滑川町の泉福寺館は、三門館のある台地に対して、低地を挟んだ舌状の台地上にあります。
斜面に対して直角に竪堀を切り、長方形にした江南台地上によく見られるタイプの陣城です。
恐らく、泉福寺館は三門館と一対になって機能していたものではないかと推測します。
この泉福寺館を訪ねたのは秋でした。
三門館に行こうと思っていたのですが、勘違いをして向かい側の泉福寺のある台地に
登ってしまったのです。
たまたま登った場所に、館跡があったのでした。
当時私が基本資料として利用していた『埼玉の館城跡』には、記載されていなかったのですから、
存在を知る由も無く、訪問したのは、まったくの偶然でした。
泉福寺館は、こういっては失礼ですが、マンガ日本昔話に出て来る、
妖怪の住む無住の山寺と言った風情でした。
写真は、この当時の自分としては珍しく、遠景を一度押さえています。
泉福寺の周辺には、空堀があったのですが、手持ちのデータの記述と一致せず、
不安をもちながら写真を撮影しました。下の写真などは、土塁を撮影したのだと思いますが、
今一ピンと来ないですね。データには、「失敗写真」と書かれていました。
斜面に対して直角に竪堀を切り、長方形にした江南台地上によく見られるタイプの陣城です。
恐らく、泉福寺館は三門館と一対になって機能していたものではないかと推測します。
この泉福寺館を訪ねたのは秋でした。
三門館に行こうと思っていたのですが、勘違いをして向かい側の泉福寺のある台地に
登ってしまったのです。
たまたま登った場所に、館跡があったのでした。
当時私が基本資料として利用していた『埼玉の館城跡』には、記載されていなかったのですから、
存在を知る由も無く、訪問したのは、まったくの偶然でした。
泉福寺館は、こういっては失礼ですが、マンガ日本昔話に出て来る、
妖怪の住む無住の山寺と言った風情でした。
写真は、この当時の自分としては珍しく、遠景を一度押さえています。
泉福寺の周辺には、空堀があったのですが、手持ちのデータの記述と一致せず、
不安をもちながら写真を撮影しました。下の写真などは、土塁を撮影したのだと思いますが、
今一ピンと来ないですね。データには、「失敗写真」と書かれていました。