先週、未熟児の母親教室へ行ってきました。
その日はカリキュラムの最後の日だったので、子供は保育室に預けお母さん同士でお互い自分の経験を話しました。
終わった後保育室に向かう途中、一人のお母さんに話しかけられました。
「くりず(仮名)さんって強いですね。」
「障害も受け入れて…。やっぱりこういう人のところに授かるんだなって思いました。」と。
「私なんてダメダメですよ~」と否定したのですが、たぶん、そのお母さんは謙遜としかとらなかっただろうと思います。
その後は、預けた子供を受け取るときのバタバタであまりお話ができませんでした。
謙遜でもなんでもなく私は強い人間ではないのだと、そのお母さんに伝えたかったのですが。
私は強い人間じゃない。
超早産で人工呼吸器やたくさんの点滴につながれたおチビを見た後で、先天性の遺伝子疾患があるかもしれないから遺伝子検査をさせてほしいと言われたときは、一目もはばからず泣いた。
不妊治療をしていたこともあって、「やはり自分は子供を産んじゃいけなかったんだ」という自己否定の気持ちを抑えることができなかった。
退院してから初めておチビの面会に行った日は、おチビを後にしてかえるのがつらくて、おチビをこんな目に合わせてしまった自分が情けなくて、帰り道泣きながら歩いた。
現在も胎内感染の後遺症である慢性肺疾患の経過が悪く、おチビは酸素吸入が必要だ。
早産でさえなければ、私のところにさえ生まれなければ、この子はもう少し楽に生きることができたのだという思いは、今でも消えることはない。
だから、今でも「乗り越えた」なんてとても言えない。
「障害を受け入れ」ているかどうかだって、よくわからない。
ダウン症の同じような月齢の子がもう歩いているのを見ると、それが早期療育に熱心なお母さんの子だったりしたときはなおさら、気持ちがざわつく。
おチビは、首が据わるのに1年を費やした。
心肺に難があるからと思いつつ、適当な療育ができていないんだろうかとも思うこともある。
学校就学まで視野に入れてがんばっている立派なお母さんを見ると、風邪を引かさないように日々を過ごすことだけでひーひー言っている自分が情けなく感じることもある。
「あせってもしょうがない」「なんとかなるさ」と言いながら、それは単に現実から目を背ける言い訳にしかすぎないのかもしれない。
ただね、自分を責めてどうにかなることならいくらでも責めるけれど、どうにもならないことをあれこれ思い悩んでもしょうがないのは確かなんだよね。
だから、私はどっかで自分の気持ちを「棚上げ」しちゃったんだと思う。
とりあえず自己否定はこっちにおいといて、と。
それは強さではなく、ただの生活の知恵だ。
それに、「慣れ」は必ず生じてくるものだし。
1年半もおチビとつきあえば、投薬も酸素吸入のためのカニューラ装着も日常生活の一部なんだ。
泣いてばかりいることって、案外できないものなのだよ。
その日はカリキュラムの最後の日だったので、子供は保育室に預けお母さん同士でお互い自分の経験を話しました。
終わった後保育室に向かう途中、一人のお母さんに話しかけられました。
「くりず(仮名)さんって強いですね。」
「障害も受け入れて…。やっぱりこういう人のところに授かるんだなって思いました。」と。
「私なんてダメダメですよ~」と否定したのですが、たぶん、そのお母さんは謙遜としかとらなかっただろうと思います。
その後は、預けた子供を受け取るときのバタバタであまりお話ができませんでした。
謙遜でもなんでもなく私は強い人間ではないのだと、そのお母さんに伝えたかったのですが。
私は強い人間じゃない。
超早産で人工呼吸器やたくさんの点滴につながれたおチビを見た後で、先天性の遺伝子疾患があるかもしれないから遺伝子検査をさせてほしいと言われたときは、一目もはばからず泣いた。
不妊治療をしていたこともあって、「やはり自分は子供を産んじゃいけなかったんだ」という自己否定の気持ちを抑えることができなかった。
退院してから初めておチビの面会に行った日は、おチビを後にしてかえるのがつらくて、おチビをこんな目に合わせてしまった自分が情けなくて、帰り道泣きながら歩いた。
現在も胎内感染の後遺症である慢性肺疾患の経過が悪く、おチビは酸素吸入が必要だ。
早産でさえなければ、私のところにさえ生まれなければ、この子はもう少し楽に生きることができたのだという思いは、今でも消えることはない。
だから、今でも「乗り越えた」なんてとても言えない。
「障害を受け入れ」ているかどうかだって、よくわからない。
ダウン症の同じような月齢の子がもう歩いているのを見ると、それが早期療育に熱心なお母さんの子だったりしたときはなおさら、気持ちがざわつく。
おチビは、首が据わるのに1年を費やした。
心肺に難があるからと思いつつ、適当な療育ができていないんだろうかとも思うこともある。
学校就学まで視野に入れてがんばっている立派なお母さんを見ると、風邪を引かさないように日々を過ごすことだけでひーひー言っている自分が情けなく感じることもある。
「あせってもしょうがない」「なんとかなるさ」と言いながら、それは単に現実から目を背ける言い訳にしかすぎないのかもしれない。
ただね、自分を責めてどうにかなることならいくらでも責めるけれど、どうにもならないことをあれこれ思い悩んでもしょうがないのは確かなんだよね。
だから、私はどっかで自分の気持ちを「棚上げ」しちゃったんだと思う。
とりあえず自己否定はこっちにおいといて、と。
それは強さではなく、ただの生活の知恵だ。
それに、「慣れ」は必ず生じてくるものだし。
1年半もおチビとつきあえば、投薬も酸素吸入のためのカニューラ装着も日常生活の一部なんだ。
泣いてばかりいることって、案外できないものなのだよ。
私もたまに↑こういうことを言われるんですが、
とりあえず「いえいえ~」とか言いつつ
んなこたねえよ!たまたま授かった子がちょっと手のかかる子だっただけだよ!
