story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

夏参り

2022年08月18日 18時14分58秒 | 小説

旧盆の一週間ほど前、まだ列車も宿も空いているだろうと久しぶりに小諸へ向かった。
今回は上の妹が同行してくれた。
小諸は長野県東部、佐久地方、もしくはもっと大雑把に東信に位置する。

今回は祖父が菩提寺にしていた寺院と役所を回り秋に予定している墓仕舞いについての手続きを進める必要があった。
これらは郵送でも可能だったが様々なことが長野県と、地元兵庫県とでは異なり
文書での何度ものやり取りで時間を浪費いるわけにはいかず、それなら住職や役所の担当者の顔を見ながら書類を整えたほうがよかろうと判断してのことだった。

だが、神戸から長野県東部、いわゆる東信への交通費は高額だ
この高額な旅行を一時は10日ごとに実行したのは、一族の末裔としての自分の中にある本能がさせたのだろうか。

交通手段としても長野県では航空機は松本にしか空港がなく、そこから松本駅に出ても小諸までは2時間以上かかる。
航空機は大阪伊丹まで行かねば乗れず、松本までは小型機で便数もごくわずかだ
東信への所要時間は神戸の都心から5時間というところか。

東海道と北陸の新幹線同士の乗り継ぎだと、上田・佐久・軽井沢まで約5時間、速くて快適だが東京での乗り換えは恐ろしいような金額になる。
大阪からの「サンダーバード」で金沢へ行き北陸新幹線で上田、佐久という手もあるし、これも三度ほど使ったけれどもほかに用がなければ大阪へ出るのも面倒で運賃料金は東京経由ほどではないにしろ高額だ。

新幹線を名古屋で降りて在来線特急「しなの」にすれば所要時間は上田まで5時間半ほど、小諸まではうまく行って6時間だが、距離は短くなるし運賃・料金は東京や金沢回りよりは安くなる。
最初はこのルートをよく使った

僕はこのごろよく使うのは、神戸三宮から名古屋まで高速バスで行き名古屋から在来線特急「しなの」に乗り、長野から北陸新幹線で上田に行き、片道7時間半ほどの旅のあと、そこで宿泊するという手だ。
新幹線と「しなの」で行くよりは片道で四千円ほど安くつく。
小諸よりは上田で宿泊した方が、レンタカーもあるし手ごろな価格のホテルもある
そう、小諸駅前にはレンタカーすらないのだ。
(だが、小諸の落ち着いた風情にはいつも心惹かれ、泊まりたくなる街ではある)

結局、行きに一日、現地で一日、帰りに丸一日かかる。
21世紀であっても神戸から、たかだか500キロ先の長野・東信は遠いところだ。

今回も夏の盛り、名古屋までバス、そこから特急「しなの」で長野へ、長野から北陸新幹線自由席に一駅だけ乗って上田に泊まった。
新幹線と在来線特急の乗り継ぎ割引は、この場合も適用されるのが良心的だ。
それに妹とはいえ女性同伴だと、荷物の持ち込みやすさや、朝夕の化粧や着替えのことも考えねばならない。

ついた日は雨だった
本来、東信は雨が少ないのだが、こればかりは致し方ない。
ホテルは連泊にしていて、着替えなどは部屋に置きっぱなしにでき、翌朝レンタカーを借りて小諸に向かう
雨は上がっていた

ここでレンタカーを借りるのは、多分あと一回だろうと思う。
北国街道、国道18号を東へ走る。
夏の盛りなのに窓を開けると涼しい風が入り、田んぼの稲はすでに穂も出ている

横をしなの鉄道の電車が走り抜ける。
北陸新幹線が開業し信越本線がJRから分離され(つまりは捨てられ)地元自治体や経済界で第三セクターを作って運営している鉄道だ。
なかなか魅力的な電車が走っている。
本当はあの電車で行き来したいが、この後の予定を考えれば小諸駅について数か所の用事のある先を、その都度タクシーを呼んでというのは現実的ではなく、だから電車は使えない。
それに今回は時間が余れば回りたいところもあった。

まず、向かった先は小諸市内で最大ともいえる花屋だ。
叔母が住んでいた家のすぐ先にある。
朝の開店直後の花屋で墓参用の花を組んでもらうが、ここで花を買えなければ、お花なしの墓参という事になってしまう

そして、浅間山の方角に向きを変え、20分ほど坂を登る。
登るにつれて、坂の街から高原の田園へ、巨木の連なる山林へと周囲が変わっていく。
小諸は街自体が高原にあり、墓地はさらに高山といえる高さにある。
今日は浅間山が雲に覆われて見えない。

遥か下界に市街地が見える市営の墓地について墓の掃除をし、花を供え、線香に火をつける。
涼しい風が吹いている。
「叔母様、そろそろお手続きさせていただきます」
法華経を唱えながら、叔母に語り掛けてみるが墓がものを言うはずもなく、所詮は自分自身を納得させるためでしかないのはもちろんだが叔母がなにか言った気はした。

天気予報は雨だったはずで、だのに遥か下界が開け、空には濃い色の信州らしい青が広がり始めているのだから叔母が決して此度のことを反対してはいないと受け取ることができるのは今日の自分にとっては運が良いという事なのだろうか。

