story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

もう一杯の水

2023年06月22日 19時31分56秒 | 小説

友人の金岡から「吉田に一寸、会って欲しい人がいる」とSNSで連絡が来た。
「そっか、ようやくお前も年貢を納めるか」と俺が返すと
「まあ、そんなところだ」と答える。
嬉しいことではないか。
仕事一筋、かといって器用な奴で、早くに両親を亡くしたが、一人暮らしの大きな家も片付いているし、料理でも洗濯でも大抵のことをやり遂げてしまう。
「お前は器用すぎて、嫁の来てがないのやろ」
仲間はそんな風に彼を揶揄うが、金岡だってもう五十代だ。
いつまでも一人という訳にも行くまい…
「だが、ちょっとお前を驚かせるかもしれない」
やつはそんなことを言う。
「なんだ、飛び切りの超美人で、二回りくらい年齢が下だとか」
「いや、そう言う事でもないのだ・・」
「よく分からんがまぁ、目出度いところだろ・・いいよ」と答えた。
「まぁ、慣れれば大丈夫だ」
まさか、猛獣と結婚するというのでもあるまいと、俺は笑いながら話を打ち切った。

約束は翌日の夕方、平日の町中のカフェレストランだ。
時間を見計らって店に入ると、金岡が向こうの方で手を振っている。
「待たせたな」
「いやいや、僕が先に来ていただけだ、いつも確実に時間通り、さすがは営業の鏡だな」
と金岡が言う。
彼の隣には誰も座っていない。
テーブルにはお手拭きと、水を入れたコップが二つだ。
「あれ?今日、彼女が来るのではなかったのか?」
俺が疑問に思ったことをそのまま口に出した。
「来るよ、だから四人で座れるボックスにしてある」
「なら、グラスは三つ必要だろう」
「いや、いいんだ」
彼は含みを持たせて頷いた。
何を考えているのか、そうか、彼女は自分が来た時に初めて持ってくるグラスでないと気持ちが悪いというタイプの人なのだろうか。
どうでもいい、彼の言うことに身を任せることにした。

やがて、金岡が店の入り口に向かって手を振った。
だが店の入り口、レジのあたりには女性店員が立っているだけで、その女性は金岡が手を振るのを不思議そうに見ている。
「あの店の子か・・」
「いやいや、違うんだ」
金岡はそう言いながら手を振る。
そして、「おうおう!ごめんね!!」などと言いながら誰かを手招きするような仕草をする。
「悪かったな、ぜひ君に会って欲しい友達で、一番の親友なんだ」
と、誰かに語り掛ける。
そこは俺の斜め向かい、金岡の隣の席だ。
だが、誰もいないし、声も聞こえない。
俺は、こいつはついに頭が逝ったのかと思ったが黙っていた。

「あ、すみません、もう一杯お冷ください」と金岡が店の子を呼ぶ。
ウェイトレスはちょっと怪訝な表情をしたが、すぐに新しいグラスに水を入れておいてくれた。
「吉田、ちょっと真面目に聞いてくれ」
「なんだ、誰もいないじゃないか」
「いや、いるんだ・・」
大真面目な顔でそう話す彼の顔をみて、何か裏があるのかと腹を決めた。
「ほう、ではどのような方がここに居られるのか」
「うん・・ちょっと目を瞑ってくれ」
と金岡が言う。
「吉田、今から言う頃のことを思い出してくれ」金岡が続ける。
「あれは僕たちが高校生だったころ、クラスの男子、みんなのアイドルだった女の子を覚えているか」
「ああ、確か、野村・・・怜子だったかな・・」
そう答えて俺は目を開けようとした。
「まだ目を瞑っていてくれ」
金岡がきつく言う。
「野村玲子のことをいくらでもいい、思い出してくれ」
「野村玲子?・・本当に可愛い子だったな、今ならアイドルで売れそうな・・」
「それで?」
「成績もよかったよな、俺は、学年で野村とお前には敵わないままだった」
「そうそうその調子」
「でも案外、運動は不得手そうで、体育大会の時にあの子が走る姿が一生懸命なんだけれども、くねくねしてて、それがまた面白いと言っては失礼だが、妙な色っぽさもあったな」
「う~ん、そう言う事もあったか」
「これでいいのか」
「いや、まだみたいだ・・・」
「まだ・・みたい?」
「そうそう、お前があの子に惚れて、ラブレターを書いたの知っているぞ」
「そんなこともあったなぁ」
「だけどラブレターを書いたのはお前だけかもしれんが、クラスの男子は皆、あの子が好きだったことは間違いがないな」
「ほかにもラブレターを書いたやつはいるけどね」
そう言って金岡が笑い声を発した。
「もういいか、目を開けて」
「もうちょっと待ってくれ」
「そうか、だが、なにがあったか知らないが、卒業してからの野村玲子には気の毒だったな」
「うん」
「俺の母親が野村の母親と付き合いがあったから、葬式の連絡が来た時、俺はまず一番にお前に知らせたものだ」
「うん・・」
あんなに可愛い子が、あんなに賢い子が、なんで自ら命を絶ったのだろう・・俺は今もあの事を思い出すとものすごく切なくなる」
「うん・・あ、そうか、もういいか・・吉田、目を開けていいよ」
俺は目を開けた。
金岡の隣にいつの間にか美女が座っていた。
知らない女性なんかではない、そこには三十年ほど前に他界した野村玲子が座っていた、
白いワンピース、カールした髪、大きな瞳の整った顔立ち、やや大人びた雰囲気だが、あの頃より少し成長した怜子の姿があった。
「え?」
「彼女が見えるには想いが必要なんだ」
金岡が言う。
「想い…」
「吉田君、お久しぶりです・・驚かれたでしょう」あの頃の声のまま、怜子が喋り掛ける。
「これは・・?」
「僕は野村玲子と結婚する・・いやもうすでに結婚している」
「いや、そんなこと言っても怜子さんは・・」
「そう、一度死んだ・・そして僕らとは別次元の世界に住んでいた」
怜子は俺を見て頷いた。
「怜子さん、どちらにいらっしゃったのですか?」
「わたし・・高校近くの線路際の神社の森に・・」
「あそこは、君が・・」
「そう、命を捨てたところです」
「現世への想いがどうしても残ってしまって、天上に行くこともできず彷徨っていました・・そうすると、あの事があってからほとんど毎日、金岡君が通りかかって声をかけてくれたの」
「僕の大学への通学経路、仕事場への通勤経路だったからな」
「毎日、毎日、怜子さん、どうしている?って、声をかけてくれた」
「僕は本当に怜子さんに惚れていたんだとあの時、気が付いたんだ」
二人の応酬はまさに青春時代の続きを見ているようで、あの不幸なことがなければ多分、今頃二人はこうして似合いの真っ当な夫婦だったのだろうなと思う。
怜子が言う「金岡君、時に「会いたいよ」ってあの林で泣くの」

