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ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

前向きに生きています。
健康で楽しく生活できたらそれが一番
周りの人たちを、元気にできる自分でいたい。

ミツオ、青島(チンタオ)へ

2010年08月28日 | 留学

ミツオ(三男)は、先日福州を離れ、今青島(チンタオ)にいます。
福州へは観光ビザで入り、
ここチンタオで大学の手続きやら、就学ビザの手続きをやったのですが、
手違いで、ある手続きに手間取り、就学ビザが間に合わなくて
いったん帰国か罰金を支払うことになるか、を覚悟したのですが、
一ヶ月の観光ビザが切れる直前の昨日、ぎりぎりで
オットの知人のSさんの計らいでなんとかなったようです。
やれやれ。

昨日は、商用で中国へ経ったオットと合流。
昨日、本日は大学のそばのホテルで二人宿泊です。
ミツオは明日からは、大学の寮です。


つい先日は、なんだか、14~15年前のナガオ(長男)の時を思い出して
引き出しにしまってある、シドニーに行った当初、
ファックスでやり取りをしていたものをオットと少し読み返してみました。

感熱紙のファックスは、、どんどん字が読めない状態になりつつあるものもあります。

行った当初のころは、ほぼ毎日彼からファックスが届いているのが
日付でわかります。
「ママががシドニーに来るまであと一ヶ月とあと何日!」とか、
「電話を待ってるから」、とか。
「どこどこから来ていた友達が国へ帰ってしまう」とか、
「別れの繰り返しが辛い」のだとか、
「会いに来てくれても、また日本に帰る親との別れは倍辛いのだ」とか・・・・。

彼のつたない文章、行間に当時の彼の気持ちが痛いほど詰まっていて、
「今のこの辛い気持ち、時が立てば笑って懐かしく思い出される」
と思っていましたが、
今読んでも、やはり涙がホロホロこぼれるのでした。

当時の彼の年齢は12歳。
その年齢の幼さに、当時、悪気はないのでしょうが、
オットの身内の義姉の夫に
「その年齢で子どもを遠くにやる神経が理解できない」とか
ある知人には「私の知り合いは、長らく息子を外国に留学させたけど、
帰国後親子関係がギクシャクしてしまってるらしい。
あなたのところも帰国後が大変なのでは?」
などと言われてひどく落ち込んだ時期がありました。

ナガオは長い留学の間に、
私達の想像できないような苦労もあったようですが
親子の絆が薄れることはなかったし
離れて暮らすことで、逆にお互いをとても思いやったと思っています。

オットはあのころ「周りの雑音は気にするな」と、よく私を慰めてくれました。

ナガオは、当時の苦労話をあまり話してくれませんが、
最近になって弟達に、話したりすることもあるようで
「兄貴が向こうでこんな目にあった」と聞くことがあります。

少々のことでは動じない、ポジティブシンキングの現在の彼を見ていると
あの長い留学の経験が、大きな自信になっているのは間違いないでしょう。


画像は、11年のオーストラリアでの生活を終え
いよいよ日本へ帰国する前のナガオの部屋
部屋の片づけを終え、彼は無事日本へ帰国

数ヶ月後、オーストラリアの友人4人が
ナガオをたずねて遊びに来て
1ヶ月半、彼らは日本を旅して回りました。

オーストラリアでの彼の楽しみは
休みの日になると友達とやっていたスケボー。
スケボーに乗ることで、身体のバランスだけでなく
精神のバランスを取っていたのだと、彼はいつか話してくれました。

彼が使用したスケボーの板は割れたものも含めて
全部日本に持って帰ってきて
二階の部屋の壁に掛けられています。

              
              日本へ送る荷物の一部
              板の数は、シドニーでの青春そのものか?

              

              部屋の壁のあちこちに、こうして掛けてありました。
              手前は熱帯魚を飼っていた水槽
              日本へ里帰り里帰するときなど、近所の友達に鍵を渡して
              面倒を見てもらっていたようです。

              

              

              立つ鳥跡を濁さず、などと帰国直前
              言ってましたな(笑

さてさて、ミツオは留学でなにを得てくるでしょうか(笑          

コメント
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