海の日にあわせて、堺の大浜にある旧堺灯台の内部が一般に公開された。
暑いのに、おおぜい見学に来てる。
これ、明治10年に建てられた灯台。
建築当初の場所に現存する木造洋式灯台としては、わが国では最も古いもののひとつとして、昭和47年に国の史跡に指定されたとのこと。
内部では、スタッフ・・・たぶん市役所の人が資料写真を使って、説明してくれる。
明治10年に建てられた時は、1階部分は柱と梁のみで、壁はなかった。
その後、明治36年の内国勧業博覧会観覧券に描かれた灯台の姿では1階部分に壁はつけられている。
昭和2年、光源はランプから電球になった。
明治10年に建てられてから、約130年間、波風に耐えてきた柱。
平成13年から平成19年までの解体修理で、6本ある柱のうち、2本は傷みが激しいので新しい柱と交換。
残りの4本は、そのまま使用してるとのこと。
波風にさらされた明治10年の柱が、そのまま使えること自体すごいなあ。
この、平成13年からの解体修理で、「検潮所」は取り壊されたらしい。
「検潮所」って、潮位をはかる施設のこと。
交換した2本は、灯台の内部に立てた状態で保存してある。
防波堤の先に立ってる木製の灯台は、年中、波風にさらされてる。
台風の時なんて、大波をかぶるやろうし、風もモウレツやろう。
コンクリートでもなく、鉄でもない、木製の灯台。
すごいなあ、よく耐えられたもんやなあ。
2階より上には危険なので上がることは出来ないけど、木目の壁が見えてる。
これ「木目塗」といって、職人さんが筆やハケで木目模様を描いたとのこと。
明治の職人さんは、凝ったことをするなあ。
下から、2階の壁を見上げたところ。
入口の「ひさし屋根」の上にある、植物の葉か花びらのような、飾り彫刻。
これ、何って言ってたかなあ「アクオリア???」やったかなあ・・・
スタッフの方に教えてもらったのに忘れてしまった。
日本でいうなら「鬼瓦」のように、西洋では柱の先端にこんな飾り彫刻を付けるらしい。
昔は、防波堤だったこの場所も、今じゃ埋め立てが進んで、周囲に工場が建ち、阪神高速が通ってる。
こんなに、整備される前は、大浜の灯台は荒れ放題やった。
臨海工業地帯の埋め立て優先、工場建設優先やったので。
すぐ近くを阪神高速が通ってて、灯台が窮屈そう。
ちょうど、お江戸日本橋の上を首都高速が通ってるのと似てる。
※一部、別の日に撮った写真も含まれてます。