静かな給茶室からはお城が見える。
陽は差さないがその分お城が順光になり
くっきりと石垣やその周りの緑、櫓と白壁の塀が鮮やかに
五月の空を背景にそそり立っている
この城には天守がなく、ただ石垣、櫓、土塀だけだ
城の外の堀には水が湛えられ、白鷺が遊ぶ
女は給茶室から城の風景を見ながら
さっき用意した会議室で
いつもの小田原評定が始まったのを廊下の足音で察知している
さ、そろそろいいかな・・・
女は自分用の珈琲を入れる
砂糖やミルクは使わない
「オジサンたちもこの珈琲を美味しく思ってくれるかな」
と苦笑いしながら一口、飲む
香りが立っている
「いいブラサンね」
軽い味わいと濃い香りに少しホッとする
さてと・・
自分のバックから消毒液を取り出し、制服の腕をまくり上げる
左の腕カバーを外し、そこへ消毒液を塗る
涼しい感覚が腕から全身に繋がっていく気がする
下腕にはいくつもの横筋がある
よく砥いだ肥前守を取り出して、その刃にも消毒液を塗る
明るい城が見える給茶室
女は簡便な事務椅子に座り、肥前守の刃を見る
よく砥いだ刃は、きらりと輝く
「ふう・・・」
ため息をついた女はその肥前守を自分の左腕にあてる
すうっと刃を滑らせた後に
やがて小さな血筋が浮き上がる
自分の血って、こんなにも赤いんだ
それはいつも思う事なのに、いつも新鮮でもある
また一筋、肥前守を走らせる
また一筋、血の筋ができる
それを五度ほど繰り返す
血の筋が乱れ、やや深く入ってしまったところから
血がほかの筋と混ざる
「そうね・・」
女は呟き、ペーパータオルに消毒液を沁み込ませて血をふき取り
軽く傷薬を塗りこむ
血が傷薬と交じり合う
そこに新しいペーパータオルを切って被せ、その上から包帯を巻く
また腕カバーを付けて「ふうっ」ため息をつく
「ワタシ、生きているんだな」
そう呟く
「またそんなことしてる、駄目だよ」
いきなり、彼女もこの人だけはと、この会社で信頼している営業部長の声がした
「あ・・」
「お茶が少し足りない、美味しい珈琲だったから同じものを、みんなにもう一杯ずつ頼むよ」
「はい」
彼女が答えた時には営業部長の姿はなくなっていた
それから数日後
たまに一人で行くマスターの店で会う男性とどうした訳か泊まることになった
彼女の腕カバーを「なんでいつも腕カバーをしているの?」
と不思議そうに聞く男性に
「わたしはこんな女なんです・・あなたもきっとこれを見ればわたしから逃げるわ」
そう言って腕カバーを外して見せた
何十本もの横傷が並ぶ白い腕
男性はそれをみて、彼女の腕をとり
その傷の部分を嘗めだした
「な・・なにをするの」
「いや、変なことじゃない、愛おしいんだよ」
男性がそう言いながら彼女の腕をしみじみ眺める
「この傷は自分の命を軽んじているんじゃなくて、命の不思議を魅せてくれたんだろ」
何も言い返せなかった
そう言えばあの営業部長も彼女の腕の傷を見た時に似たことを言っていた
「命って不思議だよね」
「でも、あまり傷つけちゃだめだよ、君自身が可哀そうだ」
男性に抱かれながら「営業部長さんに抱いてもらいたい」
そんなことを思う自分が不思議な彼女だった
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます