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1994年の北海道ツーリングを思い出してみる。その3

2016年08月13日 | バイク

1994年8月16日。ツーリング3日目です。

富良野のライダーハウスを朝6時半頃出発しました。

まず最初に向かったのは、「北の国から」のロケ地です。「五郎の家」とかを見物したんですが、朝早かったのでガラガラだったのを覚えています。

でも、この時に一つだけ、大きな問題がありました。それは、私と友人の2人とも、「北の国から」を見た事が無かったのです。

なにやっとんねん。

ですから、セットを見てもチンプンカンプンだったのです。

余談ですが、この時の反省を踏まえ、2012年から2013年に掛けて、北の国からのレンタルDVDを全作見てから、2015年にもう一度このロケセットを見物しました。

2015年の写真ですが…

1994年に見た時より、かなり年季が入ったように思えました。

ロケセットを見た後は、狩勝峠を越えて、釧路湿原に向かいました。

この日は天気が良かったので、狩勝峠からの展望が素晴らしかったのを覚えています。

狩勝峠から、恐らく新得辺りを経由して上士幌に入り、ナイタイ高原牧場にも行きました。

ここにはお約束の写真撮影スポットが有り、トラクター2台と看板が有るのですが、トラクターは今も当時のものがそのまま置かれているみたいです。密かに手入れされてるんでしょうね。 

そして昼ごろ、釧路の和商市場に到着し、イクラやウニ、刺身を乗せた勝手丼を食べました。

市場のおばちゃんが、ライダーを見ると必至で「ウチで買ってけ」と声を掛けてたのを覚えています。

飯の後は、釧路湿原を展望できるところに到着しました。そこには一周10分程の木道が作られており、そこを歩きながら湿原を見降ろしました。

でも、この場所がどこだったのか、どうしても思い出せません。地図を見ても該当するところが見つけられません。

釧路湿原を見物した後は、北上して阿寒湖に向かいました。到着時刻は確か午後3時頃でした。

湖畔のアイヌコタンで土産物を見て、「そろそろ今日の宿を探さなきゃ」なんて話をしてたら、店の人が、「すぐそこにライダーハウスが有るよ」と教えてくれました。

アイヌコタンの土産物屋の並んでいる坂の一番上に、二階にライダーハウスを備える食堂が有りました。

飯風呂寝るが目の前に有ったので、この日はここに宿泊する事にしました。

この時、なぜか背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえました。同行の友人ではありません。

振り向くと、同じ会社の後輩でした。そう言えば彼は大洗港までスズキのアクロスに乗って来て、キャンセル待ちで私たちと同じフェリーに乗ったんだった。

下船と同時にサヨナラと分かれて、3日後に同じライダーハウスに泊まる事になるなんて、「何と言う偶然」と驚いたものでしたが、今にして思えば、たいして珍しい事じゃないですね。

ちなみに彼は、帰路太平洋航路のフェリーに乗れなくて、青函連絡フェリーで青森に渡り、栃木まで自走で帰ったそうです。

若いと何でもできるんですね。

私と友人は、ライダーハウスの下の食堂で、夕食におでんを食べてビールを飲んで、待ったり過ごしました。

この時友人に軽くサプライズ報告をしました。

「実は俺、来年結婚するねん」

友人は、「また俺の遊び相手が1人減ってしまうのか」と返して来ました。

でも、今でもタマに彼とは遊んでますが。

阿寒湖畔には15年後の2009年に再び訪れた時には、湖畔に大きなホテルがたくさん建っていて、私の記憶にあった素朴な観光地のイメージは無くなっていました。

私が宿泊したライダーハウスと食堂が有ったところには、アイヌの踊りなどを鑑賞できる劇場が立っていました。

劇場の裏には、ライダーハウスの看板と建物が有りましたが、余りにもひっそりしすぎていて、泊まるのを躊躇してしまいました。

だんだん記憶が曖昧になってきました。

ここまでは大きな間違いは無いと思いますが、この次の日くらいから、結構怪しくなってきます。

乞うご期待。

 

コメント
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