story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

鬼無里(きなさ)の姫 (紅葉狩伝説異聞)・・・2

2020年04月14日 05時38分38秒 | 小説

*(七)戦

 

村上天皇は四十七歳で崩御され、冷泉天皇の御代になった。

だが、天皇親政を目指し、宮中の倹約に努め、財政再建を志向した村上天皇に対して、後継の冷泉天皇には気の病があったとか、あるいは奇行をする人であったとか言われていて、政治面での活躍というものは後世にはあまり残らない。

在位期間が二年にすぎないが、上皇として五十年余り君臨した形になっている人物である。

 

春先のある日、皇家に相続争いによる諍いがあり、その際に乗じて謀反の疑いのあるとされるものを処断し終え、天皇はふっと側近に漏らす。

「もう、この国には大きな諍いはなかろう」

「そうであれば喜ばしいことです」

側近は畏まって答える。

「何か物足りぬの、鬼でも退治したいものじゃ」

「鬼と言えば・・・」

「あるのか」

「もうずいぶん以前になりますが、源家に入りこんだ鬼女が、その目論見を叡山の医僧に見透かされ、信濃へ配流されたということがございました」

「おうおう!」

御簾の向こうで膝を叩く音がする。

「その鬼女は退治されたのか」

「いえ、配流された先で子をもうけたとは聞いておりますが・・」

御簾の向こうで大きなため息がする。

「はぁ、なんじゃそれは・・これまで何をしておったのか、直ちに国司に命じてその鬼女を退治させよ」

「確かに、今も時折、周囲の里に略奪に出るようです」

「略奪に出るというのは民が困っておるということであろう、それでは朝廷の権威も保てぬではないか」

「は・・しかし第六天魔王の化身とも噂される鬼女でございますし、平将門の残党と組んでいるとも言われておりますゆえ相当な覚悟が要りましょう」

「将門の残党か、ならば余計に退治せねばならぬ。武士なんてものは戦で命を懸けるものよ」

「はっ」

「大軍を差し向けよ。こちらの威勢に驚いて逃げ出すやもしれぬ」

「はっ」

側近はあわただしくその場を出ていく。

 

その頃、信濃守に任じられていた平惟茂は、まさか天皇の勅書をいただくとは夢にも思わなかった。

だが、命令は「平信濃守惟茂 信濃国戸隠にて悪事を働く鬼女とその一党を退治せよ」となっている。

間違いなく紅葉のことだ。

 

命じられた以上は行くしかない。

だが、その前に追討軍が行くことを紅葉に知らせなければと、水無瀬の村長に手紙を書いた。

村長ならば手紙の裏に隠れた意味も理解してくれるだろうという想いがある。

そしてそれは、誰かに見られてもまったく問題のない文意ではあるが秘密裏に事を成してくれる裏のものに頼んだ。

 

「水無瀬村の主へ

この文は勅書を受けしものなる。

このほど、そなたの村にゐてひがことせん鬼女を退治に行くことになりき。

つかば、手早く戦のせらるるやうに要るものなどを調達したまへばや。出立は皐月になるかと思ふ」

 

手紙を受け取った村長は来る時が来たと覚悟を決めた。

だが、勅書とはどういうことなのだ、この地方を勅書によって引っ掻き回すということであろうか。

 

村にとって紅葉の存在は大きく、村人への読み書きなど学ぶ機会を与えていたり、彼女の医術の知恵でも村はずいぶん助かっていた。

病で苦しむものが減り、村には活気があふれていた。

 

さて、昨年に新天皇が即位してから、村長はあまりよい噂を聞いていなかった。

せっかく先が見え始めた財政再建は遠のき、裏切り者を処断するその勢いはすさまじいという噂もある

かつて、平惟茂が「都で何か異変があれば」と言っていたのを思い出し、すでに紅葉は荒倉山に拵えた山城に追いやってしまっている。

それはある意味では、村を、村と関係のない戦から守るための村長としての判断でもあった。

それでも・・どうにもならぬかも知れぬの・・荒倉山のほうを見て村長は呟いた。

 

