本日は、滑川町の羽尾城跡について紹介いたします。
調査日は、2019.01.23です。
森林公園前を通過する元有料道路を南下すると、市野川を越える橋があるのですが、
その橋の手前を左に入ると、市野川沿いの丘の上に羽尾城跡があります。
羽尾城は東西に細長い長方形の城で、東西にかけて三つの郭が並んでいます。
現在、中に入れるのは、中の郭だけで、西側は私有林と民家があって、あまり詳しく内部を見ることはできません。
また、櫓台のある東の郭は、東京の会社の所有地で、工場建設予定地でしたが、
埋蔵文化財に対して知識のなかったようで、発掘をしなければならないことを知って、
計画を断念し、腹いせに周囲を柵で囲って管理を放棄して30年近くを経過しているそうで、
もう、荒廃し放題になっております。
わたしは、羽尾城は3度目なのですが、1985年前後の時点でも東の郭は荒れていましたが、
現状はもっとひどくなっております。
よって、外周の堀と土塁の状況、中の郭の主要部分、東の郭の一部、市野川に面したテラス状の斜面部分
を調査することにしました。
羽尾城の周囲は散歩道コースとして整備されています。入口にも看板があります。
この農道に入っていけば、すぐに城跡にたどり着きます。
羽尾城は堀と土塁がなかなか立派なのですぐにわかります。この辺りが中の郭と西の郭の境目です。
中の郭に農道があるので、少し中を見させてもらいます。
これは、中の郭の北側の堀と土塁です。
西の郭は、きれいな林になっています。
ただ、民家が多いのであまり奥には行けません。
中の郭は畑になっており、きれいに耕されています。よく管理されていますね。
中の郭と東の郭を区切る土塁、堀を見てみましょう。
東の郭は中に入れないばかりか、管理もしていないために荒れ放題で、近隣の住民にも迷惑をかけているそうです。
東の郭の東側外周を見てみます。
東側は、なだらかながら谷状にえぐれています。
空堀は確認できません。
折角なので、東の郭に接近してみました。
土塁は確認できますが・・・もう、中はヤブ以上に雑木が繁茂しています。
市野川沿いに下ってみました。
ここでの目的は、城跡の井戸跡を探すことです。
井戸跡は中の郭のテラス部分、斜面の中腹にあります。
地元一の旧家の方にお願いして、井戸跡を見せていただきました。
こちらのお宅には、金井塚良一先生がよく調査にいらっしゃっていたそうです。
テラス状の部分です。ここには、かつて2軒の民家があったそうですが、現在は町場に転居なさったそうで、
農地になっております。
井戸跡は畑の中にあるユズの木の根元にあります。
この井戸は、戦後にごみや土がたまってかなり埋まってしまったそうですが、痕跡とわかるくぼみがあります。
さらに、羽尾城の斜面には、羽尾城に所縁のある旧家2軒が祀っている八幡社があります。
そこも見せていただきました。
城跡にかかわる古い板碑がありますが、この板碑は、2軒の旧家のものだそうです。
井戸跡や羽尾城に関係のある八万社の存在を確認できたことは収穫でした。
なかなかいい調査になったと思いました。
調査日は、2019.01.23です。
森林公園前を通過する元有料道路を南下すると、市野川を越える橋があるのですが、
その橋の手前を左に入ると、市野川沿いの丘の上に羽尾城跡があります。
羽尾城は東西に細長い長方形の城で、東西にかけて三つの郭が並んでいます。
現在、中に入れるのは、中の郭だけで、西側は私有林と民家があって、あまり詳しく内部を見ることはできません。
また、櫓台のある東の郭は、東京の会社の所有地で、工場建設予定地でしたが、
埋蔵文化財に対して知識のなかったようで、発掘をしなければならないことを知って、
計画を断念し、腹いせに周囲を柵で囲って管理を放棄して30年近くを経過しているそうで、
もう、荒廃し放題になっております。
わたしは、羽尾城は3度目なのですが、1985年前後の時点でも東の郭は荒れていましたが、
現状はもっとひどくなっております。
よって、外周の堀と土塁の状況、中の郭の主要部分、東の郭の一部、市野川に面したテラス状の斜面部分
を調査することにしました。
羽尾城の周囲は散歩道コースとして整備されています。入口にも看板があります。
この農道に入っていけば、すぐに城跡にたどり着きます。
羽尾城は堀と土塁がなかなか立派なのですぐにわかります。この辺りが中の郭と西の郭の境目です。
中の郭に農道があるので、少し中を見させてもらいます。
これは、中の郭の北側の堀と土塁です。
西の郭は、きれいな林になっています。
ただ、民家が多いのであまり奥には行けません。
中の郭は畑になっており、きれいに耕されています。よく管理されていますね。
中の郭と東の郭を区切る土塁、堀を見てみましょう。
東の郭は中に入れないばかりか、管理もしていないために荒れ放題で、近隣の住民にも迷惑をかけているそうです。
東の郭の東側外周を見てみます。
東側は、なだらかながら谷状にえぐれています。
空堀は確認できません。
折角なので、東の郭に接近してみました。
土塁は確認できますが・・・もう、中はヤブ以上に雑木が繁茂しています。
市野川沿いに下ってみました。
ここでの目的は、城跡の井戸跡を探すことです。
井戸跡は中の郭のテラス部分、斜面の中腹にあります。
地元一の旧家の方にお願いして、井戸跡を見せていただきました。
こちらのお宅には、金井塚良一先生がよく調査にいらっしゃっていたそうです。
テラス状の部分です。ここには、かつて2軒の民家があったそうですが、現在は町場に転居なさったそうで、
農地になっております。
井戸跡は畑の中にあるユズの木の根元にあります。
この井戸は、戦後にごみや土がたまってかなり埋まってしまったそうですが、痕跡とわかるくぼみがあります。
さらに、羽尾城の斜面には、羽尾城に所縁のある旧家2軒が祀っている八幡社があります。
そこも見せていただきました。
城跡にかかわる古い板碑がありますが、この板碑は、2軒の旧家のものだそうです。
井戸跡や羽尾城に関係のある八万社の存在を確認できたことは収穫でした。
なかなかいい調査になったと思いました。
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