ナガオの大学進学、住まいも決まり日本へ帰国した花房ちゃこ
男3人「夫、次男三男」はどんな様子だったのか.....。
当時の日記より~
◆2004/2/25(水)◆
昨夜のフライトで、無事帰国。
経費節減のため、関空からスーツケースを宅急便で送ることもやめ、手荷物3つと一緒に、スーツケースを引っ張りながら電車に乗って帰ってきた。
それはもう半分死人状態で。
向こうでは元気だったわたしだが、用事を一通り終わらせることができた安堵感からか、戻ってきて、どっと疲れが出てしまい、今日は何も手につかなかった。
最悪なことに口内炎ができてしまい、鋭い痛みから、神経が口の周辺にいってしまう。
あれだけ、向こうで食べることに意欲を燃やしていたのに体重計に乗ってみると2キロ落としていた。
やつれるはずだ。
用事がてんこ盛りのはずなのに、なにから手をつけて良いのか
かといって、まだ神経が高ぶっているのか
寝ることもできないでいる。
もっと最悪なのは、うだるような炎天下の中を
連日歩いたため、顔と手が日焼けしてしまったこと。
鏡を見て唖然。誰の顔や・・・・・・・・・・・
手を見て愕然。なんてこと・・・・・・・・。
今日、夫と一緒に郵便局に行ったとき、わたしの日焼けした手を見て
「ママ、年取ったなあ」と
その言葉にまたショックを受けたわたし。
ズタボロ状態のわたしだが、ツギオ、ミツオは母が帰ってきて満面の笑みだ。
「パパの食事が、すごいのなんのって」
「カレースパゲッティを食わされた」
「酔っ払って台所に立ってると、何食わさせるのかと怖くて怖くて」
食事作りから開放されたオットもまた満面の笑み。
夕飯後リビングで頼みもしないのに、見てるほうが恥ずかしくなるような社交ダンスを披露してしてくれた。
(この頃主人は社交ダンスを習っていた)
「腰の動きはこうね、こう」
と、それはとても華麗とは言えない
まるで、たこ踊りのようなけったいな動きなのだけど
楽しそうに愉快に踊るオットをみて、ああ、平和な我が家だとつくづく思うのだった。
シドニー滞在中は、実にハードな毎日を送っていたのだが、ノートパソコンを抱えて、日記だけはつけた。
写真をゆっくり撮る余裕はなかったが、
少しばかりの画像と一緒に、週末にでもアップしてみようと思う。
ああ、それよりこの荒れ果てた砂漠のような顔をなんとかせねば。
◆2004/3/1(月)◆
シドニーから戻ると、福島でオットと同じ業種の会社を営んでいる義姉から、「社のホームページを作ってほしい」ということでデータが送られてきていた。
私が自分のホームページ作成に使っているソフトは「HOTALL」
事務員さんはビルダーで作成しているということなので、慣れないソフトで、手こずりながら作り始めている。
シドニー滞在中に、オットのすぐ上の義兄の奥さん(中国人)が男の赤ちゃんを出産し、25日にお見舞いに行って来た。
義兄に目元の似た綺麗な赤ちゃんだった。
夫婦とも綺麗な顔してるから、きっとハンサムになるだろう。
性格だけはお嫁ちゃん似でありますように。
(義兄の性格は最悪)
出産日が近づいてもなかなか生まれず、
子宮が硬くて結局帝王切開になったが、母子ともに健康。
帝王切開することになったとき、義兄は酒を飲んで病院へ行き、
「メスを入れるとはどういうこっちゃ!」と看護婦さんをつかんで大暴れしたしたらしい。
あの義兄ならあり得る。
どうして、オットの兄弟たちはこうも、頭が固くて古いんだろ。
若いお嫁ちゃんは、「もう、ほんとに困ります~」と嘆いていた。
ナガオの、足の骨折の手術の際も、夫は同じように騒いだ。
シドニーに滞在していたわたしと国際電話での激しいやりあいだ。
「手術は許さん、ナガオの足にメスを入れてみろ、離婚だ、離婚」の言葉に、
「離婚、あああ、結構。、離婚でもなんでもしてやる」と
私は、シドニーの主治医を信じ、手術をしてもらうことにしたのだった。
つくづく兄弟って、おんなじ血が流れているんだなあと思う。
その義兄から先日電話があった。
「ちゃこちゃん、これからも嫁ちゃんをよろしく。彼女の相談に乗ってほしい」と。
「兄さん、帝王切開しなくちゃならないときだってあるんだよ、母子ともに健康で良かったじゃない。病院で暴れたんですって?
自分で産んで見なさいよ、ケツの穴からでも」と軽く言ってやった。
私も強くなったもんだ(そして下品にも)
口内炎の痛みから、食事がまともに取れない上に
眠れないものだから、疲れが一向に取れなかったが、チョコラBBと、「死ぬほど疲れたときに」がうたい文句の漢方薬を買ってきて金曜日の夜、やっとこさぐっすり眠ることができた。
エステにも行って来た。
週末は、ナガオの引越しの片付けで火がついたか、
ミツオの部屋の模様替え、片付けの手伝いから、本の整理(かなりの漫画を処分)
一階、2階の押入れの片づけをやった。
なんてすっきりしたんだろう!
家の裏の洗濯物の干し場は凄いことになってるけど。
廃品回収日や、燃えないごみの日、燃えるごみの日よ、早く来い
家の片づけを一通り終わらせ、体もなんとか戻りつつある。
まだまだやることだらけだが、ボチボチやろう
相変わらず、怒涛の花房ちゃこ
当時42歳の私だ。
よく頑張ってるし結構タフだ、20年前の私
昨年還暦を迎えたが、仕事がメインの今、相変わらず忙しい。
本日も波乱万丈~
人生はまだ続く
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