story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

天保山にて

2021年08月17日 23時17分49秒 | 小説

気がつけば大阪メトロの電車に乗っていた
何故これに乗ったのかは自分でもわからない

神戸から阪神電車に乗り九条へ出て
メトロ中央線に乗ったのだ

俺はどこへ行こうとしているのだろうか
自分でも自分の動きは読めない
なぜだか、どうしても行かなければならない場所があり
そこへ行こうとしていることだけは分かるのだ

ただ、九条から中央線に乗ったことである程度の行き先は読めきた
・・俺は大阪港へ向かっている・・

そこは俺が小学生のころ住んでいた町だ
大阪港という地下鉄駅のその辺りは地名を築港といった
だが、当時の路線バスの行き先は「築港」でも「大阪港」でもなく
「天保山」だったはずだ

自分で自分がどこに行くのか分かっていないながら
やはり俺は大阪港駅で電車を降り、地下鉄なのに高架駅という不思議な駅の
不思議な歩道橋兼用の通路を北に降りた
この駅のコンコースでローラースケートをして、床のタイルに激しく音が反響し
駅員にこっぴどく叱られたなと思いだす

広い歩道を歩く
自分は明らかに目的をもってこの道を歩いているようだ

第四コーポと大昔の俺たちが呼んでいた古いマンションがあり
当時はもちろん、新築で、お金持ちの友達がそこに何人か住んでいた
そして今の建物はその生きてきた年月を感じさせるが綺麗に整備されている

道は天保山公園のところで終点となり
左手の海遊館前の道路のあたりに俺たち一家が住んでいたアパートがあったはずだ
当時も今も突き当りは客船乗り場になっているが
今は観光船くらいしかここに着船しないらしい

けれど俺はそのまま、自分の昔住んでいた辺りへは向かわず
右手の天保山公園へ入っていった

小学生時代に比すれば公園の木々は大きくなり
深い緑の豊かさが感じられる
そして、俺たちが小学生のころに
地下鉄掘削の残土で盛り上げられた天保山が目の前に見える
そう、天保山というがここが完成したのは昭和という事だ

俺は天保山には登らず脇のみちを行く
日本一、標高の低い山だという事になっているらしい
こんなところにあったかなと思うような公園の端っこに
渡し船の船着き場があった

たしか、昔はこの船着き場はもう少し手前にあって
当時は浮桟橋で、悪ガキ小学生たちは船が対岸の桜島を出て
此方に着くまでの間に桟橋を数人で揺らすだけ揺らして
船が着岸出来ないようにして、船頭が怒鳴るのを手を叩いて見ていたなと
ふと思い出し苦笑する

そのときだ
「大野君」
女の子の声が背中から聞こえてきた
振り向くと小学生高学年だろうか
紅いスカートの女の子が立っていて俺にきちんと礼をする

「俺は確かに大野ですが・・」
そう答えると女の子は嬉しそうにほほ笑む
「来てくれると思っていました」
だが、この場所で小学生に知り合いなどいない
「わたしを見て分かりますか?」
女の子は大人びた喋り方をする

たしかに風貌には見覚えがあった
可愛いおかっぱ頭の女の子
「思いだしてごらんよ」
偉そうに小学生から説教された気になる

風貌を思い返し、もしかしたら・・と五十年以上前の輪郭が浮かび上がる
「そう、おばあちゃんは顔に火傷の跡があったでしょう」
その言葉ですべて思い出した
可愛いが顔に少し傷の残る女の子、西川幸子を

「君は、西川幸子さん、さっちゃんの関係なのか」
女の子は「思い出してくれたんだ」と、喜んでいる
「わたしのお婆ちゃん・・」
「さっちゃんのお孫さんか」
「今日はね、おばあちゃんと、大野君の約束の日だったでしょ、おばあちゃんが、亡くなる少し前にわたしの耳元で「大野君との約束があるの」って教えてくれたその日だよ」
「さっちゃんは亡くなられたのか・・」
「うん、もう二年前にね」
「何十年も前の約束なんて、その大野君、覚えているかなって、わたし、訊いたのよ・・そしたら、これはとても大事な約束だからきっと彼はくるって」

秋の風が吹く天保山の岸壁
そこにあるベンチに、小学生の女児と並んで腰かけ
俺は海の向こうの桜島界隈を見ている
安治川という川のはずだがここはもう大阪港だ

約束・・・確かにそうだ
まだ小学生のくせに不思議に気が合ったさっちゃん
時には今、思い出しても赤面するような二人きりの怪しい出来事もあったりもした
あれは本当に小学生の頃のことなのだろうか

そのさっちゃんとお別れになったのは
小学生四年生の秋
わが家は泉大津への転居が決まり、
その日も学校が終わって天保山公園でさっちゃんと遊んでいたとき
「俺、泉大津に行くねん」と切り出した
さっちゃんは突然の報告に泣き出した
俺はさっちゃんを抱きしめた
「ね、ね、また会えると言って」さっちゃんはそうせがむ
「会えるわ、絶対」
さっちゃんの身体にはまだ胸のふくらみもなく、痩せた固い感触が蘇る

でも、そこでさっちゃんが出した約束に俺はどう答えていいかわからなかった
「じゃ、五十年後の今日、この場所でこの渡し船のところで」
渡し船が対岸の桜島から来るのを眺めながら二人で指切りをした
あまりに先の約束、あまりに遠い世界の指切りげんまんだと思ったものだ

多分その約束は、俺はそれから幾ばくもしないうちに忘れてしまったのだろうか
いや、あまりにも先のこと過ぎて思考の中に入り込まなかったのかもしれない

だが、さっちゃんは覚えていた
そして俺もまた忘れているはずだったのに、今日の行動はどうだ
朝から阪神電車で神戸を出てメトロに乗り換え、ここに来たのだ

「思い出した?」
少女が訊いてくる
「ああ、五十年後の指切りげんまん」
「おばあちゃん、その時まで生きられないの、すごく悔しがっていた」
「会いたかったな、さっちゃんに」

少女は少し悲しそうな顔をした
「ね、お嬢さん、なんてお名前なの?」
「わたし?東原さき」
「東原さんか、西川さんの反対やな」
「そうそう、不思議よね」クスクスと笑いながら
少女は「さき、ってね、幸せという字にのぞみってかくの」という
「のぞみ、希望の希かぁ」
「そう、おばあちゃんがつけてくれたんだよ」
足元の地面に俺は後ろの築山の枝をとって「幸希」と書いた
少女は嬉しそうに頷く
「さすが、大野君、大人ね‥」
もう、この少女に君付けされるのも慣れてきた

ここで話しているのは還暦前の萎れた俺ではなく、少女と同年代の大野君だからだ

「ね、おばあちゃんといろんな事してたんでしょ」
そう悪戯っぽく幸希は僕に訊いてくる
「あいつ、なにを孫に話しとんや・・」
飽きれながら少女の目を見る
「わたしともどう?」
その言葉に吹き出しそうになった
「いや、それは無理・・犯罪になるから」
すると少女は立ち上がり、体をくるくる回し、スカートをひらめかせる
「じゃ、十年後、十年後の今日、この場所で」
「ありゃ、わかったよ」
僕はそう答えて苦笑した
十年なら五十年先の約束より確実かもしれないが、俺はもう七十歳近くだ
相変わらず少女は体をくるくる回し、楽しそうに踊っている

向こうから渡船がやってきた


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