知らない歌舞伎町に着いた
男が、通りがかりの人に
たずねた。
「すみませんが、交番は
どこでしょうか?」
「この先右へ曲がったところ
です」
「ご冗談を。あそこはこの間
警察に検挙されたデリヘル
店じゃありませんか」
「いえ、デリヘル店は左へ入
ったところですよ」
「どうも親切にありがとうごさ
いました」
男は、礼をいうと左へ曲がって
いった
おあとがよろしいようで・・・・。
「愛とは、相手に合わせる心で
ある」
恋愛中は、彼女(彼氏)の
趣味や行動に自分を合わせる
ことがまったく苦ではありま
せん。
たいくつな恋愛映画を観に
行って二人で感動したり
します。
ところが、結婚して10年も
経つと、結婚当時の熱い思い
もさめてきて、お互いに相手
に合わせることができなく
なります。
「愛」とは、恋愛や夫婦愛ば
かりでなく、親子愛、師弟愛、
友愛など、さまざまであるこ
とは言うまでもありません。
また、「事」とは、同事の心です。
同時の心とは、自分の立場を
捨てて、相手と同じ境遇に
なって協調できる心のこと
です。
社会生活で言えば、立場が上
の者や弱者を守ることです。
たとえば、医者で言えば、患者
に対して専門家の義務を
果たしながら、患者の目線
になり治療をすることです。
これは、親が子に対して、
教師が生徒に対して、上司
が部下に対して、役人が
市民に対して、
あらゆる人間関係において
必要なことです。
もしも今、夫婦関係が停滞
気味でしっくりいかなくて
も、セックスレスでも
お互いに同時の心を実践す
るだけでもそれは改善でき
る。
「愛は事なり」といえり。
また一日、過ぎていく。
かげろうもえる窓辺で、頬杖を
ついている私がいた。二年前、
三年前の旅行を思い出して
いる。
京都では、どこの寺院の境内も
新緑が気持ちよかった。
人けのない庵のそばで、あなたは
いたづらっこのようにキスを
せがんだ。
玉砂利に数人の足音が聞こえ、
僧侶たちが通った時、ふたりで
あわてて石灯籠の影に隠れ
たっけ。
六月のシーズン前の軽井沢で
は、どこの道もすいていて、ま
だ持ち主の来ない別荘地を自転
車で走り回った。
・・・こんなに優しい人なのに
あなたの優しさが、わからなく
なる時がある。女はたぶん、欲
が深く、いつでもときめきに
囲まれていたいと贅沢に思う。
「一日一日は、確実に過ぎてい
くんだし、細かいことに気にした
って仕方ない。今日の日にグッパ
イして、また一日始まる」
あなたは、細やかで、ナイーブに
見えても、さっぱりとした男
らしさがあって、やはりそれに
私は頼っている。
外は、本当に静かな、しめやか
かな雨が降っていた。
・・・これ以上、愛をねだる
なんて、贅沢な私・・・
胸があなたにふれた時
木々のざわめきがかき消され
敏捷(びんしょう)な小鹿の
ような瞳が
夜の闇へと とけていった。
・・・・
人生はたくさんの「さよな
ら」で成り立っている。
けれどもその一言がスマートに言え
たためしはなく、惨めにすくみあが
ってばかりいる。
「さよならに乾杯」と、さりげなく
言えたら、どんなにいいだろう。
別れをそんなふうに優雅に茶化すこ
とができたら・・・・・。
いさぎよくできないのならいっその
