」
「ちがうわ、怪我をさせないでね」
「わかった」
「それと、服は破らないで・・」
「うん」
枕もとのスイッチで女は部屋の灯りを落とした
完全に消灯するのではなく、枕もとだけ僅かな明かりを残す
衣服を着たままの女を押し倒して唇に覆いかぶさる
僅かな明かりに耳朶のピアスが光り、女の息遣いが僕の息遣いと合わさる
女の口から僅かに煙草の香りがする
ゆっくりワンピースを脱がせ、黒い下着をとると豊かな胸が現れた
******
気がつくと眠っていたようだ
僕が目を覚ますと隣にいる女が僕の耳元に息を吹きかけてきた
「おはよう」
低い声で耳元で囁く
「ほんと、溜まっていたのね」
女はクスクス笑う
「まだ未明、三時だけどね」
「あ、おはようございます・・三時ですか」
明ければいやな会社に行かねばならないが、それにはまだまだ早い
「じゃ、今度はわたしから」
女は僕を浴室へ誘った
このホテルの浴室はかなり大きめで、浴槽も二人が一緒に入れる広さだ
そして女が僕を抱え込むようにして、浴槽につかる
女は僕の肩や背、いや、頭の先から足の先まであらゆるところをゆっくりと揉み解してくれる
僕は湯の温かさの中で女の優しくも的確な指や唇、身体の動きに恍惚として
為すがままにされている
今までこれほどの気持ちよさを味わったことなどあるのだろうか
「嫌なことがあったのね、ほんと、芯から凝り固まっているわ」
囁きながらあくまでも優しく、あくまでも官能を掘り起こすかのように
あくまでもゆっくりと・・湯舟の中での時間は流れていく
ベッドに戻ると、もう一度僕は眠りに落ち、やがて明るさに目が覚めた
ビジネスホテルゆえ、大きな窓から日が差している
起き上がると女は昨夜のワンピースを身に着け、微笑んでくれた
あの良い香りのタバコを燻らせている
「朝ごはん、用意したわよ」
テーブルには朝食が並んでいる
パン、サラダ、ハムエッグ、スープ、ヨーグルト・・簡単だがきちんとした食事だ
「これ、どうしたの?」
「ホテルの朝食セットよ、部屋にもってきてもらったの」
「いいホテルですね、ルームサービスがあるなんて」
「これは特別、お願いしたので・・」
明るい日の差し込む部屋で女と二人
ゆっくりと食事を摂る
パンをかじりスープを口に運ぶと涙が出てきた
「ありがとう」
女は僕を見つめ、ふっと悲しそうな表情をする
「これくらいで泣いてくれるなんて、あなたってほんと、辛い想いをしてきたんだね」
「辛いのかな・・僕の人生」
「たぶん、いろんな優しさが足りてないのかもね」
女は煙草に火をつけゆっくりと吸い込み、天井に向けて吐く
窓の外の明るさ、温かい珈琲の香り、そして柔らかな煙草の香り
僕にとってこの暖かさはここ何年も味わったことのないものだった
じゃ、またご縁があったら宜しく・・そんなことを言って女は僕に部屋の鍵をくれた
「これで、フロントでチェックアウトしてね、ただ鍵を渡すだけよ」
「フロントですか?」
「はい、そうすれば、貴方はただここに宿泊しただけのビジネスマンになるでしょ」
「あ・・なるほど」
部屋を出ようとして、ふっと女は立ち止まり、こんなことを言う
「そうそう、サービスはどれほどの点を付けてもらえるかしら」
僕はしばらく考えて「九十七点」と答える
「あら、満点ではないのね」
「残り三点はまた今度のときに、お願いしたいから」
「ありがと、九十点以上、つけてくれたお客さんは次も割引つきよ」
そういって、軽く目配せをする
そして女は部屋の扉を開ける
廊下に出るとすぐに女は手を振り、従業員以外立ち入り禁止の文字が書いてある扉を開けて消えてしまった
朝のフロントには背を伸ばして立っている男性がいて、鍵を受け取ると
「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
と慇懃に頭を下げた
自動ドアから外に出ると見慣れた街の風景が目に入る
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