「絶対的な愛って、存在すると思う?」
と、彼女はわたしに問う。
彼女は二十五歳のOL。
二十代はわたしにとって、まだ、
「女の子」の年代。三十代には
「女」になり、
四十代には「女の人」になり、五十
代になってやっと「女性」になる。
六十代からは再び女の子に戻る。
それがわたしの理想の女性像。
わたしたちは今、外苑前の駅近く
にある隠れ家てきラウンジバー
「北青山サロン」にいる。
カウンター席に並んで腰掛けて、
彼女は「フレンチキス」を、わた
しは「ミモザ」を飲んでいる。
どちらもシャンパンをベースに
したフルーティなカクテル。
どちらもシャンパンをベースに
したフルーティなカクテル。
フレンチキスはラズベリー色。
ミモザはオレンジ色。わたした
ちは、女の子と女。
「ときどき、わからなくなるの」
と、女の子は長いまつ毛を伏せる。
「すごく不安なの。彼のこと、好き
になればなるほど、心が不安定にな
っていくの。会いたくてたまらなく
て、会えば嬉しくて、でも彼と別れ
た途端、足もとの椅子をさっと
外されたような気持ちになって・・
・・・・」
まさに、「恋に落ちた」ってことね。
やられちゃったね、まんまと。
「これが恋だとすると、愛はどこに
あるの?私が求めているのは完璧な
愛なの。
絶対的で完全な愛が、私は欲しいの」
真剣なまなざし。思い詰めたような
瞳。いつかどこかで目にしたような。
懐かしいような切ないような。
真冬に思い出す、春の陽射しのよ
うな。
ミモザをひとくち含んで、女はこう
思う。欲しいと思うのであれば、
まず「欲しい」と思うことをやめ
なくては。
人は何かを欲しがっている限り、
それを手にいれることはできな
いのだから。
人間は神さまでないから、
多くの欠点を持つ。
人間が傲慢になるか、謙虚
になるかは、
自らの「不完全」さを自覚して
いるかどうかの差だろう。
「傲慢人間はエゴが先に出る。
個人主義の殻にこもる。
評論は上手だか尻が重い。
自分の欠陥より相手の欠陥
ばかり目につく。
ぼやく。だから嫌われる。
その結果、いつも不満たらたら
で不幸である。
謙虚人間は自分の至らなさを
よく知っているから、
一歩下がって人の話を聞く。
人の気持がわかる。
いたわりや気くばりができるよ
うになる。
お互いの長所を生かし合うよう
に努力する。
真面目である。
その結果、いつも感謝の気持が
あり、
小さなことにも喜びを見つける
ことができる」
自分の未熟さに気づいてさえ
いない人が多い。
たとえ未熟さに気づいても、
あえて無視している人もいる。
人間、自らの「不完全さ」をほん
とうに知ることはきわめて難しい
ようだ
二十世紀、女性のライフ
スタイルは、あらゆる分野
で変わった。
その時代の先取りをしたの
がガブリエル・シャネルだ。
男を待ち、選ばれるので
はなく、
男を選び、
スポンサーを選ぶ。
超一流のブランドをクリエイト
したシャネルは、二十世紀の
女性の代表だ。
十二歳でカトリック・シトー
派の孤児院に入れられた
シャネル。
日曜礼拝の日だけ、孤児
たちは神への感謝のこめて、
ブルーのスカート、同色の
ブルーのブラウスを身にまと
う。
その礼拝服こそ、シャネル
スーツの原点だ。
心細いような、心許せないような、
こんな嵐の夜には、どこからかあ
の人の声が聞こえてくる。
時間も距離もかるがると超え、わ
たしはあの頃に連れ戻されてしまう。
―――大丈夫だよ。キミはなにも、
心配しなくていいから。
―――俺に任せておいて。何もかも
ちゃんとするから。
―――キミは俺の大事な宝物。簡単
に別れないよ。
わたしを弄んだ、なつかしい、わた
しの昔の恋人。
あれは、あまりにも手痛い失恋だっ
た。そえゆえに、それはガラスに刻
まれた文字のように、わたしの心に
残っている。痛みは、静かな嵐のよ
うにやってきて、樹木をたまわせ、
木の葉を震わせ、わたしの根源を
揺るがせようとする。
でも、大丈夫、絶対に、大丈夫。
言い聞かせながら、わたしはひとり、
暗闇の中で、嵐が通りすぎていくの
を待っている。どんなに激しい雨が
降っても、わたしはもう「過去」を
迎えに行ったりしない。
わたしの心はさらわれていかない。
吹き飛ばされはしない。わたしに
は今、愛しい待ち人がいる。
どんなに遠くまで出かけても、
必ずわたしのもとに帰ってく
れる人がいる。
人間はみんな心の奥底はとても
弱くていい人だから
そんなに弱くていい人の心だけで
