花園御岳城は、寄居町の少林寺裏にある小城郭です。
その機能は花園城と御岳城の間にある間道を抑えるためのものだったと考えられます。
規模的には山城というよりも、花園城の地域的防衛力強化のために築城された砦というべきかもしれません。
写真は、昭和61年(1986年)の1月3日だと思われます。
当時、正月の3日目に、少林寺にお参りに行っていました。
少林寺は五百羅漢の石像や千体荒神板碑が有名ですが、千体荒神の並ぶ山道に従って歩くと、
花園御岳城のある御岳山山頂に出ます。
花園御岳城は本丸に空堀で切った腰曲輪を備えた簡素なものです。
本丸には荒神碑が並んでいます。

本丸と腰曲輪を切る空堀ですが、ここにも伐採した丸太が投げ込まれています。

この堀の丸太を踏み越えて、腰曲輪に進入しますが、やぶになっています。

本丸、腰曲輪とも、想像より広かったです。
堀に投げ込まれた丸太は、不安定に浮いた状態になっていることが多く、丸太ごと滑落なども考えられるので、
気をつけたいです。
この日は参拝者も多かったです。城内にも、10名前後の家族ずれがいた記憶があります。
正月の家族連れでは、さすがに腰曲輪の藪には踏み込んでいけませんでした。
その機能は花園城と御岳城の間にある間道を抑えるためのものだったと考えられます。
規模的には山城というよりも、花園城の地域的防衛力強化のために築城された砦というべきかもしれません。
写真は、昭和61年(1986年)の1月3日だと思われます。
当時、正月の3日目に、少林寺にお参りに行っていました。
少林寺は五百羅漢の石像や千体荒神板碑が有名ですが、千体荒神の並ぶ山道に従って歩くと、
花園御岳城のある御岳山山頂に出ます。
花園御岳城は本丸に空堀で切った腰曲輪を備えた簡素なものです。
本丸には荒神碑が並んでいます。

本丸と腰曲輪を切る空堀ですが、ここにも伐採した丸太が投げ込まれています。

この堀の丸太を踏み越えて、腰曲輪に進入しますが、やぶになっています。

本丸、腰曲輪とも、想像より広かったです。
堀に投げ込まれた丸太は、不安定に浮いた状態になっていることが多く、丸太ごと滑落なども考えられるので、
気をつけたいです。
この日は参拝者も多かったです。城内にも、10名前後の家族ずれがいた記憶があります。
正月の家族連れでは、さすがに腰曲輪の藪には踏み込んでいけませんでした。