ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「砂の家」

2022年12月15日 12時07分05秒 | owarai
一度女と寝たということで、
まるで
自分の女みたいに振る舞う
男もいる。

それは女のほうにもいえることで、
一気につんのめっていくタイプも
いる。

けれども時に、その性愛が二人を
結びつけず、男と女を遠ざける方
向に作用することもある。

たった一度のそのことが、関係の
始まりではなく、終わりの儀式に
なることもあるということである。

「丸くなるな、仏になるな」

2022年12月15日 12時04分47秒 | owarai
名城大学の芳村思風さんは、
「長所だけを見つめ、それを
限りなく伸ばしていって、

決して人後に落ちない優れた
能力を獲得することができた
ら、

短所はその人の面白みに変
わる。人間には皆欠点があり
ます。不完全だからこそ人間
なのです。

欠点がなくなって丸くなるの
は、円熟といって神仏の境涯
です」と語っている。

では、長所を見つめて自分を
伸ばしていくには、どうした
らよいのでしょうか?

①現在の自分をしっかり見据え
て欠点や長所を洗い出し、本当
の自分を見つけ出す。

②「どういう人間になりたいのか」
「どういう仕事をしたいのか」
「どいう生活をしたいのか」の
三点を自分に問いかけて、

これから創っていく自分の姿を
明確にし、それに向って自分
自身で歩き続ける。

この「歩き続ける」ということ
が重要です。

③人間の才能とか、長所、
短所として何が引っ張り
出されるかは、人との出会い
によって創られえていきます。

人生や物事に対して絶えず
「問い」を持ち続けていれば、
必ず良い出会いがあるはずです。




好きでいさせて ―1―

2022年12月15日 12時03分11秒 | owarai
飛行機の小窓に額をくつけて、
眼下に広がり景色を見つめた。
なんて広大な森。

アメリカに来るのは、初めて
だった。海外旅行は高校生の
時、母とふたりでツアーに参加
したパリとウィーン、大学時代
に友だちと出かけた香港、その
二回きり。

今回も、パケージツアーに申し
込んだ。「ニューヨークシティ
五日間のバカンス」。飛行機
とホテルと、空港・ホテル間の
送迎バスだけがついてくる。

残っていた有給を、まとめて
取った。退職が受理されて、
冬のボーナスをもらったあ
とで、会社を辞めることに
していた。

どうか会えますように。
神さま、あのひとに、会わせて
下さい。

ツアーに申し込む前に、あのひと
の借りている家の一階に住んでいる、
大家さんに電話をかけてみた。
その電話でやっと、わたしはあの
ひとが家を留守にしていること
を知った。

「カイセイは、この町から車で三時間
ほど北へ走ったところにある、
ナチュラル・アグリカルチャー・
プログラムに参加しているのです。
おそらくあと二週間ほどしたら、
戻ってくるでしょう」

「彼の滞在先の電話番号は、わか
りませんか?」

「残念ながら、それは聞いており
ません。もしかしたら、電話も
電気も水道も、ないところかも
しれませよ。あのあたりは山奥
ですから。かまびすしい現代

文明から開放された、聖域みた
いなところなんです」
そう言ってジャネットは笑った。

わたしは彼女に、渡米の予定
――――それもちょうど二週間
のちだった――――を伝え、

「もしもそれまでに彼が戻って
きたら、わたしに直接、電話を
かけてもらえるよう、伝えてく
ださい」と頼んだ。
「わかりました。伝えます。
問題ありません」
と、彼女は約束してくれた。

マンハッタンを出て三十分ほど
過ぎると、電車の窓から見える
景色は一変した。

電車の揺れに身をまかせ、夕闇
を溶かし込むように暮れていく
河を眺めているうちに、緊張と
昂揚のあまり張り詰めていた
気持ちが、ゆるゆると解けて
くるのがわかた。
きっと会える。

必ず会える。
絶対に会える。

胸の中で念じ続けていたそれ
らの言葉が、静かにその輪郭を
失ったあと、澄みきった心の
表に浮かんできたのは、たった
ひとつの想いだった。
あのひとが、好き。

父が逝った夏、八番目の曜日に、
あのひとは言った。
泣いていいよ。泣きたければ、
いつまでだって、好きなだけ
泣いて。俺はずっとそばにいる
から。

あのひとの言葉を、ひとつ残らず
覚えている。

優しい言葉も、熱の籠った言葉も、
さり気なく置かれたひとことも、
ただの相槌でさえも。いいえ、それ
は覚えているのではなくて、突き刺
さっているのだ。

ガラスの破片のように、柔らかい
薔薇の棘のように。だからわたし
の胸は、こんなにも、痛い。

北へ、北へと、あのひとの住む
町に向かって、まるで河面を滑る
ように走る電車の中で、泣き出し
てしまいそうになるくらい、叫び
出してしまいそうになるくらい
・・・・
あなたが、好き。

アイシテイル
トオクハナレテイテモ
ワタシタチハ

ツナガッテイル


「“一片のさつまいも弁当”が心の財産」

2022年12月15日 12時01分41秒 | owarai
芹沢光治朗の自伝的大作『人間の運命』
の中で、主人公の次郎はこう語っている。

「子ども心に、財産とは何であろうか、
その財産を神に捧げたいということは
どういうことか、貧乏になって不幸だ
と大人の言うのはどういう意味か、

必死に考えた。自分は貧乏であると
知っているが、そのために裸足で
学校に行き、一片のさつまいもを
弁当にしても、教室で学んだり、

運動場で騒いだり、下校の途上喧嘩
をしたりして、幸せである。

貧乏のために、学校から帰っても、
海辺へ打ち上げられる木片を拾いに
行き、林や山へ落ち葉をかきに行か
なければならないが、

未開人のように自然の中に、自由に
生きていて、幸せである。

それなのに、大人はなぜ不幸であろう
かと、真剣に考えた・・・・」

今私たちは、確かに物質的には豊に
なりました。食べ物は、世界中のもの
が季節に関係なく食べられます。

寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適
にしのげるようになりました。
移動も、車や電車、飛行機で世界中
を簡単にできます。

でも、豊かな自然は消え、人間関係は
ギスギスしています。それが本当の
幸せなのでしょうか?