今回は、旧妻沼町にある日向城について書きたいと思います。
調査日は、2019.01.29です。
わたしは低湿地帯・平場の城跡は夏場に回ればよいと思っていますが、今冬は、体調を崩してしまい
体調の持ち直した日の、日中の限られた時間を使って、地元の平場の城跡に行くことにしました。
日向城は、旧妻沼町、福川南岸にある西城、東城とそれほど離れていません。
この城跡群を訪問する方は、セットで訪ねた方がお得だと思います。
日向地区、長井神社の境内が、日向城です。
長井神社には不思議な大蛇退治の縁起譚が伝えられています。
水神信仰の最も古い形態は蛇であり、河童などの成立は、ずっと後代のものであるとると私は考えていますが、
これは治水・水利の技術水準とも関係するものでしょう。
城の話に戻ります。
長井神社は道路沿いからも入ることができますが、わたしは車を乗り入れず、少し離れた水田脇に駐車しました。
鳥居のある参道から入ります。
もっとも、水堀以降は神社入口付近にもはっきりと確認できます。
正直、かなり小規模の城郭を想像していたのですが、想像は良い方に裏切られそうです。
境内・参道沿いにも水堀遺構が確認できます。
さて、鳥居をくぐってすぐそばに祠があります。弁財天でしょう。
日向神社参道沿いには左右に水堀跡が残されています。
下の写真は弁天社の周囲のものです。
参道左側の、この生垣の向こうにも水堀跡があります。
注目すべきは下の写真で、民家の後ろ側に回り込むように展開しており、長井神社境内は、日向城の郭の一つに
すぎないと思われます。
長井神社社殿です。
社殿隣には巳海宮という祠があります。
ここにあったといわれる沼、「竜海」にちなむものだと思いますが、どちらが件の大蛇をまつったお宮なのでしょうか?
社殿裏に回ると、この辺りにも水堀跡があります。
既に述べたように、長井神社一帯は、日向城の遺構が最もよく残っている場所で、
実際には、郭の一部にすぎず、実際の日向城はもっと大きな城だったと考えます。
機会を見て、城跡範囲の推測のための追加調査に行きたいと思います。
調査日は、2019.01.29です。
わたしは低湿地帯・平場の城跡は夏場に回ればよいと思っていますが、今冬は、体調を崩してしまい
体調の持ち直した日の、日中の限られた時間を使って、地元の平場の城跡に行くことにしました。
日向城は、旧妻沼町、福川南岸にある西城、東城とそれほど離れていません。
この城跡群を訪問する方は、セットで訪ねた方がお得だと思います。
日向地区、長井神社の境内が、日向城です。
長井神社には不思議な大蛇退治の縁起譚が伝えられています。
水神信仰の最も古い形態は蛇であり、河童などの成立は、ずっと後代のものであるとると私は考えていますが、
これは治水・水利の技術水準とも関係するものでしょう。
城の話に戻ります。
長井神社は道路沿いからも入ることができますが、わたしは車を乗り入れず、少し離れた水田脇に駐車しました。
鳥居のある参道から入ります。
もっとも、水堀以降は神社入口付近にもはっきりと確認できます。
正直、かなり小規模の城郭を想像していたのですが、想像は良い方に裏切られそうです。
境内・参道沿いにも水堀遺構が確認できます。
さて、鳥居をくぐってすぐそばに祠があります。弁財天でしょう。
日向神社参道沿いには左右に水堀跡が残されています。
下の写真は弁天社の周囲のものです。
参道左側の、この生垣の向こうにも水堀跡があります。
注目すべきは下の写真で、民家の後ろ側に回り込むように展開しており、長井神社境内は、日向城の郭の一つに
すぎないと思われます。
長井神社社殿です。
社殿隣には巳海宮という祠があります。
ここにあったといわれる沼、「竜海」にちなむものだと思いますが、どちらが件の大蛇をまつったお宮なのでしょうか?
社殿裏に回ると、この辺りにも水堀跡があります。
既に述べたように、長井神社一帯は、日向城の遺構が最もよく残っている場所で、
実際には、郭の一部にすぎず、実際の日向城はもっと大きな城だったと考えます。
機会を見て、城跡範囲の推測のための追加調査に行きたいと思います。
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