すべてのことに接すると
物事のすすみぐあいが悪いので
いじわるでこわい人のおめんと
つめたくて自分勝手な人の服と
やきもちでわがままな人の靴と
気まぐれでけちんぼな人の帽子と
うわさ好きでウソつきのカバンを
もって
もっといろいろな そう うっかり
気にいられないためのたくさんの
種類のバッジをいっぱいつけて
生きている
ああ だからね
だれからも好かれないようにと気
くばる必要のない所では
心から愛してうちとけた
恋人の前とかでは
君のため
しまい忘れたふりをした
あげたい品を
ついでのようにさしあげる
手にとって大事そうにあち
こちひっくり返して
ながめている
君の
横顔を胸に深くきざむ
これかぎり
失ってしまうもののように
客先と食事でどうやって
食べているかを見れば、
おおよそその人の出自が
わかるといわれる。
ただし
楽しく食すのににはコツが
いる。
これは誰も教えてくれない
が、心ある人は身につけた。
それは要するにゆっくり
少しずつ、口に入れるので
ある。
こうすれば楽しく語らいなが
らも、食事は優雅に進む。
口にものを入れたままで
話さなくともすむ。
例えば、パンは小さくちぎ
って口に運ぶ。
書けばこれだけのこと。
道に線を引いて
その上を歩いた
どこまでも
道が途切れるまで
見上げると青い空だった
君がいた頃は
なにもわからなかった
本当に
何にも
どんなに君を好きだったかも
人との関係も
大切なことも
失ってはじめて気づいいた
けど
今だってたぶん
まだまだ霧の中だ
遠く過ぎないとわからない
なんて
どうすればいいんだ
ひとつだけわかったこと
胸に深く刻んだことは
大事にすること
とにかく
大事にすること
好きなものはどんな時でも
ただ馬鹿みたいに大事にすること
空になったグラスを手に、あなたは
ベットから抜け出して、裸足でキッ
チンへと向かう。溶けかかっている
氷の山にウオッカをつぎ注ぎ足した
あと、思いついて、生クリームを
少しだけ、加えてみる。
「意外だと思われるかもしれませ
んが、ウオッカみたいな強いお酒
と生クリームって、相性がいいん
ですよ。美女が生クリーム、野獣
がウオッカでしょうか」
いつだったか、どこかのバーで
飲んでいた時、若くてハンザム
なバーテンダーが、
「試作品ですが、よろしければ
どうぞ」
と、差し出してくれたカクテル。
名前は忘れてしまったけれど。
ひと口含んで、舌の上で転がす
ようにして味わいながら、あなた
はその場面を思い出す。
そうだった。私はあの夜、学生
時代の友人、純子と一緒に飲ん
でいた。どこから、そういう
話しになったのか、前後のいき
さつは覚えていないけれど、
私たちはふたりで「不倫談義」
に花を咲かせていた。
「不倫なんて、絶対にいやよ。
断じて許せない。不倫している
人とは友だちでいたくないし、
できれば仕事も一緒にしたくな
いわね。だって、なんだか心の
底からその人を信頼できない気
がするもの。それに、誰かを裏
切ることでしか手にできない恋
なんて、悲し過ぎる」
鼻息も荒くまくし立てた私に、
アメリカから一時帰国した女
はふんわりとベールをかぶせる
ように言った。
「そうね、私もそう思う。悲しい
恋は、できればしたくないなって。
でも、そうは思っていても、思って
いるからこそ、人は時々、思ってい
ることとは正反対のことをして
しまうこともあるものよ。
あなただって、いつか・・・・・」
私は女の言葉を明るく笑い
飛ばして、そのつづきを遮った。
「馬鹿なこと、言わないでよ。そん
なこと、私には金輪際、ありえない
わ。あるわけないじゃないの」
そう言って、会話の糸をそこで
断ち切ってしまった。
けれども今、あなたは痛いほど、
認めている。友だちが言っていた
ことは、正しかった。
もしかしたら彼女にもそんな経験
があったのだろうか。
好きになってはいけないと
思っているからこそ、好きに
なってしまう。まるで自分の
人生からしっぺ返しを受けて
いるような、
あるいは、ふいに自分の人生
が宙吊りになってしまったよ
うな状態に、もしかしたら
あの頃、陥っていたのだろうか。
彼女も、今の私と同じように。
声が聞きたいと、あなたは思った。
切実に、彼女と話しがしたい、
今こそあのつづきについて、語り
合いたい、と。
アメリカ東海岸は今、何時なの
だろう。思いながら、あなたは
グラスに残っていたお酒を飲み
干した。
目の前に、上りの電車がゆっくり
入ってきて、停まった。ふたりと