荒倉山の頂辺り、自然の岩穴と簡便な建築を合わせた城に紅葉はいた。

地面に蓆を敷き詰めただけの間に合わせの城ではあったが、緑に囲まれ、鳥が鳴き、爽やかな風が通る。

「案外、ここでも、良きところよの・・」そう呟く。

そしてふっと呟くように言う。

「まもなくここを我らの討伐隊が来るという・・」

顔中髭まみれの男がさっと言葉を返す。

「姫様、我らがお守りするゆえ、何の心配もいりませぬ」

数人の男たちの代表のようだ。

その男は年齢は五十過ぎか、顔は浅黒く、ほとんどが髭に覆われていて、鬼武と名乗った。

かつての平将門の乱の生き残りだという。

「男はいざとなると役に立たぬもの、姫様、吾がお傍でお守りいたします」

苦笑しながらそういったのはまだ若くて顔は美しいが、身体は衣服の上からでも筋肉質が分かる女でお万という。

一夜に三十里ほども駈け、大木も軽々と持ち上げるという怪力の持ち主だった。

 

最初、紅葉の評判を聞きつけて、それほど美しい女であるなら、われのものとしよう、そう思って近づいた鬼武だったが、一旦は地獄を見てそこから起き上がった紅葉の気迫に押され、その博識と人柄に舌を巻いた。

わが女とする目論見は消え、彼は深く紅葉に傾倒するのである。

 

お万は村長に請われて紅葉に会った。

「周りにいるものが男ばかりだったら、あの紅葉でもさぞやむさ苦しかろう・・」村長はそう言った。

あらゆる学問に長じ、荒くれ者ですら味方につける女だというが、そのどんな知識も我が力には叶うものかと息巻いていたが、紅葉に会うとその境遇に深く同情し、彼女の良き相談相手ともなっていた。

彼らは地元の村人たちに恐れられている悪党だった。

いや、悪党にならねば生きていけなかった連中だ。

最初は郎党合わせても十人ほどだったが、鬼武を慕ってくる将門残党が増え続け、ついに五十名ほどになってしまった。

最初に搬入した食糧で足りるはずもなく、周囲の村に略奪に回る。

特に戸隠ではその被害が甚大だったというが、紅葉の指示で水無瀬にだけは立ち入らなかった。

 

五月の中頃、信濃府中に待機していた先遣隊は、信濃国司の軍もあわせて水無瀬を目指していた。

大きな戦も絶えて久しく、沿道の住民は目を見張った。

 

先遣隊が水無瀬の村へ入ろうと峠を越えたとき、思わぬ攻撃に遭う。

攻撃してきたものたちは、人数としてはそれほど多くはなかったが、山岳地形を利用し、慣れぬ都の兵は散々に翻弄され、命を落とすものが続出する。

今でいうゲリラ戦である。

相手は所詮は野盗の類でしかなかろうと、本隊が来るまでにはカタをつけてやると意気込んでいた先遣隊は統率の取れた攻撃にたじろぐ。

やむなく先遣隊はいったん戦線を下げて本隊の到着を待つしかない。

惟茂の率いる本隊が刻々と進軍してくるという情報は、水無瀬の村にも届いていた。
大将は先ごろ信濃守になった平惟茂だという。

村長は不思議に惟茂の気持ちを思いやる余裕があった。

 

「あのお方も大変だのう。よりによって紅葉追討の大将を任されるとは」

やがて、安曇野の方角から大軍勢が村に入り込んできた。

軍の中ほどにいた惟茂は村長の家に入る。

「ここは、われ一人でよい」部下にそう言い、彼は一人で家の中に入る。

 

応対した村長は彼の眼を見る。

「ご苦労様なること・・」

惟茂は軽く会釈をする。

「ところで、紅葉どのは何処に」

気が急くという風に惟茂は村長に尋ねる。

「荒倉山におります。あまりの山奥、村人でも道に迷うこともあり、野盗の類が出ますところゆえ、ご案内は致しかねますのでご自分たちで探されればよかろう」

「うむ・・だが・・」

「だが・・なんなのでしょう」

「なぜに紅葉どのは会津へ帰らなかったのか」

「都へ、息子を連れていきたかったのやもしれませぬ」

「息子、あの時の赤子か、息災なのか」

「少々、気の弱いところがございますな・・ゆえに此度は潜んでおります」

その息子を探し、紅葉の前に突き出せば、紅葉はおとなしく降参するだろうかとも思う。

だがそこで惟茂はかぶりを振った。

・・紅葉のあの性分、あの知識、息子が捉えられているのを知れば降参するより歯向ってくる方を選ぶだろうが、その時には甚大な被害も覚悟しなければならぬ・・

 

