1994年8月16日。ツーリング3日目です。
富良野のライダーハウスを朝6時半頃出発しました。
まず最初に向かったのは、「北の国から」のロケ地です。「五郎の家」とかを見物したんですが、朝早かったのでガラガラだったのを覚えています。
でも、この時に一つだけ、大きな問題がありました。それは、私と友人の2人とも、「北の国から」を見た事が無かったのです。
なにやっとんねん。
ですから、セットを見てもチンプンカンプンだったのです。
余談ですが、この時の反省を踏まえ、2012年から2013年に掛けて、北の国からのレンタルDVDを全作見てから、2015年にもう一度このロケセットを見物しました。
2015年の写真ですが…
1994年に見た時より、かなり年季が入ったように思えました。
ロケセットを見た後は、狩勝峠を越えて、釧路湿原に向かいました。
この日は天気が良かったので、狩勝峠からの展望が素晴らしかったのを覚えています。
狩勝峠から、恐らく新得辺りを経由して上士幌に入り、ナイタイ高原牧場にも行きました。
ここにはお約束の写真撮影スポットが有り、トラクター2台と看板が有るのですが、トラクターは今も当時のものがそのまま置かれているみたいです。密かに手入れされてるんでしょうね。
そして昼ごろ、釧路の和商市場に到着し、イクラやウニ、刺身を乗せた勝手丼を食べました。
市場のおばちゃんが、ライダーを見ると必至で「ウチで買ってけ」と声を掛けてたのを覚えています。
飯の後は、釧路湿原を展望できるところに到着しました。そこには一周10分程の木道が作られており、そこを歩きながら湿原を見降ろしました。
でも、この場所がどこだったのか、どうしても思い出せません。地図を見ても該当するところが見つけられません。
釧路湿原を見物した後は、北上して阿寒湖に向かいました。到着時刻は確か午後3時頃でした。
湖畔のアイヌコタンで土産物を見て、「そろそろ今日の宿を探さなきゃ」なんて話をしてたら、店の人が、「すぐそこにライダーハウスが有るよ」と教えてくれました。
アイヌコタンの土産物屋の並んでいる坂の一番上に、二階にライダーハウスを備える食堂が有りました。
飯風呂寝るが目の前に有ったので、この日はここに宿泊する事にしました。
この時、なぜか背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえました。同行の友人ではありません。
振り向くと、同じ会社の後輩でした。そう言えば彼は大洗港までスズキのアクロスに乗って来て、キャンセル待ちで私たちと同じフェリーに乗ったんだった。
下船と同時にサヨナラと分かれて、3日後に同じライダーハウスに泊まる事になるなんて、「何と言う偶然」と驚いたものでしたが、今にして思えば、たいして珍しい事じゃないですね。
ちなみに彼は、帰路太平洋航路のフェリーに乗れなくて、青函連絡フェリーで青森に渡り、栃木まで自走で帰ったそうです。
若いと何でもできるんですね。
私と友人は、ライダーハウスの下の食堂で、夕食におでんを食べてビールを飲んで、待ったり過ごしました。
この時友人に軽くサプライズ報告をしました。
「実は俺、来年結婚するねん」
友人は、「また俺の遊び相手が1人減ってしまうのか」と返して来ました。
でも、今でもタマに彼とは遊んでますが。
阿寒湖畔には15年後の2009年に再び訪れた時には、湖畔に大きなホテルがたくさん建っていて、私の記憶にあった素朴な観光地のイメージは無くなっていました。
私が宿泊したライダーハウスと食堂が有ったところには、アイヌの踊りなどを鑑賞できる劇場が立っていました。
劇場の裏には、ライダーハウスの看板と建物が有りましたが、余りにもひっそりしすぎていて、泊まるのを躊躇してしまいました。
だんだん記憶が曖昧になってきました。
ここまでは大きな間違いは無いと思いますが、この次の日くらいから、結構怪しくなってきます。
乞うご期待。