最近、大分手持ちのネタが尽きてきました。
わたしは、現在、仕事の関係で埼玉県在住ではないので、城跡の探訪・調査は冬期と夏期の
里帰り時になります。
ちなみに勤務先地域の城郭には全く関心がありません。
自分が、その地に本当に根付いていないためでしょう。
今日は古い、資料の中から、松山城跡の写真を見つけ出しましたので、記事にしてみました。
武州の名城松山城跡は吉見町の凝灰岩質左岸の丘の上にあります。

南西側市野川対岸から見た遠景です。
がけ下にあるのは、知る日ぞ知る「岩窟ホテル」です。
現在ここは、立ち入り禁止ですが、当時は、まだ入場できたはずです。
わたしも、2度、この中に入ったことがあります。
本当は、1回の大穴は醤油倉庫として使われていたのです。また、ホテル内部は2階構造になっていましたが、
湿度が高く、宿泊も許されていませんでした。
最近は心霊スポットのような扱いになっているのですが、宿泊したとか話していて、まったくでたらめで、
困りますね。ああいうのは。
さて、松山城跡本丸には、一時、新興宗教団体の施設があったそうです。
下の写真が本丸ですが、ここに残っているのは、遺構ではなく団体の建物のコンクリート製の土台です。

城址碑は非常に大きなものです。

本丸手前にある空堀ですが、非常に大きく深く、おまけに赤土の堀ですから、落ちようものなら滑って
這い上がってくるのには一苦労でしょう。
搦め手口の岩室観音です。本当に真っ暗な写真で話になりませんが、


この搦め手口を登り切った場所に、惣曲輪があり、穴があります。

これを井戸跡とする説もありますが、どうも、樹木を抜いた跡か陥没痕だということのようです。
昨年末頃から、松山城に関する書物を読んでいたのですが、さまざまな伝承があり、そうしたことも踏まえて
調査に行きたいと思っています。
わたしは、現在、仕事の関係で埼玉県在住ではないので、城跡の探訪・調査は冬期と夏期の
里帰り時になります。
ちなみに勤務先地域の城郭には全く関心がありません。
自分が、その地に本当に根付いていないためでしょう。
今日は古い、資料の中から、松山城跡の写真を見つけ出しましたので、記事にしてみました。
武州の名城松山城跡は吉見町の凝灰岩質左岸の丘の上にあります。

南西側市野川対岸から見た遠景です。
がけ下にあるのは、知る日ぞ知る「岩窟ホテル」です。
現在ここは、立ち入り禁止ですが、当時は、まだ入場できたはずです。
わたしも、2度、この中に入ったことがあります。
本当は、1回の大穴は醤油倉庫として使われていたのです。また、ホテル内部は2階構造になっていましたが、
湿度が高く、宿泊も許されていませんでした。
最近は心霊スポットのような扱いになっているのですが、宿泊したとか話していて、まったくでたらめで、
困りますね。ああいうのは。
さて、松山城跡本丸には、一時、新興宗教団体の施設があったそうです。
下の写真が本丸ですが、ここに残っているのは、遺構ではなく団体の建物のコンクリート製の土台です。

城址碑は非常に大きなものです。

本丸手前にある空堀ですが、非常に大きく深く、おまけに赤土の堀ですから、落ちようものなら滑って
這い上がってくるのには一苦労でしょう。
搦め手口の岩室観音です。本当に真っ暗な写真で話になりませんが、


この搦め手口を登り切った場所に、惣曲輪があり、穴があります。

これを井戸跡とする説もありますが、どうも、樹木を抜いた跡か陥没痕だということのようです。
昨年末頃から、松山城に関する書物を読んでいたのですが、さまざまな伝承があり、そうしたことも踏まえて
調査に行きたいと思っています。