クルマを下界に走らせ、小諸市街のごく入り口付近にある瀟洒な寺院に入る。
祖父が栃木からここに移り住んだ時に自ら訪ね、檀家にしてもらったという寺院だ。

今、寺院はその時代の住職の孫が護っていて、既に本堂で三代目住職は用意を終えて待っていてくれた。

来意は前もって告げてあり、快く応対してくださる。
そして、もう一つ、住職に願っていたことがあった。
実は、今回は僕の少年期に亡くなった父の五十回忌という意味合いもあった。
「ようこそ、遠いところをおいでくださいました」
まだ若く、聡明な僧侶だ。
「仰られておりましたお父様のお塔婆、叔母様のと並べさせていただきました」
見ると、確かに父と叔母の戒名を書いた塔婆が並んでいて、それを見た瞬間、僕は泣きそうになった
「先生、これで、会ったことのない“きょうだい”が並びました」

会ったことのない「きょうだい」二人が、もし出会えていれば、お互いの人生がどれだけ変わっていたかしれない。
不運・不幸そのものでしかなかった父と、最期は寂しさの中で命を落とした叔母を思う。

いや、もし、祖父と祖母が別れなければ・・・
祖母は生前、「私の最も好きだった人」として祖父の名を教えてくれていた。
何故その二人が別れねばならなかったのか。

祖父は職業軍人だった、それはこの三年間で分かったことの一つだ。
幼くして両親に先立たれ、苦労の果てに軍人入りの道を選ぶしかなく、それゆえに、頑健な体と信用を得たようだ。
その頃出会った祖母は、北関東のドサ回りの一座の中で生活をしていたから、結婚などされ、一座から出ていかれては曾祖母が困るというのが二人が別れさせた原因だと聞いた。
この曾祖母が明治の「翔んだ女」だったらしく奔放すぎて嫁いだ先から飛び出したのが、わが家系の苦難の始まりだと僕は考えている。
もちろん、女性の生き方は自由ではあるけれど。

わが家系の元は栃木は佐野の豪農であるはずで結局、本家や生家に合わせる顔をなくし、というか出戻りなど認められない明治の家で、そこを子連れで飛び出し、ドサ回りの厄介になったという事なのだろうか。

ふたりの卒塔婆を見ていると、住職が「始めますね」という。
秘仏として金幕が下ろされている本尊の前には祖父、祖父の後妻である義祖母、義祖母の連れ子だった義叔父の位牌も並ぶ。
「一応、ご家族全てお越しいただきました」住職は恭しく頭を下げる。

読経が始まった。
般若心経がゆっくり、香が漂う本堂に穏やかに流れる。
焼香をし、住職のよく透る声を聴いていると、祖父が現れた。
「すまんな、ありがとうよ」
祖父の横に若いころの父と、若いころの叔母が並んでいる。
仲がよさそうだ。
「やっと会えたね、兄さん」
叔母が父に話しかけていて、そのすぐ脇で義祖母も義叔父もにこにこと見ている。

読経は法華経観世音菩薩本持品にうつり、住職に促され二度目の焼香をする。

一回目は父の五十回忌として、二回目は叔母のお盆の供養としてのものだそうだ。

僕の目には、本堂の中は大騒ぎになっているように見えている。
といっても、僕と妹と住職しかいないのだが、まるで幻灯機の映像のように、そこに現れた一家一族、祖母までが入り込んできた。
なんだか宴会のようなことになっているが、皆表情が明るく、祖母がにこにこしながら「ちゃんとしてくれたね~」なんて言っている。
大阪に長年住んだ祖母だったが、言葉は最後まで関西弁にならず関東のものだった。
この時には父方の一族が大勢総出でがやがや言ってる。

やがて、読経が終わり、住職は薬師如来の真言を唱え始めると現れた一家は静かになり、揃ってこちらに向かって頭を下げてくれる。

「よく、世間では回向といいますが、この回るという文字は、御先祖への供養をすることで、それが現世の我々、あるいは子孫末代まで回っていくという事を意味しているのです。五十回忌をしてもらえる人というのは、多くはありません。ですが、それをなされ、そこで家族・兄弟の繋がりを蘇らせたというのはすごいことだと思うのです」
僧はしみじみ語ってくれた。
この人は、名刹の僧にありがちな上からの視線というものを感じない人で、その言葉一つ一つには納得してしまう力を持っている。

「しかし、賑やかでした」
僕がそう言うと、「感じられました?ですよね、ほんと皆さん出てこられて」住職が笑う、不思議な人だ。
妹も同じことを考えていたそうだ。
「兄ちゃん、これは、すごいことをしたかも」と真顔で言う。

