成澤城跡の東側は、南側の段丘と低湿地を作っていた小河川が、東流して北側の和田吉野川に合流していますが、
これによって深い谷が形成されています。
上の写真は城跡のある段丘から大きく下る坂道を撮影したもので、ここを、前述の河川が、
下の写真のように流れております。撮影地点は少し盛り上がっているように見えますが、すぐ後ろには
もう一段下がる庚申塔の並んだ坂道があります。
この対筋が村落境界になっていることは、庚申塔が並べられているので明らかです。
最後に、城跡の北側を見て見ましょう。
城址北側には、南側に比較して、北側には、平場が広く開けております。また、上の写真のように、静簡院裏の土塁と
そこから分岐した土塁が出ているので、城跡はこの平場にもなわばりをもっていた可能性があると期待できます。
江南台地の辺縁が大きく盛り上がっているのがはっきりとわかります。また、その手前、民家の前辺りを、
堀状のものがあるのがあるように見えます。
この辺縁部に物見櫓跡が残っていても不思議ではなく、また、車両での移動中に空堀のような遺構の残存も
確認できたのですが、今回は、追加調査に行くことができませんでした。
また、夏以降に、再調査を掛けることができたらいいと思っております。
これによって深い谷が形成されています。
上の写真は城跡のある段丘から大きく下る坂道を撮影したもので、ここを、前述の河川が、
下の写真のように流れております。撮影地点は少し盛り上がっているように見えますが、すぐ後ろには
もう一段下がる庚申塔の並んだ坂道があります。
この対筋が村落境界になっていることは、庚申塔が並べられているので明らかです。
最後に、城跡の北側を見て見ましょう。
城址北側には、南側に比較して、北側には、平場が広く開けております。また、上の写真のように、静簡院裏の土塁と
そこから分岐した土塁が出ているので、城跡はこの平場にもなわばりをもっていた可能性があると期待できます。
江南台地の辺縁が大きく盛り上がっているのがはっきりとわかります。また、その手前、民家の前辺りを、
堀状のものがあるのがあるように見えます。
この辺縁部に物見櫓跡が残っていても不思議ではなく、また、車両での移動中に空堀のような遺構の残存も
確認できたのですが、今回は、追加調査に行くことができませんでした。
また、夏以降に、再調査を掛けることができたらいいと思っております。
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