そのころ、大軍勢が次々と村に入ってくるのを見た紅葉の母である花田は、自分たちが村に迷惑をかけたと、その思いに耐えられず首をつっていた。

祖母の死体を見つけた息子の経若は悲嘆にくれた。

母は罪人として咎を受け、さらに母を追討する大軍勢までもが組まれてはるばる都や信濃府中からこの村にやってきている・・その現実は気の弱い彼には耐えられないものだった。

だが、彼は武士の子と、将軍の子であると母に言い聞かせられていた。
一応、太刀の使い方なども学んではいたが、自分から勇んで戦うなどとは夢にも思えなかった。

そんな経若が太刀をとった。

祖母の死体を見て彼なりに怒りを感じたのだ。
そして、村へ進軍する兵士の列へいきなり向かっていったが、兵士たちはまさか少年が自分たちに歯向かうなどとは考えず、一瞬、様子を見ようとした。

「何奴、止まれ!」
先頭の兵が叫んだ。
だが、兵士に向かって少年は太刀を振り上げてきた。

本能的に兵士は太刀をあわせ、少年の太刀を吹き飛ばし、そして少年を肩から一気に切り下げた。
兵士の列の前で、経若は血にまみれて息絶える。
僅か十四歳であった。

息子と母が亡くなったことを聞かされた紅葉は深い悲しみに気がふれそうになる。
怒り狂い悲しみに泣き叫ぶ、だが、この報いだけは惟茂に味わさせねばならぬと自らに言い聞かせ、怒りをさらにを奮い立たせる。

「吾は鬼であった覚えはない、だが、今こそ吾が鬼女となって見せよう」紅葉はそう誓う。

兵法の心得もあり、ゲリラ戦でも鬼武と協力して指揮にあたっていた紅葉は、仲間を指図してさらに大規模な山岳戦の準備を進める。

鬼武が戦をするらしいと噂が広まり、さらにかつての彼の仲間である将門残党が集まってきていた。

 

そして惟茂の軍勢が荒倉山に入る。

山は地形が複雑で大木がうっそうと茂り、地元のものでもよく迷う。

その道を散々に作り変えているものだから軍勢はなかなか先へ進むことができない。

先でとどまる兵士を後のものが押すものだから、どうしても山中で団子のような状況になってしまう。

 

谷あいで道に迷い、固まってしまった兵士の頭上から油が撒かれ、さらに火矢が飛んでくる。
火矢にあたったものは炎の塊となって焼け死んでいく。

そして逃げるにもその方向すらわからず、慌てるだけの兵士の上に山の上から巨岩が落とされる。

その惨状を見た惟茂は、先に酷い目に遭った先遣隊のものに問うた。

「これは、人のなせる業か、それとも、紅葉はやはり鬼だったのか」

「鬼です、我らのような軍勢を散々に打ち負かすのですから」

死んだ者、傷ついたものが原始林の中に転がっていた。

 

翌日、本隊の一部は、さして水量のなくなった川の流れを足掛かりとして山の奥へ向かう。

だがこのところ、あまりにも川の水量が少ないことに村人が気づいていて、何人かの兵士に変だということを伝えたが、血気に流行る彼らはそれを上層部に伝えない。

いや、村人の懸念を聞いた指揮官もあったのだが「雨が降らぬゆえだろう。むしろ好都合だ」などと取り合わない。

人の通る道はすべて敵の攻撃範囲であり、道に詳しくない部隊としては最適であるとしたうえでの作戦だった。

 

大人数が渓流に入り、登っていくと、やがて大きな水音が聞こえる。

その音はどんどん大きく、近くなっていく。

危険を察知した指揮官が「引け、脇の山に入れ!」と叫ぶが兵士には何のことだかわからない。

 

次の瞬間、谷を覆い尽くすほどの水が兵士たちを襲う。

その濁流は岩や川岸の樹々、草などあらゆるものを巻き込みながら大人数の軍隊を襲った。

 