「こうちゃん」
片付けをしていたら叔母が呼ぶ気がする。
そちらを向くと「あとで一寸だけいいことあるわよ」と悪戯ぽく笑って消えた。

寺院を辞し、小諸市役所に行く。
ここから市役所まではクルマで数分だ。
寺院でもらった書類を出して墓仕舞いのまず第一段階の手続きを願うが、担当の女性がちょっと後ろを向いて、そこに居た人にひそひそと耳打ちをする。
ややあって叔母の後輩だったという人が窓口に出てきて「手続きを進めてくださっていたのはあなたでしたか!」と手を取ってくれた。
二十分ほどで書類の作成、手続きを終えた。
役所の駐車場は安いので、そのままクルマを停めさせてもらうことにして前に二度入ったお気に入りの、お昼、それも売り切れるまでしか営業しない蕎麦屋に行く。
幸い空いていて、香りのよい旨い蕎麦を腹いっぱい食べることが出来た。
これは「一寸いいこと」なのだろうか。

蕎麦を食っただけでクルマを駐車場から出し、小諸を後にする。
今からなら時間が取れそうなので思っていたことを実行することにした。
国道18号、ここからは佐久往還といわれる道をひたすら南へJR小海線に沿って走る。
途中から無料の自動車専用道路があり淡々と走りながら過去二回、小海線から見た景色を道路から見る。
今日は八ヶ岳も山のてっぺんが雲に覆われている。
「浅間山も八ヶ岳も見えてくれないか」とすこし落胆する。

高規格道路は途中までで、山間の曲がりくねった道になり、そこを過ぎると高原の畑ばかりの風景になった。
野辺山駅前で休憩して、列車で通った時に降りられなかったのでリベンジを果たす。
駅前で国鉄最高地点の写真を撮り、保存されている機関車「高原のポニー」に挨拶をする。
妹はアイスクリームが旨いと喜んでいる。
そして、山梨県に入り、今は北杜市となった長坂から白州へ・・

叔母の亡くなった釜無川沿いの田んぼはすぐに見つかった。
ここは今回の一件の二回目の時に訪問したところだで、そこで妹と祈りを捧げた。
今度はそこから山林を超えた先の小学校近くの畑へ、山の中の道は通れないので幹線道路で迂回して向かう。

叔母のクルマが山に突っ込む事故を起こし、そこから深夜に叔母がふらふらと何かに追われるように入り込んでいった場所も前回は来られなかったところだが、すぐに判明し祈りを捧げる。

そのあと、ほんの少し、途中にある行きたかった美術館に立ち寄れ、館長さんも在館しておられたのは「一寸だけいいこと」だったのか。
この美術館は妹には内緒で連れて行ったので、非常に喜んでくれた。

そこから高速道路ばかり突っ走り山梨県西北部・諏訪、塩尻、松本など長野県中央部から姨捨、長野をぐるっとまわり、上田に帰ったら走行距離は230キロにもなっていた。
上田市内は結構渋滞がひどかった。

駅前には人が多く浴衣を着ている若い人もたくさんいる。
上田は小諸と違い、元々華やかな町だがこの日は三年ぶりの花火大会があり、それゆえ道路渋滞に気を付けてと、朝にクルマを借りた時にレンタカー会社の係の人から聞いていた。
花火か、人混み迄見に行く気はしないねと妹と話しながら、駅近くの中華料理屋で思わぬ旨いものを食いホテルに戻った。

もう空は暮れかけている。
神戸と比べると一時間近く、太陽の動きが早いようだ。

妹とはもちろん別の部屋で、エアコンのスイッチを入れる。
下のコンビニで買ってきたビールを飲もうと栓を開けると、どど~んという音が響いた。
驚いてカーテンを開けて窓の外を見ると、正面やや右に大輪の花火が上がっている。
花火はいくつもいくつも上がり、上に上がるものだけではなく、下の方で滝のように火を流すもの、まるでロケットの航跡のようなまっすぐな線が幾本もクロスするもの、その間にも上空には大輪のさらに大輪、大輪の中に模様を描くもの、まるで宇宙船のような可愛い形の花火など息をつかせず上がる。

「これは・・」
「こうちゃん、言ったでしょ、一寸いいことって」
いつの間にか部屋に入っていた叔母が悪戯っぽく笑う。
「これは想像もできなかったですよ」
僕は感嘆して花火を見る。
叔母は暫く一緒に眺めていたはずだったが、いつの間にか姿が消えている。

不思議な縁は確かにあった。
このホテルになったのは泊まりたい別のホテルがいっぱいだったから止む無くで、いや、上田に泊ったのも本来は小諸に泊まりたかったのに諸般の事情で、時間がこの時刻になったのはレンタカー会社の営業時間と、渋滞があるからと前もって教えてくれた係員の言葉から。

そして、僕は窓際のベッドに寝転がって缶ビールを飲んでいる。
花火は時折、煙が流れるのを待って小休止する。
部屋のテレビは地元ケーブルテレビにしていて花火の実況中継迄ある。

冷房の良く効いた部屋で寝転がってビールを飲みながら華麗な花火を眺めるなんて人生で初の経験だ。
僕は人混みが苦手だから、普段は花火大会の傍には寄らず、遠くから眺めるだけだ。
それがこの大輪だ。
「花火すごいね~」
妹から感嘆したようなメッセージが送られてきた。

これは、まさに叔母がくれたお礼なのだろうと思うことにした。
「こうちゃん、ありがとうね」
花火の大輪の向こうに叔母が笑っている気がする。

 


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