黒岩横穴群は、吉見町の八丁湖湖岸にあります。
黒岩横穴群は、正式には黒岩横穴墓群と言います。
近年では、雑草が生い茂り、横穴群のある岩丘上の土砂が崩れ落ちてくるため、
露出した穴が埋まってしまい、穴を観察するのは難しくなっております。
私は中学生のころ、5月になると、自転車でこの横穴群を訪ねてきました。
当時、大里、吉見の荒川沿いの水田地帯は、しばしば濃霧が発生し、
この濃霧の中を走っていくのが、異世界的な味わいがあって楽しかったのを覚えています。
黒岩横穴群にも、軍事用に掘られたとみられる大きな横穴が2か所あり、懐中電灯をもって、
最深部まで探検をしたことがありますが意外に浅い穴でした。
ヒカリゴケも生えていて、しかも、時期によっては洞窟内にも霧が発生するのでした。
この穴は、軍事用に掘られた坑道の近くにあった横穴を撮影したものです。
この辺りは、谷津谷が多く、首切り谷、地獄谷などおどろおどろしい名前がついています。
場所は、かつて紹介した原伏見稲荷のさらに奥です。
私は松山城の攻防戦に関係のある土地なのかと思いましたが、松山城に関する文献を読んでも、
特に、関係を示す記述はありませんでした。
松山城周辺には、戦死者を生めた塚があり、随分、人骨の出る場所があるようなのです。
首切り谷、地獄谷は別のいわれがあるのかもしれません。
実際に現地で聞き取りをする必要があると思います。
黒岩横穴群は、正式には黒岩横穴墓群と言います。
近年では、雑草が生い茂り、横穴群のある岩丘上の土砂が崩れ落ちてくるため、
露出した穴が埋まってしまい、穴を観察するのは難しくなっております。
私は中学生のころ、5月になると、自転車でこの横穴群を訪ねてきました。
当時、大里、吉見の荒川沿いの水田地帯は、しばしば濃霧が発生し、
この濃霧の中を走っていくのが、異世界的な味わいがあって楽しかったのを覚えています。
黒岩横穴群にも、軍事用に掘られたとみられる大きな横穴が2か所あり、懐中電灯をもって、
最深部まで探検をしたことがありますが意外に浅い穴でした。
ヒカリゴケも生えていて、しかも、時期によっては洞窟内にも霧が発生するのでした。
この穴は、軍事用に掘られた坑道の近くにあった横穴を撮影したものです。
この辺りは、谷津谷が多く、首切り谷、地獄谷などおどろおどろしい名前がついています。
場所は、かつて紹介した原伏見稲荷のさらに奥です。
私は松山城の攻防戦に関係のある土地なのかと思いましたが、松山城に関する文献を読んでも、
特に、関係を示す記述はありませんでした。
松山城周辺には、戦死者を生めた塚があり、随分、人骨の出る場所があるようなのです。
首切り谷、地獄谷は別のいわれがあるのかもしれません。
実際に現地で聞き取りをする必要があると思います。