暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

桜沢砦(寄居町)

2017-11-10 23:29:18 | 城館跡探訪
本日は、桜沢砦の紹介をいたします。

桜沢砦は熊谷方面から秩父方面に向かって秩父街道を直進し、寄居警察署そばにある

桜澤八幡大神社の裏山です。ここは、鉢形城攻城戦における城攻め方の砦であったようです。

鉢形城攻城戦の城攻め方の砦と言えば、大筒を打ちこんだ車山が有名ですが、

こんな場所にも砦があったのです。

桜沢砦の優秀性は、登ってみれば一目瞭然で、当時でも大型の建築物が増えていた

寄居市街地の向こうに鉢形城を臨むことができます。

鉢形城とその支城は、広域防衛とでも言えば適当なのでしょうか、秩父山塊と河川、街道の立地を

うまく利用しながら要所、要所を押さえて高度な防衛力を発揮する、将棋に喩えれば、

ツノ銀中飛車で飛車を下段に引いた陣形に似ています。

大模様に構えた陣形は整然とした形の時には強いが、本城-支城の連携関係を分断されると急速に弱体化してしまう。

桜沢砦は、この連携関係にくさびを打ち込むには絶好の位置と言わざるを得ません。

用土城との連携関係はもちろん、花園城もこんな目と鼻の先に敵がいては、動くに動けないでしょう。

写真は昭和60年頃(1985年)の写真で、金尾山城、用土城、前耕地の堀ノ内(用土氏館跡)と同じ日に

訪ねた時のものです。平場全体と展望を撮影するべく、奥に引いて撮影しました。





桜沢砦は、急造の砦らしい簡素な造りで土塁などは特になく、小さな山の頂を平場にしています。

小規模の土壇がありますが、これも櫓台に利用されたのかは断定できない、さりげないものでした。


城館跡としては、期待するほどのものではないかもしれませんが、もう一つの見所は砦の入り口に

鎮座する桜澤八幡大神社とその周囲に見られる石仏で、道祖神や庚申塔の面白いものが発見できます。

桜澤八幡大神社は猪俣党の守り神の一つだったそうで、境内も山里の神社らしく厳粛な雰囲気をたたえています。

お好きな人には、こちらにも目を配って訪ねていただきたいと思います。

当時の城館跡探訪資料のこと (加筆しました)

2017-11-10 00:01:51 | 城館跡探訪
最近では、城館跡探訪に関するブログも増え、城館跡マニアの相互情報交流も増えているようです。

また、情報ツールの発達で位置情報を入手するのも容易になりました。隔世の感があります。

80年代はといえば、埼玉県の城館跡に関する網羅的情報の入手に欠かせなかったのは、

1968年に埼玉県教育委員会が編纂した『埼玉の館城跡』という本です。



この本は、1987年に国書刊行会から復刊されており、わたしが所有しているのも

国書刊行会版ですが、中学生の時は、旧版を図書館で発見し、見開きで10メージ程ずつ

コピーを繰り返して、数週間がかりで丸ごとコピーをしました。


当時は、GPSのような詳細な所番地に簡単にアクセスするツールもありませんでしたから、

平場の城館探訪の際には、主にゼンリンの住宅地図を使って場所を確認していました。

ゼンリン住宅地図の場合、現場の起伏は分かりませんが、水路については素直に表記されておりました。

枯れた水路も記載されていた点は、優れた地理情報だったと思います。


中田正光氏によって、1982年には『秩父路の古城祉』が、有峰書店新社から刊行されました。



1984年には『埼玉の古城祉』が、有峰書店新社から刊行されました。



、高校生だった私は、部活の試合の帰途、都市部(大宮市)の大型書店店頭でこれ等を発見し、購入しました。


当時の専門書としては、他にも、新人物往来社から出版された『日本城郭大系』があり、

私は、お年玉で購入しましたが、同書は各県の名城を中心に取り扱っており、網羅性に欠けるのが難点でした。


後に、埼玉県教委で『埼玉の館城跡』をはるかにしのぐ『埼玉の中世城館跡』(1988)が発行されました。

これは菅谷館跡に建つ、現在の埼玉県立嵐山史跡の博物館で購入しましたが、国土地理院の地図に基づいた

地理情報が細かに確認できる、決定版的報告書だったと思います。