ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

唇の上で結ばれあうもの

2022年12月25日 12時10分08秒 | owarai
ひとつの愛がはじまるのも
終わるのも、ひとびとの唇
の上である、

口は人体のなかで、もっと
も危険な箇所の一だ。

放っておくと口からどんどん
悪魔が入りこんでくるので、
魔除けをしなければならない。

そこで、唇のまわりに悪魔の
一番きらいな色である、赤を
塗った。それが口紅のはじま
りなんだそうだ。

そこでぼくは言いたいことが
ある。それは、口紅をつけた
きみに惹きつけられるほくは、
悪魔ではない、ということだ。

口紅をつけない素顔のきみが
素敵だよ、などと言う男友だ
ちがいたら、これも要注意だ。

なにしろ、きみのまわりから
赤い色をとり除かせようとす
るのは、みんな悪魔のまわし
者なんだ。

生まれたばかりの子は、天使
に守られていて、手が出せな
い。だから「赤ちゃん」と
呼ばれているのである。



愛の時刻表

2022年12月25日 12時08分15秒 | owarai
「何かがまばたきをすると、
わたしが生まれる。
何かがまばたきすると、
わたしは死んでしまう」
と、ウイリアム・サローヤン
は書いていた。

「何か」とは一体、なんなの
だろう。

夕暮れ、一人で部屋にいて、
「何か」の正体について考え
ると、ぼくは心細くなって
くるのだった。

では、ことばはまばたきする
か?さて、どうだろうか?と、

ことばはまばたきするか、な
んて質問自体が、とてもへん
なのだ。

だが、へんな質問は、まだまだ
ある。
「愛はまばたきするか?」と、
だれかに訊かれたら、ぼくは
何と答えたらいいんだろうか?

愛はまばたきをしなくとも、
ときどきウインクはする。
ウインクは、片目のまばたき
である。

ぼくがきみと二人きりで、
じっと見つめあっているとき
でも、ぼくは少なくとも一分
回に八回も、瞼を開け閉じし
ていることになる。

だが、それはきみも八回も「見
なくなる」のではなく、八回も
「見直す」ことなのである。

ぼくは、まばたきをする。その
あいだに、きみはどんどん成長
してゆく。八回、瞼をひらくた
び、きみは八回だけ大人になっ
ている。

それが、ぼくたちにとって、唯一
の愛の「時刻表」だと、いうこと
になるんである。



さりげなく親切

2022年12月25日 12時06分41秒 | owarai
与えたものは必ず自分に返って
きます。
悪口には悪口が返ってきます。

親切には親切が返ってきます。

親切といっても、自分のできる
小さなこと。

体の不自由な人がいたら、荷物
を持ってあげる。

困っている人の話を聞いて
あげる。


小さな親切を毎日してみましょう。

困っている人を放っておかない。
それらは別な形で、いずれあなた
に返ってきますよ。


喜び

2022年12月25日 12時04分07秒 | owarai
喜んでいる人へ、幸運はやってくる。
「うれしい」ときには、「うれしい」
と言う人は、

小さな「うれしい」が、大きな「うれ
しい」になります。

さらに、他の人にいいことがあった
ときに喜べる人は、喜びの達人。

いい友だちは、悲しんでいる人と
いっしょに悲しみ、、喜びもいっしょ
に喜べる人。

喜びはそれを祝福する人に伝染し
ます。

いつかあなたのもとに幸運をつれて
帰ってきますよ。

男と女というのは

2022年12月25日 12時02分08秒 | owarai
「追いかければ逃げる、
逃げるから追いたい」
という力関係がある

 年下の男と年上の男
との力関係をお月様と
太陽の関係で説明する
と、年下のお月様だと
思う。

 中空に浮かんでいる
だけで、こちらが思い
焦がれるだけに一方
通行。ところが太陽で
ある年上の男は十分光
り(愛)をくれるから、
こちらが返していくという、
愛情の交換関係みたいな
ところがある。

けれど、恋というのは
一方的に
追いかけるというのが、
本当は素敵なのだ。

年上の男は年下の女を
追いかけ大事にしてくれ
るけれども、年下の男は
追いかけさせてくれる牡
としての冷たい親切(?)
がある。

 私は女の愛にこたえて、
真正面から抱きすくめて
いる男ばかりが素晴らしい
とは思わない。

 ときには背中を見せて女
に追いかけさせる、
距離をおける男とい
うのは女にとってたまらない
魅力でもあり、それこそ愛の
醍醐味。

 男を人間としてではなく牡
として眺めるようになると、
女も牝として愛されたくなって
くる。

 近来、どこかで女が男っぽく
なったというか、その分正直
になった。男に依存したり、
男に全てを頼るということを
しなくなったというのは、女も
牝としての自分を開放し始め
たということじゃないのかな。