その少し後の時刻、村にほど近い本営では、目の前に轟音とともに突如現れた異様な光景に、そこにいた者たちが震撼していた。

川が濁流となり、大量の倒木の流れの中に死体となった兵士たちが挟まっているのだ。

惟茂は震えた。

彼とて数多の戦を経験してきた強者であったはずだが、この悲惨は未だ経験がない。

濁流はそのまま村の中心へと、下流へと流れていく。

川の水は泥と血の色に染まる。

もはや、何人の兵士が命を落としたのかさえ見当もつかない。

 

 

*(八)信濃府中

 

 

惟茂は一旦兵を収めた。

このまま突進しても兵を損ずるだけだと判断したのだ。

平将門の残党もあるという水無瀬の村人たちの動きも気になる。

負け戦ばかり見せてはいられない。

 

緊急の際の備えにとその分だけの兵を残し、府中に向かう。

そこで彼は斎戒沐浴し、地元の天台寺院で祈りを捧げる。

何日か苦悩の祈りが続いた後、僧が彼の様子を見て語り掛ける。

「ずいぶん、難儀いたして居るようじゃ」

「はっ、誠に恥ずかしながら」

「平様は、その戦のお相手になにか想いを持たれているのではないかな」

「いいえ、さようなことは・・」

「想いを持たれているがゆえに、自分では戦線に立たず、配下の者を指揮いたして居るように伺えるが」

「いえ・・それは戦略であり、われは総大将ゆえ」

 

「御本尊をごらんなさい」

僧は観世音菩薩をさした。

「いいお顔をされておられるでしょう、優しげなお顔を」

「そういわれてみれば」

「観世音菩薩さまは唐の国では女人であるといわれておるそうじゃ」

「女人でございますか」

「今の敵も女人よの。女人ならば仏様のような優しげな心で自ら向かえばどうじゃろう」

「戦場で優しさなどが通用するのでございましょうか」

「優しさの中に強さも潜んでおるはず」

「紅葉に優しく近づけと・・」

僧はかぶりを振る。

「もちろん、うかうか近寄って射殺されたら、それでお仕舞じゃ。要は心ではないかの」

「心でございますか」

「仏様は悪鬼にも仏性が備わると説く、鬼にも鬼の兵士にも、貴殿の部下たちにも仏性が備わる、それはそれは尊いもの、それが命じゃ」

「命を損ずるなと・・」

「さよう、どうすれば敵味方の命をなるべく損ぜず、この戦を終わらせることができるのかというところではないか」

僧の言葉には、仏門にいるものとしての惟茂への批判があった。

「女人というものは、時として悪鬼のような心根を出してしまうことがあろう」

惟茂は僧の顔を見ることができない。

僧は彼にこういって励ました。

「観世音菩薩普門品にはこうある・・若し、是の観世音菩薩の名を持つこと有らん者は設い大火に入るとも、火も焼くこと能わじ。是の菩薩の威神力に由るが故に」

さらに続ける。

「若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん」

確かに火に焼かれ、水に漂わされていたのが彼の軍隊である。

「平様も是非に、観音様のお優しい心と、強靭な力をもって、その敵というものに対峙してほしいものです」

僧は言葉を結んで合掌する。

 

 

自分の中では、此度の戦は勅書を戴いたからという気負いばかりで、突進することしか考えず、物事の本質を見極めていなかったのではないか。それでいて、号令さえかければ敵の首が取れるものとタカをくくっていたのではないか・・和尚のいう優しげな心とは敵にも味方に対してもということではないのか・・

いや、その前に未だ消えぬ紅葉への想いが足枷になっているのは間違いがなかろう・・

想いは憎しみに変わり、そのまま紅葉の気持ちを考えずに突進して多くの命を失わせたのはほかならぬ自分である・・

今一度、事の成り行きから見つめなおす必要があるのではないか?

