古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

1月3日から7日まで

2011-01-07 15:53:37 | 日々の暮らし
3日にはようやく雪による交通の騒動も徐々に解決していく感じが出てきた。
その代わりに、ハウスや漁船の被害が明るみになってきた。
年賀状は3日の11時過ぎに徒歩で配達された。

親戚からの年始客も車が家から出ないので、また雪が融けてから来ると連絡があった。
私が嫁に来てから初めてのことだ。
親戚の沖縄から帰省した孫は、31日飛行機が出雲空港に降りられず神戸空港に降ろされてしまったとか。
そこから新幹線、伯備線を乗り継いで米子駅までは無事着いたそうだ。
でも家までの交通手段がなく、米子の駅前ホテルで1泊した。
あくる朝米子から安来まで、国道に停まっている車の間をぬけ3時間かけて歩いて帰ってきたそうだ。
3日に伯備線で岡山まで出て、岡山空港から沖縄に向ったそうだ。

私の弟は29日に関西から高速バスで帰ってきてレンタカーを借り、2日午後に高速バスで自宅へ帰る予定だった。
2日に米子まではなんとか出たものの高速バスは見込みがなく、
伯備線の特急も3日の早朝の席しかなかったため米子のホテルで1泊し、朝6時台のに乗って帰っていった。
実家の両親は、「隣近所もお正月で若い人が帰ってきてくれていて、
みんなで雪かきをしてくれたので本当に助かった」と言っていた。

3日の新聞で島根半島の方が停電で大変だとあったので、知り合いにお見舞の携帯電話をかけた。
そうしたら紅白の途中から停電になり、まだ停電状態だった。電柱が折れて道路をふさいでいるとのことだった。
ガスと水はあるとのことだったが、想像以上に不自由で大変な生活のようだ。
携帯電話の充電もままならないとのことで、あわてて電話を切った。
私達の地区は、停電がなかっただけでもまだ幸いとしないといけないと思った。

7日の今日は、31日甲府町のスキー場で亡くなった地元の方のお葬式があって夫も参列した。
甲府町の町長さんはじめ、勤務先の会社関係者など多くの参列者があって
150人入るといわれる斎場はいっぱいだったそうだ。
若い方のしかもこんな事故よるお葬式はたまらない。
逆縁により、残された80代のご両親の悲しみは想像にあまりある。

「もう雪はいらない」という私に、夫は「まだ冬はこれからだ」と言う。
暖冬に慣れていた身にとって、”思わぬパンチをくらった”今回の雪だった。