こと、女ならなりふりかまわず泣き
喚き、
別れたくないのだ、さよならなんて
いやだとすがりつけば、まだ可愛ら
しいものを、
そんなふうに姿勢を崩してしまうく
らいなら死んだほうがましと、笑え
もしないお粗末なユーモアを一席
披露して、結局泣きたくなるのが
セキのヤマ。
あぁ人生はなんとまあよく、
ウッディ・アレンの映画の世界と
似ていることか。ドジで、哀しくて、
滑稽で・・・・。
「きみを知らない ぼくの過去と
ぼくを知らない きみの過去が
いま ひとつの未来を見つめて
いる
川が海へ還るように」
【生まれたときから死ぬまで
ずっと】
今でも神社のご神木などに、根が
一つなのに幹が二つに分かれた
古木を見つけることがあります。
「夫婦松」などの名前がついて
いることもあるでしょう。
そういった育ち方をした木のこ
とを「相生」と呼びます。
もともとはともに生まれ育つ
という意味の「相生」でした。
後に、そのことが転じて、
夫婦がともに長く生きることも
「相生」というようになりま
した。
「相生」に通じるということ
かもしれません。
夫婦など人生のパートナーと
は、一見別の人生を歩んでいる
ようでも、根っこのように
深いところでは一つになっている。
こんな関係が理想的かもしれません。
「週刊文春」に、以前、掲載された
たけしと能がきわめて正論で愉快だ
った。
なるべくなら全部書きたいところ
だが、全部書くわけに行かないか
ら抜粋すると、
そもそも彼がお能を見に行ったの
は、「どいつもこいつも浮き足立
つているもんで、少しは気を鎮め
てだな、わびとかさびとかに触れる
のもいいんしゃないか」てんで、
千駄ヶ谷の国立能楽堂へ足を
運んだというわけである。
はじめのうちは眠たくて寝ていた
が「後場(これ後シテでは?)に
入ったら起こされちゃった。
鼓がうるさくて。
で、最後まで一気に見せられて、
いやもうおもしろかったな。
・・・幽玄とか精神文化に関わ
りがあるのが能だとかいわれて
いるらしいけど、全然そうじゃ
ない、あれは昔のロックコン
サートだぜ」
「能の囃子と舞もいいけれど、
能面を使う発想も卓抜でさ、
お面は何も語らないけどすべ
て語るっていうか。
一即多、多即一のサンプルかな。
これが私の感情なんだって表現
を生の顔でやると、それ一個し
かない。
客の想像力が縛られる。ところ
がお面っていうのは一個の感情
表現なんだけど、同時に表現の
消去でもあって、見るものに
よってどうとでもなる」
文句をいえば、謡い(うたい)
の言葉がわかんないのが欠点
だと彼はいうが、
最後には、
日本のガキどもが外国語の
意味もわからず歌っている
のと同じことだ、
要は「ノリ」なわけだから、
お能はM・C・ハマーにだっ
てひけをとらない。ノリ一筋
の馬鹿ばかりでなく、前衛
音楽好きのヤツもどんどん
ファンになっちゃうよ。・・・
と、まあそういった次第なの
だが、私が子供のときからお能
にとりつかれたのも、祖父が
お茶の先生で足さばきが能だっ
たからだ。
能は、今でもノッテ来ると、見
物席でじっとしているのに精一
杯である。
だいたい、一糸乱れず、几帳面
で、見ていてドキドキしないよ
な、踊り出したくならないよう
な演技なんて、何が面白い?