っも、まるで申し合わせしたよう
に、立ち上がらなかった。
さっきから、帰りの電車を一本、
もう一本、と、遅らせていた。
ひとたび電車に乗ってしまえば、
ふたりの時間は数分後には終わる
と、わかっていたから。
「じゃ、今から行こう」
いつになく、強い口調だった。
「今から?どこに?」
優しい人はわたしの手を取ると、
改札に向かってずんずん歩き
始めた。わたしの手を取ると、
改札に向かってずんずん歩き
始めた。
わたしの手は炎のように熱く、
優しい人の手は真冬の月のよ
うに冷たかった。
まるで私の欲望を鎮めようと
するかのように、優しい人は
力を籠めて、わたしの手を握
りしめていた。
わたしたちは激しく、求め合
っていた。けれどもそれを言
葉で確かめるということは
しなかった。確かめなくても、
わかり過ぎるほどに、わかって
いたから。
入ったばかりの改札を通り
抜けて、わたしたちは駅の
外に出た。
駅前の大通りまで出てから、
優しい人は右手を上げて、
流しのタクシーを拾った。
タクシーに乗り込むと、優
しい人は運転手に向かって
告げた。
「休めるところまでお願い
します。できるだけ、遠い
ところで」
そんな言い方をしても、運転
手は一組の男女をどこかに
連れていってくれるものなの
だということを、わたしは初
めて知った。
ひとつしか年の違わない優
しい人が、ひどく大人びて
見えた。
車のなかでも、わたしたち
は固く、手を握り合ったま
まだった。
YouTube
シャドー・シティ
https://www.youtube.com/watch?v=8cb5QRsi-B0
「あなたへのこの気持ち
伝えてくれる人なんて
いないから」
“確かなる 使を無(な)みと
情(こころ)をぞ
使に遣(や)りし 夢に見えきや“
◇万葉の時代には、相手を深く
思うとその相手の夢に自分の姿が
現れるとされていた。
「あやまるということは、何の
役にも立ちませんね。特に、自
分が何もしていないときに罪の
意識を感じるのは、具合がわる
いものです。
新潟市の小学校で先生の机から物が
紛失したとき『盗んだのは誰で
すか?』といわれて、もちろん
ぼくだという気がしました。
でも、じっさい何が盗まれた
かも知らなかったのです」
イジメ・自殺・・・、
先生から盗まれたものは
愛情でした。
一本じゃかわいそうだから
と思ってもう一本ならべると
林という字になりました
淋しいという字をじっと見て
いると
二本の木が
なぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる
ほんとに愛しはじめたときにだけ
淋しさが訪れるのです
まず、初めて寿司屋を選ぶ
場合、これは池波正太郎が
書いているのだが、
台に座らず隅にあるテーブル
の椅子に腰かける。
そしてメニューを見せてもら
い、
ちらし寿司か握りのセットを
頼むのである。
つぎからは堂々と台に座る。
握る寿司に違いがでる瞬間
である。
店側は、この客はこないだ
テーブル座った客だ、と覚
えているのが普通だからだ。
基本的に、蕎麦屋などと異
なり
寿司屋は、店の主人の
方針や、やり方で値段やも
ろもろに強く反映される。
一発で気にいらなけらば
やめた方がいいのが
寿司屋選びのコツ。
むずかしいのは、「心身を
整えること」だと言って
います。
なぜなら、座禅などの修行は
肉体的には厳しいけれど、人
目につくので頑張ろうという
張り合いもありますが、
「心身を整える」ことは人 の
目に見えるものではなく、自分
自身でできているかどうかを
確認するのはむずかしいとい
うわけです。
「心身を整えること」とは、
どのような場所にいても静寂
を感じることです。
静寂を感じると、清らかな
気持ちになれます。これが
「静寂を喜ぶ心」になります。
古い寺の多くには長い参道が
あります。中には数百段の段
階があり、本堂までなかなか
大変な道のりのお寺もありま
す。
しかし、やっとたどり着いた
本堂で、仏さまに手を合わせ
ると清々しい気持ちになりま
す。
そして、日常生活での雑多な
ことなどをそのときばかりは
忘れさせてくれます。
まさに心がキレイになる瞬間
です。
それが静寂を感じることなの
です。
“寺の長い参道や階段は、心
をキレイに磨いていくための
道のりなのです“
この静寂を静かな寺の中で
だけでなく、街の喧騒の中
にいても感じられるように
心身を整えたいものです。