深層心理学の河合隼雄先生が、
「ほんとうの名前は何か」という
文章を書いていられる。
むつかしくいえば、「汝自身を知れ」
のひと言につきると思うが、案外
人は自分のほんとうの名前を知ら
ないもので、
会社で課長とか部長とか呼ばれて
いる間に、それが名前の一部のよ
うになり、それをヌキにすると
本来の自分ではないような気が
する時がある。
仏教では死ぬと戒名を貰うが、こ
れも背後に「ほんとうの名」とい
う思想を持っているからだろう。
だが、最近はお布施によってい
かようにも変えるそうだから、
アテにすることはできないと先
生はいわれている。
昔は元服という儀式があって、
前髪を切り落とした。
これは首を斬ることの象徴的な
行為なのであり、その時子供は
死に、大人に再生し、子供の名
は捨てられて、大人の名前が
つけられる。
牛若丸が義経に生まれ変わるので
ある。
現代にも成人式というものがある
が、選挙権のおみやげ付きで
成人になっても、元服の感動は
得られまい。
それは儀式ではなくて、おまつり
騒ぎの一種にすぎないからである。
それについて思い出すのは皇太子
の成年式で行われた「加冠の儀」
で、昔は初冠(ういこうむり)と
いったのであろうが、
はじめて冠を召すと侍徒が大きな
和鋏で元結を切る。僕はNHKの
アーカイブスで見たが、その時の
冴えた鋏の音が忘れなれない。
それはいかにも新鮮で、過去と
きっぱり決別したことを示して
いた。
皇太子の場合は特別だが、人生
の節目節目で行われた儀式を
失って以来、人間は不幸になった
のではあるまいか。
現代の大人たちが、いつまでも
子供の殻をひきづっているのは、
早くに親離れをするけだものに
も劣るし、
会社に入れば会社が親代わりに
なって面倒を見てくれる。
一生ほんとうの名前を知らない
名無しの権兵衛で終わるのは
当然のことといえよう。
ただし、自分のほんとうの名前
を知ったからといって、その先
が楽になるというものでもない
のである。
「ほんとうの名前は何か」という
文章を書いていられる。
むつかしくいえば、「汝自身を知れ」
のひと言につきると思うが、案外
人は自分のほんとうの名前を知ら
ないもので、
会社で課長とか部長とか呼ばれて
いる間に、それが名前の一部のよ
うになり、それをヌキにすると
本来の自分ではないような気が
する時がある。
仏教では死ぬと戒名を貰うが、こ
れも背後に「ほんとうの名」とい
う思想を持っているからだろう。
だが、最近はお布施によってい
かようにも変えるそうだから、
アテにすることはできないと先
生はいわれている。
昔は元服という儀式があって、
前髪を切り落とした。
これは首を斬ることの象徴的な
行為なのであり、その時子供は
死に、大人に再生し、子供の名
は捨てられて、大人の名前が
つけられる。
牛若丸が義経に生まれ変わるので
ある。
現代にも成人式というものがある
が、選挙権のおみやげ付きで
成人になっても、元服の感動は
得られまい。
それは儀式ではなくて、おまつり
騒ぎの一種にすぎないからである。
それについて思い出すのは皇太子
の成年式で行われた「加冠の儀」
で、昔は初冠(ういこうむり)と
いったのであろうが、
はじめて冠を召すと侍徒が大きな
和鋏で元結を切る。僕はNHKの
アーカイブスで見たが、その時の
冴えた鋏の音が忘れなれない。
それはいかにも新鮮で、過去と
きっぱり決別したことを示して
いた。
皇太子の場合は特別だが、人生
の節目節目で行われた儀式を
失って以来、人間は不幸になった
のではあるまいか。
現代の大人たちが、いつまでも
子供の殻をひきづっているのは、
早くに親離れをするけだものに
も劣るし、
会社に入れば会社が親代わりに
なって面倒を見てくれる。
一生ほんとうの名前を知らない
名無しの権兵衛で終わるのは
当然のことといえよう。
ただし、自分のほんとうの名前
を知ったからといって、その先
が楽になるというものでもない
のである。