先々週、丸子の丁子屋前で終わった東海道ですが今日は続きからスタートです。沼津から遠くなると家を出る時刻が早くなります。最近早起きが苦手なコヤチンには堪えます。6時30分沼津発の電車で静岡に行き、静鉄バスで丸子橋入口で降ります。
8時に丁子屋前を出発し丸子橋を渡ります。冬ですので当たり前ですが寒い!!セーターを中に着込んで手袋とニット帽を付けて歩き始めました。これらをどこで脱ぐかが難しいところです。
丸子橋をスタート。
国道1号線に寄り添うように東海道はありますが最初に「日本紅茶発祥の地」の看板がありました。明治の初めにこの地を開墾して中国・インドの栽培技術を習得したという事です。静岡県は緑茶だけでなく紅茶でもリードしていたのですね。
一時国1と合流しますが、所々でちょっとコースを外れる場所があります。国1を外れてくれると排気ガスを吸わなくていいので歓迎なのですがね。
1時間弱で静岡側の「道の駅宇津ノ谷峠」上り線に着きいよいよ宇津ノ谷峠越えに挑んでいきます。(ちょっと大げさですか)
国1から右に入り格段に交通量の少ない道に出ます。道の駅でセーターを脱いだのですが日陰の道が続きますのでまだ寒さを感じます。やがて分岐点が出てきますが案内の標識がしっかりあるので迷わず進めます。やがて宇津ノ谷の集落に入って行きますが、だんだん上り坂になってきました。
(左)宇津ノ谷峠道標 (中)宇津ノ谷の集落 (左)御羽織屋
すぐに「御羽織屋」があります。豊臣秀吉が北条攻めの際ここで休憩をしたのですが、馬用の草履を換えた際ここの主人が4つの所3つしか持ってこないので秀吉が問いただすと「4(死)というのは縁起が悪いので」と答えた事に気を良くし北条攻めの帰りに陣羽織を与えたとの言い伝えがあるようです。実際この中でその羽織を見せてくれるのですが、今日は先を急ぎますので中は見て来なかったです。
このあとだんだん坂が急になってきます。道は石畳風に舗装されています。
坂の上で分岐点があり、旧東海道と明治のトンネルに分かれます。明治のトンネルはちょっと面白そうなので入口まで行ってみました。もちろん中は現代のトンネルのように明るくはありません。
もう一度分岐点に戻って東海道を歩きます。旧東海道と書いてあるまるでハイキングコースのような道です。更に坂が急になってきます。最近このような道を通り慣れていないので息が切れてきます。しかし10分ほどで峠の上に着き今度は下りです。箱根の延々と続く登りを経験しているので難なくクリアってところでしょうか。
今度は下りですが、土の道でちょっと勾配があるので滑りやすくなっています。足元注意です。
(左)レトロな明治時代のトンネル (中)宇津ノ谷越えの入り口 (右)峠道、往時が偲ばれます。
峠道から見る宇津ノ谷の集落。
そして下り終わると国1の宇津ノ谷トンネルの岡部側に出ます。
今度は岡部側「道の駅宇津ノ谷峠」の先を右折し岡部の市街に向かいます。やがて「岡部宿」の看板が出てきて宿場が近いという事がうかがえます。コヤチンは静岡県人ですが岡部に来た事がありませんでした。これといった知識もありませんが現札幌のゴン中山選手の出身地という事は知っています。岡部町も藤枝市と合併しました。
旅籠「柏屋」が出てきましたが旅籠の建物が保存されてるようです。こちらも中は見ないで外観だけ楽しみました。その先で東海道は左に入って行きます。細い道で東海道らしいのですが古い民家ばかりがあるわけでもないです。その先広い県道に出て五智如来像があります。元々誓願寺という寺があったのですが廃寺になった為如来像だけが残ったようです。この像の周りは公園になっています。
そこから藤枝方面を目指すと松並木が出てきます。久々に松並木らしい松並木の道でした。
(左)旅籠「柏屋」 (中)岡部宿標 (右)現在の岡部宿
(左)五智如来像 (右)岡部宿松並木
国1バイパスが上を通る高架下を抜け右側の道を進んでいきますがこの道沿いの家々にも屋号が記されていました。
