深夜、最終電車の行ってしまった後、そろそろ社へ帰るかと、俺は運転しているタクシーを会社の方向に向けた。
今日の売り上げは良くはないが、さりとて悪くもない。
日曜であることを考えれば“こんなもの”だろう。
それより、早く帰って一杯やりたいものだと、神戸と明石の間の国道を走る。
帰っても一人暮らしの公団住宅には猫しかいない。
ふっと、インパネの脇にあるアプリの端末が光っているのに気がついた。
「配車があります」
そこを押して確認する。
場所の案内のあと、シゲノタクヤ様、年齢40代、男性・・・
深夜時間帯、大人の男性と言えば酔客かぁと、この頃、酔客のトラブルが増え気味で、いささか辟易していたが了解と押してしまった以上、行かねばなるまい。
そこから3キロほど先、
自社のタクシーも常駐する大きな駅のすぐ近く、裏通りだ。
なるほど、タクシー乗り場に行くのも面倒で呼んだなと思う。
こういうとき、駅に常駐しているタクシーはまず、アプリのお客を迎えに行かない。
電車は終わっていても、そこで待っていれば駅前の繁華街からやってくるお客が勝手に乗ってくれるのだ。
駅の裏手、呑み屋街から少し離れたところが指定された場所だ。
喧しいだろう、酔客を待つ。
バックミラーで後ろから白く薄く、全身を覆いカーディガンを着た女性が近づくのが見える。
アプリの登録者は男のはずで、女ではない。
だが女性は俺のタクシーに近づいてくる。
本能的にジャパンタクシーのスライドドアを開ける。
「シゲノです」
女性は言う。
可愛い声だ。
「こんばんは、お呼びいただきありがとうございます」
「では、このタクシーでよろしいのですね」
女はそう言いながら乗り込んでくる。
「あ、スマホで配車依頼をされた方が男性で在られたのですね」
俺は女を見ながらそう確認する。
「そうなんですよ、性別まで出るのですね」
長いカーディガンの下はミニスカートで、白い足が見えている。
髪は金に染めているが、化粧はおとなしめで、そして受け答えの歯切れの良さはそのまま、頭の良さを示しているのだろう。
とりあえず、俺は酔客の中年男性でないことに意外な気はしていたが、今宵最後の客としては良いほうになるだろうその女性にホッとしている。
「どちらまで行かれますか?」
「三宮なんです」
神戸の都心だ。
「では、いまからだと国道を一直線でよろしいですか?」
「国道でも高速でも構わないですよ」
「わかりました、では道路状況を見て決めますね」
「はい、宜しくお願いします、うちは旧居留地なんですよ」
「わかりました、ではその辺りのホテルを目指していきますね」
「はい、お願いします」
俺はアプリ端末に声でその近隣の名門シティホテルの名を告げた。
端末はすぐにその場所を示してくれる。
クルマは深夜の国道を走る。
平日ならこの時刻、夜間走行する貨物車ばかりだが日曜の深夜、月曜の明け方はそういうトラックは少ない。
速度の出すぎに注意しながら、淡々と先を目指す。
「今日はお忙しかったですか?」
女性が可愛い声で訊いてくれる。
「いえいえ、やはりコロナ禍のあと、なかなか前のようには戻らないですよ」
「タクシーさんもですか、ほんと、お国は何をやっているのやら」
「政治家さんも必至だとは思うんですけど、とにかくこう、方向性がたびたび変わるんではね」
「ですよね~またこの頃感染者が増えてきたそうですし」
クルマは海岸線に沿って走る。
大阪や堺の工業地帯の灯りが遠くに見える。
すぐそばの鉄道線路を貨物列車が俺のクルマよりずっと速く走り抜けているが、向こうも日曜の深夜、積み荷のコンテナは少なそうだ。
「あまり飛ばさないでくださいね」
女性はそんなことを言う。
「私は基本、流れ任せであまり飛ばさないです」
「そういう方が運転されると安心です・・時々、恐ろしいくらいに飛ばす方もあるので」
彼女がクルマを停めさせたのは、旧居留地にある高級ホテルのすぐ近く、これまた高級なマンションの前だった。
料金は7000円ほどと、高速道路通行料が600円ほどあったが、一万円札を出して「お釣りはいいですよ」と言ってくれた。
「領収書はお入り用ですか?」
「いえいえ、結構です」
そしてクルマの外に出ると「運転手さん、ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいね」とまで言ってくれる。
「いい女って彼女のような人を言うのだろうな」
俺は回送表示にしたクルマを走らせながら、なんだか心が軽くなるのを感じていた。
二週間ほどして、やはり深夜時間帯、アプリで配車依頼があった。
「オオスギトシヤさま、年齢40代、男性」
場所はニュータウンのはずれにある巨大マンションの駐車場とのことだ。
深夜とあって、マンションは眠っているように見える。
ただっぴろい平面駐車場で待っていると、水銀灯に照らされて女性がやってきた。
配車依頼は男性からだ。
柔らかな淡いピンクの長いカーディガンを羽織っているその女性は、タクシーに近づいてきた。
ドアを開ける。
「オオスギです」
と、女性が名乗る。
「あら、この間の・・」
そう、あの時も男性の名前で配車依頼した女性だ。
嬉しそうに「またお会いしましたね」という。
「今夜も男性からの配車だったので驚きました」
