ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

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ラーゲリより愛を込めて

2024年01月19日 | 映画
監督:瀬々敬久 
脚本:林民夫 
原作: 辺見じゅん 『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』 

製作: 平野隆 下田淳行 刀根鉄太 辻本珠子 

出演者:
二宮和也 
北川景子 
松坂桃李 
中島健人 
寺尾聰 
桐谷健太 
安田顕 

音楽:小瀬村晶 

主題歌 Mrs. GREEN APPLE「Soranji」

辺見じゅん原作のノンフィクション『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』の映画化作品。

【あらすじ】

第2次世界大戦が終結した1945年。
シベリアの強制収容所では、ソ連軍の捕虜となった山本幡男(二宮和也)ら多くの日本軍兵士たちが収容されていた。
わずかな食料しか与えられず、零下40度という過酷な状況下で重労働を強いられる彼らに、
山本は「生きる希望を捨ててはいけません。帰国の日は必ずやって来ます」と訴え続ける。
捕虜たちは山本の信念と仲間を思う行動に勇気づけられ生きて帰る望みを諦めなかった。

8年後、山本のもとへ妻からのはがきが届き、帰国の日は近いと感じる山本だったが、
その体は病にむしばまれていた。

【感想】
★★★★

二宮和也演じる山本幡男さんは、第二次世界大戦終結後に旧ソビエト連邦によるシベリア抑留を経験した日本人の一人でこの映画は史実だ。
ソ連から一方的に戦犯( 謀略諜報行為)としての汚名を着せられ、重労働二十五年の刑を受けたが、
如何なる過酷な条件にも屈することなく、
強制収容所(ラーゲリ)内の日本人捕虜たちに日本の文化と帰国への希望を広め、
一同の精神的支柱になり続けた人だった。

地獄のようなシベリア抑留生活であっても不屈の精神を以て人間らしく生きることに徹した山本幡男は抑留先で病で亡くなったが、生きて日本の地を踏むことができた彼を慕う同胞たちが、
ソ連の監視網を潜り暗記によって家族に宛てた遺書を遺族に届けるシーンは涙なしでは見れない。

過酷な状況下で心を閉ざしてしまう原幸彦を演じる安田顕の演技が秀逸。





























日本では1945年8月15日に終戦を迎えてから、75年以上戦争は起きていない。
第二次世界大戦での敗北を認め、無条件降伏をした翌年、日本国憲法において「戦争の放棄、戦力の不保持、国の交戦権の否認」が規定されたためだ。

しかし、世界では現在も内戦やテロ行為、クーデター、ヘイトクライム、ジェノサイドなど、残虐な行為が行われている。

日本がこの先、戦争に巻き込まれることはないと言い切れるか?
ウクライナとロシアの戦争の行方を虎視眈々と見ている中国。
戦争は決して対岸の火ではない。

そこで起きている悲惨な出来事について知り、考えることが今私たちにできることだ。
日本が起こした戦争の歴史も忘れてはならない。
そして、次の世代に伝えていく事もだ。



この映画を見て、山本幡生さんについて、色々読んでみました。

【山本幡生】

山本幡男・その男は
戦後極寒のシベリアの地で
捕虜として捕らえられ
絶望の中でも希望を失わず
仲間を励まし続けた人物である。
貨物列車に乗せられて着いた先は、復員船の待つ港ではなく広漠たるシベリアの収容所であった。「ああ、これがおれ達の死場所か。」深い絶望感に打ち拉がれ声を出す者もなく雪の荒野を眺めるだけであった。
これは収容所生活を体験した抑留者の談話である。

終戦時、旧満州、樺太にいた日本軍兵士、民間人はソ連軍によってシベリアに強制連行された。
その数は約六十万人に及ぶとされ、飢えと寒さ過酷な労働の中で七万人もの人達が亡くなったといわれている。
戦争が終わり、家族への再会を夢見ながら1日も早い祖国への帰還を願っていた矢先の出来事だけにどれだけ無念であったことか。その遣るせない思いを想像すると胸が痛む。
シベリア抑留にまつわる事実が、ノンフィクションとして紹介されたのは、一九八九年のことである。
辺見じゅん氏の「収容所から来た遺書」が全国的に話題となりテレビや演劇で取り上げられるようになった。 その内容は地獄のようなシベリア抑留生活であっても不屈の精神を以て人間らしく生きることに徹した山本幡男という男と、彼を慕う同胞が、ソ連の監視網を潜り暗記によって山本幡男の遺書を遺族に届けたという感動の物語である。
ソ連から一方的に戦犯( 謀略諜報行為)としての汚名を着せられ、重労働二十五年の刑を受けた山本幡男であったが、彼が収容所で行ったことは如何なる過酷な条件にも屈することなく、抑留同胞に日本人としての心の糧と生きる希望を与え続けたことであった。

山本は、第二次世界大戦での日本の降伏後にソ連に抑留され、スヴェルドロフスク収容所へ入れられた。
満鉄調査部での北方調査やハルビン特務機関で山本はソ連の新聞や雑誌の翻訳を行っていたが、これらの活動がソ連に対するスパイ行為と見なされ、戦犯としてソ連の国内法(刑法第58条第6項)により重労働20年の刑を下された。

山本は軍人としては一兵卒であったが、この刑期は軍の司令官や大将にも匹敵する。
これほどの重い刑となったのは、ソ連のスパイとなることを強要された山本がそれを断った、
または戦争の影響で正式な裁判が行われなかったため、との説もある。
以後、冬には零下数十度となる厳しい気候、粗末な食事をはじめとする劣悪な環境のもと、長年にわたって重労働を強いられることとなった。





















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