 

惟茂は府中の宿舎に戻ってからも、誰も近づけず、考え込んでいた。

ふっと居眠りをしたその夢の中に、あの会津で出会った、まだ呉葉と名乗っていた紅葉の姿が映し出された。

磐梯山を背に、井戸で水をくみ上げていた美しい少女の姿がはっきりとそこに浮かぶ。

 

気は強いが優しい女を、あの賢い女を悪鬼に仕立てたのは誰だ・・・

夢の中の呉葉は、優しく彼を導いてくれた。

われは、あの娘になにかを与えたことがあったのだろうか・・

 

温かい夢から覚め、彼の頭は冴え渡ってきた。

 

 

*(九)鬼無里へ

 

 

朝、惟茂は軍勢を集め、改めて水無瀬へ向かう。

ただ今度は一気に山を登ることはせず、山へ入る道を広げることから始めた。

自らも先頭に立つ。

道は広げられ、大人数でも途中までは登れるようになった。

ついた先を切り開き、山中の野営とした。

 

そして可能な限りの荒倉山の登山口には兵を配して監視をする。

山を出てきた盗賊の類はすべて捕らえられた。

兵糧攻めである。

 

腰を据えていつ起こっても良い戦に備える彼ではあったが、それでも深夜など陣営が騒ぎになるような石矢の攻撃を受ける時がある。

「鬼たちは夜目も利くのか」

兵士たちが怖がりひそひそ話をしている。

「鬼などこの世にはおらぬ。ただ、人間には恐るべき能力を持ったものがあるということだ」

惟茂は兵たちを鎮め、「いましばらく様子を見る。手出しはするな」と命じた。

 

その頃、荒倉山の砦では深刻な食糧不足が起こっていた。

鬼武を慕って、平将門残党が山に集まってきていたが、その者たちを食わす手立てがない。

惟茂の兵糧攻めが功を奏してきていたのである。

紅葉の配下は時には盗賊に姿を変え、周囲の村や町を襲っていたが、それとて大軍の兵に要所を抑えられれば目的の場所へは大幅な遠回りをするか、彼らとて困難な山中の藪を抜けるしか手立てがなく、効率はぐんと落ち、思ったように食料を集められず、しかも出ていたものの多くが敵に捕らえられてしまう。

まもなく冬が来る、その前に何とかしないと兵たちの命すら維持ができなくなる。

・・村への道は完全に討伐隊で押さえられている・・

紅葉(もみじ)は、下界を眺めながらため息をつく。

鬼武が傍にいるとき、彼女は言った。
「もう、ここから先、あなたはこの戦場にいる必要はありませぬ。食べ物がなくて負けが決まっているように見えまする・・平将門様の意志を継がれる戦はここでは、もはやできそうもありませぬゆえ、どうかあなたの部下とともにここを離れて再起をかけては」
鬼武はじっと紅葉の瞳を見つめる。
「まだ、負けと決まったわけではないし、われは紅葉様をお守りするのが最大の仕事ですから、それができない限り新王様の意志を継ぐなどという大きな仕事もできないのです」
鬼武の言葉に紅葉は硬い表情のまま下界を見つめ、そろそろこの戦を終わらせないととも考えていた。

いつしか、山は見事な紅葉(こうよう)で染まる。

「この山は全山が真っ赤じゃな」
平惟茂がつぶやく。

だが、彼としてもそろそろ戦を終えないとこのまま冬へと季節が変わり、それこそ抜き差しできなくなると案じていた。

 

よく晴れた朝、惟茂は出陣を命じた。

彼は隊の前方にいて、用心しながら、道を切り開きながら前進する。

遠くに僅かに煙が見える。

「あれは朝餉の支度をしているのだろう。それにしても、か細い煙ではある」

その方向に向け、隊をいくつかに分け、山中をそろりそろりと進ませた。

 

草や虫にまみれ、蛇や蜥蜴、蜂に悩まされながら、討伐隊は砦に近づく。

 

物音を察した敵方から攻撃が始まる。

ある部隊には、目の前に女が現れ、矢を射ようとすると瞬時に居なくなり、そのあと、あらぬ方向から巨石が飛んできたということもあった。

だが、もはや敵方には前のような迫力はない。

敵の多くは腹が減っているのだ。

抵抗も散発的なものである。

 

惟茂は部下の中でも声の大きなものを呼んだ。

「紙を丸めて、口に当て、叫んでほしい」

そう言って都からの命令書を丸めながら部下に手渡す。

「なんと叫ばれますか」

「紅葉よ、惟茂はここにいる、そなたも出でよ・・とな」

言われた兵士は大音声で叫ぶ。

 