国1と交差し又小規模の松並木を抜け一瞬国1と合流しますが再び左に分かれる道を進むと須賀神社に大きなクスの木がありました。静岡県の天然記念物の指定されています。そこを進むと前方にホームセンターが現れ通せんぼされてしまいます。ここは都市計画で旧東海道が寸断されてしまったようです。悲しい事です。
須賀神社のクスの木
何とか旧東海道に戻り藤枝の市街地に入って行きます。
商店街を進んで行き左折すると「蓮花寺池公園」と書いてある標識があったので道草していく事にしました。東海道から5分も歩かないうちに着きます。その名の通り蓮花寺池を中心とした公園です。藤枝市民の憩いの場所になっているようで多くの人がウォーキングや散策を楽しんでいました。池の周りに桜の木がたくさんあったので桜の季節は綺麗なのでしょう。
藤枝市民の憩いの場「蓮花寺池公園」
再び東海道に戻り歩き始めます。瀬戸川の橋の手前にある正定寺の「本願の松」を見てきました。非常に均整のとれた松でした。瀬戸川を渡り進んでいくと国1と交差し渡って真ん中の道が東海道です。小規模の松並木を何回か越え青島一里塚を過ぎると国1に出ます。ここを西に進むと「島田市」の標識が出てきます。長かった藤枝市がようやく完結しました。
旧東海道は一か所脇道にそれますが合流すると「御仮屋」の交差点で再び国1と離れ島田市街地に向かって行きます。
(左)藤枝宿標 (中)本願の松 (右)やっと島田市に入りました。
市街地には刀匠島田の碑もありました。
さて、今日の予定ではここまででしたが、時間がまだあるので金谷まで行けないかと考えました。時間はあるのですが脚が痛くなってきたので悩みましたが、強行突破で金谷まで行く事にしました。
市街地を越えまっすぐに行くと「大井神社」があります。ここは奇祭「帯祭り」が行われます。
島田宿標と大井神社
更に進み製紙会社を越え左に入ると「川越遺跡」に着きます。かつての東海道最大の難所大井川の川越遺跡が保存され町並みを形成しています。なんと一部は民家になって生活している人もいます。一部は中も見学できるようになっています。
川会所を越え堤防に出る前に越すに越されぬ大井川に敬意を表して島田市博物館で川越関係の常設展示を見てきました。
川越遺跡。リアルな人形にびっくり。
川会所。川越に使う蓮台も展示されていました。
堤防に出ると幅の広い大井川が流れていました。今日の流れでは川止めにならないかなと思いましたが、それ以上に風が強い。
現代は橋で金谷側に渡れるので苦労知らずです。でもこの橋は長いので10分以上もかかりました。
これで旧国名は駿河から遠江に移りました。長い駿河の旅も終わりました。
川越遺跡から出た堤防から見る大井川。
現在はこの橋で渡れます。
さすがに大井川の川幅は広い。
金谷側に渡って堤防を少し歩くと東海道の道標があったのでこの辺に渡ってきたのだなという事がわかります。なるほど対岸の正面に島田市博物館が見えます。
金谷側から見る大井川。
さて金谷宿に向かいますがこちらも本来は島田のように川越で栄えた宿だと思うのですがどうもこちらは地味です。島田のように保存されていないので注目されないのかな。でも金谷も最近合併で島田市になったんだよね。
現在の金谷宿。
この先で大井川鉄道の踏切を渡ります。左手に新金谷駅があります。この駅は木造でモダンな建物なので駅前まで行って見てきました。大井川鉄道といえば有名なのはSLが走る路線です。各地でSLが復活で走る前から走らせているんですよ。コヤチンは恥ずかしながら大井川鉄道に乗った事がありません。いつか絶対乗りたいと思います。
踏切から見た新金谷駅と木造の駅舎
金谷の市街地を歩いていきますが本陣跡とかは看板のみですのでとりたててみるもの無いです。そんな事をしているうちに金谷駅に近づいてきました。宿標がありその隣の鉄道下のガードをくぐったのが東海道ですがそれは次回のお楽しみです。
次回は牧之原越えのコースです。金谷まで来てしまいましたので浜松からの方が近くなりました。今度は浜松から電車でここまで来てリスタートです。
金谷宿標と今日のゴールのJR金谷駅