「そんなことがあったのか」
金岡はあまり感情を表に出さない。
彼がそこまで怜子に惚れていたというのは俺は知らなかった。
怜子がしみじみとした表情で言う。
「ある時、深夜だったかな・・金岡君がいつものように通りかかったけど、少し酔ってたのよね‥きっと、「怜子さん、何が何でも会いたい、僕は地獄に落ちてもいい、今あるものを全部捨ててもいい、出てきてくれ」って、泣きながら叫んだの」
「いや、恥ずかしい話ですが・・」
金岡が頭を掻く。
「神社に居るほかのお仲間も、可哀そうよ・・あの人なんて言うものだから、じゃそこまで想いがあるなら、わたしの姿が見えるかなって」
「それで、彼の前に出てきてみたら・・」
僕は何か感動しながら口を挟んだ。
「見えたんだよ、怜子さんが・・」
金岡が感極まったかのように言う。

ちょうど彼の両親が相次いで他界した後のことだ。
深夜の神社の森、金岡はかなり酔ってそこを歩いていた。
踏切で貨物列車の通過するのを見て、「怜子さん・・」と呟いたという。
すると想いがどんどん大きくなり、それでも彼は周りを見渡した。
幸い、ほかに人の姿はない。
「怜子さん、何が何でも会いたい、僕は地獄に落ちてもいい、今あるものを全部捨ててもいい、出てきてくれ」
神社の森の上の方、真っ暗な木々とその上の星空しか見えないところで思いきり叫んだ。
叫んだあとは泣き崩れてしまい、そして、泣き止むと神社の石段に腰かけて呆然と本殿を見ていた。
すると闇の中にぼんやりと白い光が浮かび上がって近づいてきたという。
それは、近づくに従って人の形となり、女性であることが分かるようになり、その時はもう、金岡は疑わなかった。
「怜子さん!」
空間に現れた怜子はゆっくりと彼の傍へきて、彼を抱きしめた。
「ね、本当にわたしのこと、そこまで好きですか?」
間髪を入れず、金岡は叫んだ。
「他には何もいらない、ただ、怜子さんだけが欲しい、僕は地獄に落ちてもいい」

それ以降、怜子は金岡が一人で住んでいる彼の実家に住み着いて、身の回りの世話をしてくれているという。
彼の家が片付いているわけだ。

「ただね・・誰もが怜子を見られるわけではないんだ」
「それが想いという事か」
「そうだ、僕と同じか、僕以上に高校生の頃は怜子に惚れこんでいた吉田ならと思ってな」
「吉田君、わたしが見えるの、素敵です‥ありがとう」
怜子が俺に微笑みかける。
改めて、いい女だなと思う。
だが、俺には金岡のように、現実にあるもの以外を求めて思いを募らせるということができなかった。

食事が運ばれてきたが怜子は食べない。
ただ、グラスの水だけが少し減っている。
金岡は「遠慮せず食ってくれ、やっぱり吉田、お前を選んで大正解だった」
と上機嫌で料理を頬張る。
「怜子さんは召し上がらないのですが?」
「わたしは、食べるという事はもうできないので」
怜子はそう言ってクスッと笑った。

その夜は遅くまで歓談し、帰宅してから矢張り今夜の不思議な出会いを噛み締めていた。
「そりゃあ、生涯で最高に惚れた女と、もしかしたら永遠に生きられるんだから」
と思いながらウィスキーを嘗めていると「なんだか、今日はしみじみと嬉しそうね」
俺とおない年ですっかり年齢を重ねた妻が微笑みかけてくれた。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テレビ | トップ | 真夏の女性客 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事