20年前の私の日記
ずっと封印してきた「わたるちゃん」の事をなぜここでまた書く気になったのか
仕事柄、問診でガン患者と話をすることが多く
「生と死」について色々考えるからか。
昨年還暦を迎え、自分は残りの人生どう生きようか、と「終活」を始めたからだろうか。
2004年の12月のクリスマスの前夜、ネットでの一番古い友人「わたるちゃん」が自殺した。
11月に一度自殺未遂の末のこの悲しい知らせを、
私は彼の父親から聞くこととなった。
そして今父親は、息子の死の悲しみから後追いを考えるほど苦しみ心乱れる地獄のような日々を送っている。
2~3年前より鬱病に苦しんでいた「わたるちゃん」
生きることに疲れた彼は
『死にたい』と『生きなければ』の葛藤を繰り返し、そして死を選んだ。
パソコンを始めた1998年から、私はわたるちゃんといろんな話をしてきた。
愛車の「エスプリ」の話、大好きなギターの話、オーストラリアに住んでいる姉の話
かわいい甥っ子の話、仕事の悩み、
彼女がドイツに留学している話、その彼女と結婚した話、
そして、離婚することになった話、
好きな本の話、
それぞれの人生哲学を話すこともあった。
人間関係などの煩わしさから逃れるために、
何もかも一からやり直したいとの思いから会社を辞め、離婚をしたわたるは、ますます社会から孤立し自分を追い詰めることになってしまった。
社会が周りの人間が彼を避けたのではない。
彼が社会を拒んだのだ。
彼の名前と住まいを知ったのは彼の最初の自殺未遂のときに私に送ってきた遺書メールからだった。
彼は、自殺を考えるたびに私に遺書メールを書いていたのだという。
遺書のメールを読んだ日、直ぐ様管轄の警察署に電話をした。
住所が書いてあったので、家まで出向いて彼を助けて欲しいと。
彼の自殺は未遂に終わり、病院に搬送され入院したことをわたる自身が教えてくれた。
「ちゃこちゃんだったんだね、警察に電話したのは。警察の人に匿名で電話がはいったと聞かされた、僕は生き残ってしまった」と。
「生きて欲しい」と私は言ったが、彼は数週間後に自殺した事を、父親からのメールで知った。
彼の死後、彼のパソコンから私のメールアドレスを知った父親は、生前の「わたるちゃん」のことを知りたくてメールを私に送ってくる。
『毎日、毎日貴方からのメールを待っています』
『心が乱れて涙が止りません』
病気に苦しみ、父親を憎んでいたわたるちゃん。
そんな彼に先立たれ、苦しむ父
父親の苦しみを知ることとなったわたしもまた苦しい。
なんの因果か、彼の大好きだったお姉さんは
オーストラリア在住。
シドニー滞在中、私は彼女と話をすることになっている。
死にたがっていたわたるちゃん。
かなわないことだけど、彼に聞いてみたい。
そっちの世界はどうなの?
ほんとにこれでよかったの?
病気だったんだから、
頑張らなくて良かったのに。
生きててほしかったのに。
2月8日がわたるちゃんの49日
わたるちゃんが自殺した8年後、私の母と弟が自死。
母は、自殺したの息子(私の弟)を後追いして同じ日に自殺しました。
2月8日、東北大震災の翌年のことです。
「生死一如」
生と死とは一つの如し」
仏教では生死一如(しょうじいちにょ)と言われて生きるということと、死ぬということは、紙の表と裏のように切り離せない関係(一如)であると教えられています。
100%確実な未来である死の問題から目を背けることは、生きるということそのものから目を背けていることなのです。
目先の楽しみや目先のことに追い立てられている間に人生は終わってしまいます。
命の限りがあることをよくよく見つめて、何のための人生なのかを深く考えたい。
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