「あの時と同じですね」そう言ってクスクス笑う。
「では、この間お送りさせていただいた三宮でよろしいですか?」
「覚えてくださってありがとうございます・・宜しくお願いします」
後部座席に振り向いた俺は、またその女性の白く美しい足が目に入る。
この夜は二度目だからか、彼女も気安くなんだかんだと世間のことを喋り、クルマはあっという間に彼女の言う場所に着く。
「ありがとうございました、お気をつけてお帰りくださいね」
彼女はそう言って降りていく。
一万円を「お釣りはいいですよ」とそのまま渡してくれたのも前回と同じだ。
さらに一月ほどして、やはり深夜、アプリで配車依頼があった。
海岸沿いのリゾートマンションで、「ナカガミシロウ様、50代男性」とのことだ。
この日はなんだか、胸がときめいた。
もしかしてと思いもある。
果たして、リゾートマンションの玄関から出てきたのは、あの金の髪の女性だ。
この夜は水色の長いカーディガンを羽織っている。
「ナカガミです」
そう名乗る。
「こんばんは、またお会いしましたね」
「あら、この間の運転手さん」
彼女はそう言って嬉しそうに僕を見る。
「今夜は助かりました、なんだか疲れ果てて・・」
「何かありましたか?」
「いえ、仕事でね、ちょっとうまく行かなかったもので、このまま嫌な気分で帰るのかと思っていたので・・」
「そういう時ありますね」
「顔見知りの方が来てくださって、ほんと、わたしボロボロだったのが少し救われました」
「あらら・・」そう呟きながら俺はクルマを走らせた。
海沿いを走りながら、ルームミラーを見ると、彼女はぼんやりと海を見ている。
前2回のような明るい感じがしない。
「しかし、こんな深夜までお仕事されるんですね」
俺がそう言うと、彼女はしばらく考えてから、絞り出すように彼女は答える。
「わたし、最低の仕事しているんですよ」
「え?仕事に最低も最高もないでしょう・・最低っていうなら、私こそ夜に突っ走る籠かきみたいなもので・・」
そう言うと、彼女は少し笑ってくれたようだ。
「ね、運転手さん、このあと何時までお仕事されますか?」
「私ですか?今宵はこの仕事で〆にしますよ」
「では、今からわたしが言うこと、絶対に誰にも、例えば奥様にも言わないって約束してもらえますか?」
「あ・・はい・・でも私に妻はありませんから」
「あら、そうでしたの」
「十年ほど前に妻に追い出されました」
彼女はくすりと笑う。
「では、ちょっとお願いがしやすいかもですね」
そして彼女はやや間をあけて、こんなことを言う。
「わたし、コールガールなんですよ」
「は?」
「それも著名人専門の」
「そうなんですか」
この業界にいると大抵のことには驚かなくなる。
だがさすがにこの日の彼女のカミングアウトには一瞬たじろいだ。
「でも今夜の相手は酷くてね」
「酷い相手なんてあるのでしょうか」
「酔っぱらいの政治家、いや、政治屋」
「はぁ、まぁ、あの人たちにはチカラがありますもんね」
「でもね、わたしとの契約は、そういうことはすべてナシで、あくまでも大人として、というのが原則なんですよ」
「なるほど・・」
クルマは海岸通から高速道路へ入っていく。
「それがね、なにが気に入らないのか、おまえなんか告発して潰してやる、って喚いて」
「それは変ですよね」
「で、今日はおカネもいいですから、もうこれっきりにしてくださいって」
「なるほど、お仕事がうまく行かなかったって言うのはそういう事だったのですね」
「そう、こういうときは、自分が好きな相手と寝てからやり直すの」
「はぁ」
「運転手さん、わたし、あなたの人柄が気に入っているの」
「それはどうも、ありがとうございます」
「だから、今夜、相手してくれませんか?」
後部座席の美女と、なるほどそれは結構よいことだとは思う。
だが、俺はまだ仕事中で、明け方にはクルマを会社に返さねばならない。
「あのですね」
俺はひどく狼狽えながらやっと言った。
「はい?」
「私、午前4時までにこのクルマを社に戻さねばならんのです」
「あ・・ごめんなさい、今日の話はなかったことにして」
「いや、とても嬉しいお話で、クルマを返してからではだめですか?」
「え・・」
「朝4時にはクルマを返して始発電車で参りますので」
彼女は笑い出した。
「変な人・・」
「そうですか?」
「断られるのかと思ったら」
「いえ、そんな・・勿体ない」
やがてクルマは彼女の高級マンションの前で停まる。
「じゃ、これで」
前2回のように一万円札を出してくれた。
「いいですよ、これは私があとでお世話になるし」と俺は辞退した。
「いいえ、お仕事の分はお仕事の分、朝からのはわたしの勝手ですから」
彼女はそう言ったあと、小さな声でこういう。
「午前6時ちょうど、ここに来てください、もちろん、お仕事ですから多少遅れても構いませんよ」
「はい、畏まりました」
妙に丁寧に俺は答えてクルマを社に向けて走らせる・・
数時間後、約束をやや遅れて俺はそのマンションの前に着いた。
あの彼女は、楽そうな淡いピンクのスウェット上下を着てマンションのロビーにいた。
自動ドアから入ってきた俺を優しい表情で見つめてくれる。
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