室町時代の世阿弥の頃はみんな
うそうだったに違いないが、
ビートたけしさんの新鮮な眼は、
はからずもお能に一番大切な、
原始的なものをとらえて見せて
くれたのである。
僕は落語家のなりそこないだが、
談志師匠が2流を目指せと、口々
におっしゃていました。
一流になったらお終いだと・・
・・。
“男とつき合わない女は
だんだん色あせる。
女とつき合わない男は、
除々に阿呆になる。“
―チェーホフー『手帳』
肉体関係のことではない(笑
夫にガールフレンドがいず、
妻にボーイフレンドがいない
ようなら、大いに寂しがるぐ
らいでありたいものだ。
結婚は牢獄でも修道院でも
ない。結婚後は異性厳禁。
談笑したり、一緒に旅行して
はならないなんて決めつけて
しまわないことだ。
異性とまみえる機会がなくな
ってしまったら、男も女も、
自分磨きに精を出さなくなっ
てしまう。
できれば、夫婦ともども友だ
ちづき合いをするようになる
のが理想だろう。男女関係の
もつれからも安全でいられる。
配偶者には、ガールフレンド
やボーイフレンドでは味わえ
ない、安心感があるだろう。
そして、安心感があるとは、
なんと、心おだやかなことな
のだろう。
ひよっとしたら、異性の友だち
とは、夫婦である味わいを改め
て噛みしめるための存在ではな
いかと思ってしまいそうになる。
人生をさまざまに深めたり、豊
かにしたりしてくれる異性の友
だちを、あなたは何人ぐらいも
っているだろうか。
食事は人生にかかわります。
基本的には一日三回、毎日繰
り返すことですし、何も食べず
に生きていくことはできません。
自分や家族の手料理でも、お店
で売っているサンドイッチでも、
つくった人の心がこもったもの
を、おいしく食べたい。
朝ごはんがをつくれないとき、
自動的にコンビニに飛び込む
のではなく、
できたてのサンドイッチを出
すカフェを見つけて立ち寄っ
てみる。
もう一つ、一人のときの食事
も同じように大切にすること
を忘れずに。
「人につくって食べさせるの
は頑張るけれど、一人なら
カップラーメンでいい」
“自分だけだから、まあい
いか“と思ったとたん、
おいしさもしあわせも逃げて
いきます。
朝ごはんは、一日のはじまり。
あなたが一人暮らしでも家族
がいても、忙しくてもゆったり
していても、どうか、すこやか
な「いただきます」を。
“陽が沈む5分前の空は
陽が昇る5分前の空と
似ている
そう だから
夜が来るのをおそれな
いで“
『春の夜明けならではの
情趣』
春の曙。「春眠、暁を覚えず」
という漢詩の一節であり、
『枕草子』にも「春はあけぼの」
とあるように、古来、春の夜明け
には格別な趣があると感じられて
きました。
夜明けをいい表す言葉は数多く
あり、古くは、夜半から夜の明
けるまでの時刻の推移が、
夜更けから順に、太陽の昇る前
のほの暗いころは「暁」、
東の空が明るくなるころは
「東雲 しののめ」、
ほのぼのと夜が明けはじめるこ
ろは「曙」と区分されていました。
“春暁や低きところに月ひとつ”
絶望の夜 迎えた日 目の前は
ただ真っ白で
何がいけない? 何が悪い?
わからないまま 時は過ぎて
涙のする誘惑には いつも
勝てない
孤独がつきまとうだけ
息つく場所を望んだのに 得たのは
空っぽの部屋
Ah もろいガラスの心
Ah 弱い自分を映す
いつ になると心から
雪 は消えるでしょう
という女優が出るドラマをやっ
ていた。
コミカルな都会劇で、テンポが
早く、キュートな顔立のその女
優は、ファッションモデルのよ
うに着るものを取っかえ引っか
え、いろいろなシーンに現われ
る。
カタカナ職業で、モダンなマン
ション、インテリア、若い子が
憧れそうな場面ばかりが出てき
て、そのなかで恋は、かけひき
あり、嫉妬あり、不倫ありと
忙しい。
なんのためにもなりそうもない
ドラマで、半分シラけて、こん
なこと本当にあるわけないと、
腹を立てながら見ている。
ところが、嘘っぱちとわかって
いても、少しシリアスな恋の場
面やセリフに、ふと自分の恋を
重ねているのに気づき、
あわてて情けないと、舌打ちを