森の中から声がする。

その声はだんだん大きくなっていった。

何度も同じことを言う、「紅葉よ!惟茂はここにいる!」

 

お万がその方向に向けて石を投げようとした。

「待って・・」

紅葉はそれを制する。

 

「平惟茂、そこにいるなら一人で来い!」

紅葉はどこにそんな力があったのかと思うほどの大声で叫ぶ。

「吾も、周りのものには手出しはさせぬ!」

 

仲間を下がらせ、彼女は砦の前に立つ。

 

やがて、木々の間から惟茂が現れた。

惟茂が見えた瞬間、鬼武が太刀を振りかざす。

「あ・・」紅葉が声を発する前に鬼武は、脇から飛び出してきた兵士に逆に胴を斬られ、血しぶきの中で倒れる。

倒れ伏している鬼武の死骸を見下しながら、惟茂が紅葉に近づく。

紅葉は愛おしいものを見るかのように鬼武の死骸を見つめる。

 

惟茂は左右の兵士に下がるように命じ、紅葉の前に立つ。

「お久しゅうござる、紅葉どの」

惟茂は普段のような挨拶をする。

 

彼の眼の前にいる紅葉は少し痩せたが色香は変わらない。

幾つになるのだろうと考える前に紅葉が口を開いた。

「ほんに、かような山中でまた相まみえるとは思ってもおらなんだ」

紅葉が苦笑したかのように言う。

 

双方の兵が遠巻きに見守る。

鬼武の配下の者はまだ矢をつがえているが、惟茂の兵士もその矢に向けて矢をつがえる。

「戦場ゆえ、手短に話そう。この戦を終わりにしないか」

惟茂は一気にそこまで言う。

「何を言うか、吾はまだ負けていない」

「そうだろうか、だが、このまま冬を迎え配下たちを食わせる術はあるのか」

紅葉は惟茂を睨んだ。

「もうまもなく冬が来るぞ」

真っ赤な樹々の葉に囲まれた彼女は美しい。

 

「まだ、止めては駄目だ」

紅葉の後ろから声が飛ぶ。

「戦だ!」

「われはいくらでも戦える!」

仲間が次々叫ぶ。

だが、彼らの多くは傷つき痩せていた。

 

「静かに!」

紅葉が叫ぶと周囲は静かになる。

惟茂が続ける。

「我らは兵士が死んでもいくらでも、府中からも上田からも京からも兵士の増員はできる。だが、そちらには今いるものしか抗う術もなかろう」

「それは確かに・・」

「われの代わりだとて、都にはいくらでもいる」

「それも分かっている」

「兵に食わせるものはあるのか。略奪をしたのでは結局はその地の民から恨まれることになる」

そうだ、ここしばらく、まさにその兵糧のことで思い悩んでいたのだ。

今朝も僅かな分しか郎党に食わせてやることができなかった。

「もう、これ以上の命のやりとりは、そなたの本意ではあるまい」

 

暫くの沈黙の後、紅葉はきつい目で惟茂を睨む。

「言いたいことはわかった!」

紅葉はそう叫ぶ。

「われが憎いか。だが兵站の確保をしなかったのは紅葉、お前の失策であろう」

惟茂に指摘され、紅葉は彼を睨む。

「腹が減っては戦はできぬということだ」

惟茂はとどめを刺すように、諭すように言う。

紅葉は小刻みに震えている。

しばらくそのまま立ちすくんでいたが、やがて崩れ、泣き出した。

「吾は負けたということだな」

それでもなんとか言葉を絞り出す。

惟茂はさらに声に優しさを加えて諭す。

「戦で死なず、餓えで死ぬのは兵にとっては屈辱的なことだ。それも、まもなく来る寒い雪の中ということになろう」

 

反論したとて、何の意味もない・・そう観念した。

戦の上では惟茂のほうがはるかに上だったということだ。

 

