仏教用語
生仏一如(しょうぶついちにょ)
迷いの衆生も、覚りを得た仏も、それぞれ別のものではなく、その本質は同一であるということ。 生仏不二、生仏一体ともいう。
~わたるちゃんのこと~
20年前の私の日記
1998年からのネットフレンドだったわたるちゃんが自殺したのは2003年の冬。だった
当時の私の年齢は30代後半、わたるちゃんは確か私より一回り年下だった。
彼の「四十九日」は、2月8日快晴の日に行われたそうだ。
この49日間の間にわたるちゃんは仏の修業をし、やっと大好きだった母の仏壇に
入ることができた」と父上のメールに書かれていた。
11月彼から、「これから自殺する」という遺書メールをもらい、そのときは自殺未遂に終わったものの、私はどうしたら良いのか混乱していた。
(警察に電話をし住所を伝えて現場に行ってもらった)
そして、父上からわたるが自殺したというメールをもらい、「生前の息子のことを知りたい」という父親に、私はどうすべきか思い悩んだ末、彼の生前の様子がわかるものを宅急便で送った。
送る資料をあれこれ用意しながら彼の気持ちを知らせることが、果たして良いことなのか?
それをわたるは望むのか?
今度は父上が苦しむのでは?
今度は私が父上を『死』に追いやるのでは?
そんなことを考えると、どうして良いのかわからなくなってきていた。
生前の息子のことを知りたい。
親としては当然の思いだろう。
わたしにも「喪」の作業が必要だった。
これがわたしのわたるへの『喪の作業』で『供養』なのだと考えることにした。
パソコンが得意でなかったと言う父親のメールを代筆して送ってくれていたのは、父親の会社の隣の歯科医院の院長だった。
院長自身から、代筆して送っています、というメールの返事に私は、
果たして、彼の生前の会話の内容、彼が書いていた日記を送ることが父親にとって良いことなのか思い悩んでいる事を書いた。
なぜならわたるは、父親が母親を大事にしなかったこと、父のせいで母は亡くなったんだと、父を憎んでいると言っていたから。
院長は、父親もそしてオーストラリアから帰国している姉さんも、なぜ彼が亡くなったのか、生前の彼の気持ちを知りたがっているから、どうかそれを叶えてやって欲しいと書いてきた。
当時わたるは、亡くなる一年くらい前からバイクで日本をあちこち旅をしていて、旅をしながら父親のこと、母親の事を日記に書いていた。
私は、それを全部プリントアウトした。
私とわたるは、Skypeでメッセージのやり取りをしていて、自殺前の彼の気持ちがわかるメッセージをすべてプリントアウトした。
ビートルズが好きでギターが好きだったわたるは、ビートルズの曲を当時midi作成しmidi の音源を私に送ってくれていていた。
日本に帰国していた長男にも相談して
私は、会話、日記、midi の音源はCDにコピーして父親に郵送した。
わたるちゃんの父親の願いで父親に会い、一緒に墓参りをしたのは7年後
オーストラリアから帰国し父親の仕事を手伝っていたお姉さんにも挨拶をした。
仏前に手を合わせ、父親から数枚のわたるちゃんの写真を頂いた。
一度も会ったことがないわたるちゃんの顔を見るのは初めてで
童顔で、綺麗な顔をしたわたるちゃんの写真はどれも優しく笑っていた。
父親とは今も、年賀状のやり取りが続いている。
わたるのmidiは、今でもHDDに残っている。
「わたる」の名前の由来は、歯科医院の院長が
ファンだったミュージシャンの「渉」からとったんだろうと書いていた。
姓を思い出せない。
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