してしまう。
だぶん、ヒロインの恋人役の俳
優が、少しあなたに似ているか
らだ。
普通っぽくて、やさしい感じの男
なのだが、少し煮えきらない。
そんなところも似ていた。
今頃、あなた、どうして過ごして
いるのだろうと、やはり気になる
のがくやしい。
一週間前、つまらぬことでいさか
いを起こした。
本当にささいなことだった。
その日以来、連絡がない。
・・・まあ、ちょっとした恋の
小休止ってのもいんじゃないの
・・・
マニキュアを落とすと、情けな
いくらい、黄ばんで疲れた爪が
あらわになる。女は、化粧をい
ったんし始めると素顔との落差
から、せずにいられなくなる。
そうたいしたことでも、たいし
た顔でもないのに、素顔でいる
勇気がなくなり、化粧という一
種、麻薬に似た毒を塗り続ける。
やはり基本的には、恋していて
も他人は他人という現実があり、
どこかで化粧をしたり素を出し
たりと、その配分がむずかしい。
静かな夜だった。いつもふたり
で窓からながめる夜景も、心な
しかきらめきが少ないような
感じがする。
・・・なにが小休止?単なる
強がりではないか・・・
という気分にもなってきた。
強気になったり、弱気になった
りと揺れている。
携帯電話が鳴った。
飛び起きるようにして、電話に
出る。
「俺だけど・・・」
その声で、一気にねじれた心が
ピンと張りつめて、いきいきと
動き出す現金な私がいて、
・・・やはりあなたが好きなの、
必要なの・・・
と、まるでテレビドラマのヒロ
インのようなセリフを、心の中
でつぶやいていた。
かけひきなど意識せず、自然体で
恋はしたい
と思うものの 素のままで 心を
ぶつけ合うと
よじれた部分も 生まれてくる
時には 化粧も必要だろうか
巣のままで 疲れない恋になる
には
ある熟練と よじれる心を 積み
重ね
解き放つまでの 長い長い 時間
を経ていくのだろう
小休止といっても 余裕のある心
でなければ
迷うだけの うつろな時間になって
しまう
それでも 積み重ねたら いつか
実になる日が
来るのだろうと・・・・
そう思って ひとりの夜をいやおう
なく過ごすのもいい
「最大の敵、最大の味方」
「花を花と見て花と見ず」『般若観智』
「花を見る」というのは、自分の立場
から発した行為です。人間の先入観で
そう見えるのであって、実はそうでは
ないかもしれない。とにかく、今自分
が見ているだけがすべてだなどと
思わないこと。
見る私が花そのものになってみて、
はじめて花の真の姿が見えてくる
との教えだそうです。
相手の身になって、ものを見たり
聞いたりしないと、真実は見えて
こない。
正しい判断をするには、物事をあ
るがままに見よと言いますが、
難しいことです。
そこで起こったただ一つの事実で
も、見聞者の心のフィルターを
通ると、その人の主観によって
左右され、見方や受け取り方が
違ったり、単純な問題が複雑に
なることがよくあります。
つまり、自分の損得勘定とか好き
嫌い、かかわりたくないなどと
いう私欲に基づいた判断が、簡単
な問題を紛糾させてしまうのです。
臨済禅師が、「道で仏にあえば仏
を殺せ」と言ったのも、ある意味、
己の心が最大の味方でもあり敵な
のだと教えだと思います。
はらはらと降り続く 細 かい
雪を
その大木は ただ黙々と
引き受けていた
震えて揺れる 若い草木 に
いまは いのちの準備期 間と
教えるように
『静かに優美に降る細か い雪』
古くから「雪月花」とい われて
きたように、日本人は、 春の桜、
秋の月とならんで、冬は 雪を愛
でてきました。一夜にし て世界
を変えてしまう雪の朝な どは
思わず感嘆の声を上げて しまう
ほどです。それゆえ、雪 に関す
る言葉も大変多いのです が、
特にこの「細雪」は,降 る雪を
表現してナンバーワンと いえる
でしょう。文字どおり、 細かく
降る雪のことですが、静 かで
優美で、清浄な雪の美し さが
あますところなく伝わっ てき
ます。
『細雪』といえば、美貌 の四
姉妹の半生を描いた谷崎 潤一郎
の小説ですが、この美し い女性
たちの物語にはぴったり のタイトル
ですね。