「願いがある!」泣きながら紅葉は叫ぶ。

「なんだ、条件次第では叶えるが」

「吾の郎党たちの命を助けてほしい。そちらが望んでいるのは吾の首だけであろう」

「紅葉、死ぬのだぞ」

「吾の命など、あの、源経基さまに殺されかけた時に終わっていると思っている」

泣きながらも努めて冷静に紅葉は話す。

「分かった、約束する」

惟茂は瞬時に返答する。

本当はここで紅葉を抱きしめたい。惟茂はそう思うし、紅葉のほうでもあの胸の中へ飛んでいきたいという気持ちがわく。

だが、それはできない。

「首を撥ねるならここで撥ねよ。村人の目に触れられたくないのでな」

紅葉はそう言って座り込んだ。

「せめて平殿の手にかかるのであれば本望よ」

そう言って笑う。

真っ赤に染まった木々の葉が風に吹かれて舞い散るその時、紅葉の首は落ちた。

 

時に安和二年十月二十五日(西暦九百六十九年)紅葉はその三十三歳の短い生涯を閉じた。

 

 

*(十)終章

 

 

平惟茂は、紅葉の首は秘匿した後で会津に送り届け、代わりに両腕を村に建てた塚に収めた。

人には「さすが鬼、首を斬るとその首は西の方へ飛んで行ってしまいました」

と説明した。

その辺りには亡くなった敵味方の兵士の塚も立てた。

 

首が信濃から西に飛んだということは、それは都の方角ではないのかと人々の口に噂されるようになり、関連はあるはずもないが、その数十年後、都は大江山の鬼に悩まされることになる。

だが、その頃ですら、大江山の鬼と聞いて、都の中には戸隠の鬼女を思い出すものも僅かではあるが存在した。

朝廷はここでもその対応を誤ることになるのだがそれは後の話である。

何処も鬼などはおらず、悪党にならねば生きることのできない者たちの怨嗟が鬼の形になって見えたということに日本人が気づくのは近代になってからである。

 

水無瀬の村は「鬼がいない里」として「鬼無里(きなさ)」と呼ばれるようになった。

だが、その名を付けた村長には別の思いがあった。

「鬼などもとより無い里なのだ」と。

 

紅葉を支えた郎党はその場では命は助けられたが、いずれ平将門の残党ということもあり、多くのものがすぐに探され捕縛され、処刑された。

なかには、荒倉山を下りようとした際に脇に潜んでいた兵士に斬られたものもある。
それはすべて平惟茂の命令で行われた。

怪力無双のお万は、その後、戸隠の寺院で剃髪したうえで仏門に入り、やがて自らの命を絶った。

 

会津では送り届けられた紅葉の首級に、一族のものは泣き、石塚を建てたが京を慮り、その塚には文字を入れなかったという。

 

平惟茂は鬼女退治の功績から鎮守府将軍に命じられ、武士の最高権力者として活躍するが、最晩年、越後で病気になった。

彼の死期が近いことを知った彼の妻は、必死で彼のもとに行こうとしたが、間に合わないと思い込んで自殺してしまう。

死の淵に最愛の妻が来ないことを彼は覚悟していた。

「われは最も愛した女を自分の手にかけた・・これは紅葉の報いよ」と周囲のものに語ったという。

 

 

作者より:

 

紅葉狩伝説は有名な伝説ですが、話の大筋は江戸時代に能の原作として成立したものであり、そこでは紅葉は非常に悪い鬼として描かれ、今現在も能や謡曲、神楽で演じられるのはその話が前提になっています。

しかし、調べれば調べるほどに、紅葉という女性の悲しい生涯とそれを支えた村が今も名残を残していること、また、作者有縁の地である会津から見ても、なかなか興味深いお話であり、そこに自分なりの解釈を求めました。

 

なお、一般的な伝承には紅葉は元から鬼であり、会津の豪農を自分の分身を嫁がせ騙したり、魔力や妖術を使い人々や兵士を惑わせるということですが、平安期の権力者たちが関わって今の伝説の下地になっているとも考えられ、あくまでも一人の女性の悲しい生き様をその伝説の下に見た気がします。

なお、創作中、BGMとして西島三重子さん「鬼無里の道」、白鳥座のみなさん「鬼無里村から」を聴き、イメージしていました。

作中の絵は、磐梯山と紅葉は作者が撮影したもの 女性の絵はアニメ「かぐや姫」のものを参照しデジタル作画いたしました。

資料として「妙法蓮華経並解結」、ウェブページ「紅葉伝説考」「宮内庁天皇系図」「ウィキペディア」「鬼無里公式ページ」などを参照させていただきました。


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