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内田十二灯台長の句碑移設記念除幕式 〈2023年2月22日〉

2023年02月22日 08時30分00秒 | 記事


内田灯台長の句碑を囲んで、関係者の皆さん


 俳句雑誌「ホトトギス」の主宰者・高浜虚子が、太平洋戦争終結前後に紀伊日ノ御埼灯台長を務めていた内田十二氏に贈った弔句「妻長女三女それぞれ啼く千鳥」。それに対する内田灯台長の返句「妻長女三女の千鳥飛んで来よ」。この2つの句は地元有志らの手により句碑にされ、これまで日の岬の別の場所に置かれていたが、このほど内田灯台長の句碑が、田辺海上保安部らにより現在の3代目紀伊日ノ御埼灯台の麓、虚子の句碑の隣に移設され、20日、現地で記念除幕式が行われた。

 式には、同灯台の一般見学開放を管理しているNPO法人日ノ岬・アメリカ村の小薮清信理事長や、内田灯台長と虚子を俳句でつないだゆかりの寺・法善寺=三尾=の岡本淨前住職らも列席し、2つの句碑が並んだことを喜んだ。
 内田十二氏は、初代紀伊日ノ御埼灯台が太平洋戦争の戦火で焼かれ投光器が壊れたなかでも、仮の装置を用いて灯りを灯し続け、海上の交通安全を守った灯台長。終戦を迎えた昭和20年、過労や栄養欠乏がたたり、灯台長の妻・薫子さん、長女・豊子さん、三女・紀子さんが相次いで赤痢にかかり、同年11月に3人とも立て続けに亡くなった。
 当時、法善寺では、地元三尾の俳人らで「藻の花会」というホトトギス派の句会が催されていた。昭和21年2月、法善寺で、内田灯台長の亡くなった3人の家族のため、三尾の俳人らも参加し追悼法要が厳修された。
 後日、長野小諸に疎開中だった虚子は追悼法要の話を耳にし、内田灯台長の悲しみを思い、内田灯台長にあてて、哀悼の句「妻長女三女それぞれ啼く千鳥」を記したハガキを送った。
 その3年後、内田灯台長は転勤でこの地を去るにあたり、法善寺で開かれた送別句会で「妻長女三女の千鳥飛んで来よ」との句を詠んだ。
 虚子の句碑は昭和26年10月、内田灯台長の句碑は昭和32年6月に、地元有志らの手で建立。灯台長の句碑は当時の2代目灯台を見下ろす丘の上に建てられたが、平成28年に3代目灯台が現在の場所に移設されてからは、句碑から灯台を見下ろすことができない状況が続いていた。
 今回その句碑が、公益社団法人燈光会らの協力で、灯台長が終戦前後の苦難のなかでも灯を絶やさず守ってきた灯台の下の、虚子の弔句を刻んだ句碑の隣に移設安置された。移設には大杉建設(株)=御坊市=が携わった。
 除幕式では、田辺海上保安部の真部克彦部長が、句碑を改めて紹介し「移設された句碑は、灯台長の悲しみや虚子との師弟愛を知り残していく上で大変意義深い。田辺海上保安部は、内田灯台長をはじめ先輩方の崇高な守灯精神を心に刻み、海上の安全のため日々努めていく」とあいさつ。
 小薮理事長は「哀悼の句には胸打たれ、心に染み入る。その感動をこの場から後世に伝えていけたら。NPOとしても観光名所の一つとなり感謝します」。岡本前住職は「ふたつの句碑が並んで、3人の千鳥も喜んでおられることでしょう」と、移設に関わった人らに感謝した。


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