これは、私が20代後半、30年前の話だ。
若い私にとって非常に辛い出来事でした。
『遁走(とんそう)した夫』
~私が変わらないと~
バス停で夫とばったり会った私と子どもは夫といっしょに家に帰った。
ずっと泣く事もできなかったわたしは 夫の顔をみて堰を切ったように泣いた。
とても心配したのだと、居場所も告げずにいなくなって、どれほどわたしが辛い思いをしたかと。
もう二度とこんなことはしないでほしい、気が狂いそうだったと、泣きじゃくりながら何度も言った。
夫は、「心配かけてすまなかった。
会社が重荷になり、何も考えたくなかった」のだとそういって誤った。
泣きながら、残されたわたしは、 もっと辛い思いをしたんだと夫に言うと、ぽつんとこんなことを言った。
「俺は弱い人間だけど、おまえは強いから」
なんだろ、
この時、わたし 頭を金槌で殴られたようなショックを受けた。
夫を頼りにしていた自分。
この人が守ってくれると思っていた自分。
だけどなんとなく、
その時なんとなく、
「ああ・・わたしはこの人に依存するのはもうやめよう」 そう思った。
わたしが変わらないとだめだな。
この時の夫の遁走については、その後一言も言及しなかった。
あれから10年ほど経つが、その後も一度もあれこれ詮索した事はただの一度もない。
それからしばらくたったある日、私は夫に唐突にこう言った。
私:「2~3日わたしを一人にしてほしい、旅行する」
夫:「え???どこに??」
私:「悪いけど行き先は言わない。貴方と違って
突然いなくなるんじゃないしね」
夫:「長いこと、実家にも帰ってないし、墓参りがてら帰ってこいよ」
私:「とにかく一人にしてほしい」
夫:「心配やんかっつ!」
私:「そんな心配をさせたんでしょうに。
だまって私をだしなさい」
「子どもを見れないのなら、自分のの実家に連れていってみてもらって。
お母さんには、はっきりと旅行にでたと言えばいい」
夫:「おれへのあてつけか?復讐か?」
私:「それは違う。ただ、どうしても一人になる時間がほしい。
信用できない?
私は、遁走について何も聞かなかったけどね」
信用できなかったら、それはそれでいい」
わたしはこうして、ボストンバックに荷物を積めて朝の早い時間に家を出て新大阪に向かった,
5月の終わりごろである。
あてつけの気持ちがなかったと言えば嘘になる。
でもそんなことどうでもいい。
ただ、私はどうしても気持ちを切り替える必要があったのだと思う
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