コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
応援している清水エスパルスの試合の感想もお伝えします。

新たなステージ。桑名から歩きました。

2013-01-12 23:15:26 | 東海道
昨日の新年会のあと鈴鹿の姉の家に行き、今日は桑名から約3か月ぶりに東海道ウォークを再開しました。

いよいよ三重県を歩くことになり新たなステージに入りました。
朝、桑名の七里の渡し跡まで送ってもらいここから歩きます。8時から歩きましたが冬の工程は歩き出しが寒いので体が温まるまでは重装備(ちょっとオーバーですが)でスタートします。
3か月前名古屋の宮の渡し跡から当時は舟でここに渡ってきたんですね。船酔いの人とか海が荒れた時は大変だったのでしょうね。その場合は陸を歩いていたみたいですが、今回は東海道のルート重視という事で間の道はカットさせていただきます。
 

七里の渡し跡の近くに重要文化財の「六華苑」がありますが今日は朝早くて開いていないので次の機会にします。七里の渡は、ちょうど伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が天明年間に建てられました。
七里の渡し跡から桑名城の外堀沿いを歩きますが、桑名城跡は九華公園として整備されていますがここも今回はカットして先を目指します。


住宅街の中を道は何回か屈折しますが随所に石に東海道の案内があり間違えずに歩くことが出来ました。途中に寺の多い道を通って行きますが由来等は入口に説明が書いてあり桑名市の東海道に対しての親切さがうかがえました。


暫らく歩くと「矢田の立場」の案内板があり復元された火の見櫓もあります。


この後も何気ない道を歩くので退屈してきます。そのうちに員弁川にぶつかり立派な常夜燈があります。「伊勢両国常夜燈」というそうです。町屋川の舟運や東海道の通行客を相手とする茶店などで賑わった場所であり、この常夜燈ははその頃をしのばせるようで案内板も出ていました。


この員弁川を渡ると桑名市から朝日町に移ります。朝日町に入っても住宅地の中を歩き、近鉄の伊勢朝日駅の近くに東芝の大きな工場を見て進みます。
伊勢湾岸道の下を抜けると朝明川を渡りますがそこを渡ると四日市市に入って行きます。
 朝明川から養老山系を望みます。

四日市に入っても景色的にはあまり変わりありません。
三岐鉄道や関西本線と交差している下をくぐると富田地区に入って行きます。近鉄の高架下を抜けると一里塚跡の碑がありました。


しばらくすると国道1号線と合流し海蔵川を渡ります。だんだん四日市の市街地が近づいてきます。
 海蔵川の橋から四日市ドームが見えます。

その先三滝橋というかつては人馬で賑わった橋を渡ります。四日市市街はもうすぐ。
 
三滝橋(左)       三滝橋から四日市のコンビナート方面(右)


三滝橋を渡ると名物の長餅の老舗「笹井屋」がありました。

四日市市街に入り当時の宿場の中心地に入りました。
 「江戸すぐ」って書いてあります。すぐじゃなんだけど。

諏訪神社を越えると東海道はなんとアーケードの中を通ります。珍しい。当時はアーケードじゃなかったんでしょうけど。
そこを抜けると、近鉄四日市駅のすぐそばに出てきました。
 アーケードから出たら近鉄がすぐ近くに。

ここを西に進んでいきますがここからは狭い道になってきます。この道は狭い割に車の通行量が多く歩くには歩きにくいです。後ろから来る車に気を付けながら歩かなくてはいけません。なかなか風情のある建物もありますがゆっくり見て歩けませんでした。


日永に一里塚跡碑

相変らずの狭い道を抜けると1号線と合流し「日永の追分」がありました。ここは東海道と伊勢道の追分です。


この先は交通量の多い狭い道からは解放されました。
内部川を1号線で越えて、すぐに分かれ道になりますがここで道を間違えてロスタイム。更に余分な体力も使ってダメージ大でした。

東海道に戻って進むと杖衝坂という急な坂が出現。さっきダメージを受けた後だけに更にダメージを受けましたが、あまり長い坂じゃなくて良かった。


 
杖衝坂碑と芭蕉の句碑

この坂を登り切って1号線と合流。暫らく進み多分石薬師宿までもう少しのところなのでしょうが時間的に体力的に判断すると今日はここまでとなってしまいました。
次回はもう少しで石薬師ってところから開始です。

この後、義兄に迎えに来てもらいJR四日市駅まで追ってもらいました。
 JR四日市駅