ホントに神様が親を選んで授けるんならもっと体力も精神力もお金もある人の所に授けるよ!
と心の中でつぶやいてますよ~(笑)
頑張ってるとかじゃなくて、
どうしてもやっておかねばならないことが目の前に山積してて
それを必死にこなしてるだけなんですよね。
(くりずさんちとうちとではやってることは違うと思いますが…)
失敗してくじけることも多いし。
あと、「そうなのよ私は強いのよ」とかうっかり思いこんじゃって
辛いときも無理しすぎたりすると
それはそれで限界を超えてポッキリ折れて病気になってしまいそうな気もしますし…。
あーなんかうまくまとまらなかったな。
チラシの裏にでも書いてろみたいなコメントですみません。
>ホントに神様が親を選んで授けるんならもっと体力も精神力もお金もある人の所に授けるよ!
うはは。いや、まったく。
ウチだって、よりによって何でこんな粗忽でグータラな親のもとによこしたかって思いますもん。
もっと、選ぶんなら思慮深くて行動力のある人を選べよって。
神様の検索システムには問題があるんじゃないか?
仕様書もってこい!直してやるから(笑)
ホント、ただ日々の生活に追われているだけですよねぇ。
いろいろ悩みも多いし。
でも、肩に力を入れてがんばったって思うようなるわけじゃないんですよね~。
だから適当にゲームをやったり、お笑い見たり(笑)
それに、障害があろうがなかろうが、育児って立ち止まったままにしてくれませんよね。
子供は本当に日々変わっていくから、それに振り回されていくうちに慣れちゃうんですよ~。
いや、慣れって恐ろしい(笑)
まあ、強いか弱いかなんてことにこだわらず、自分の丈に合わせて無理をしないっていうのも大切ですなんでしょうね~。
でもね、きのせんせいも書いているように、「選ばれた私」でもなんでもないんだよね、そんな事関係ないんだよね。
ただ、これだけは言える事がある。それは、「この子を通して多くの事を学んでいる、この子の繋がりでたくさんの素敵な仲間に出会
えた」だな^^
・・・私ね?ちびさん育てている私が、頑張っている私が、それまでの私よりもずっとずっと好きで、自信をもって生きていると、そう、誇りをもって言えるんだ~♪
そうそう。先日、私の所属している訓練会の、そのまた所属している団体で福祉大会があったので参加してきました。その中で山本譲司氏を招いての講演会があったのだが。。とてもショックな話であり、そして深く考えさせられる内容でした。障害者が実刑判決をうけると、こんなひどい目に遭うのね。っていうか、それ以前に自分を守る術をもたない障害者は、こんなにもあっけなく、いとも簡単に実刑判決を受けるものなのかと、悔しくなりました。
でもさ、人間ができているからおチビを授かるんじゃなくて、おチビを授かった人間が鍛えられていくんだろう~。
奈々子さんは、ホント、いい顔になったよ。
>障害者が実刑判決をうけると、こんなひどい目に遭うのね。
山本氏の話は、前に新聞で読んだことがあるな。
知的障害者の場合は、自分でうまく意思表示ができない場合があるからね。
自閉症で、おうむ返しに言葉を返す傾向のある人が、捜査官の言われるままに「自白」したという話も聞いたことがあるよ。
うまく意思表示のできない人間の「自白」はどう考えてもおかしいだろうと思うんだが、日本は相変わらず自白重視だから、そのまま実刑になっちゃうらしいんだ。
本人のわからないままに犯罪加害者にされてしまう可能性だけじゃなくて、被害者になったときに泣き寝入りさせられてしまう可能性もあるんだよな。
日本ダウン症ネットワークの掲示板にも、交通事故で逸失利益が支払われず民事訴訟を起こしている記事がある。
相手側が「知的障害があるので普通に働けない」と言っているそうだ。「勝手に飛び出してきた」とも。
だから、ダウン症で社会的に活躍している人の資料を教えてほしいって親御さんが訴えていた。
結局、偏見なんだろうね。
障害児が生まれるのは「選ばれた」人だ、というのもさ。
体のいい特別視だよな。
「選ばれた」なんて言う前に、社会全体で守ってくれよ。
私が死んでもこの子はちゃんと生活できる、と親が安心できるような社会にしてくれよ。
そのくらいのゆとりもないのかね、この国は。
>私が死んでもこの子はちゃんと生活できる、と親が安心できるような社会にしてくれよ。
>そのくらいのゆとりもないのかね、この国は。
うわーんうわーん!!!!
全くですよーー!!!!
結局神様の検索システムの不備(?)で
色んな親の所に障害児が授かるから
一人で抱え込んで限界になって子どもを道連れに心中なんて事件も後を絶たないわけですしね…。
ホント「選ばれた」なんてのは絶対ありえないですよ!
きのせんせいとくりずさんの仰る通りですよー!わーんっ!!(泣)
いくら国連が障害者の権利宣言を採択したって、いくら日本でもノーマライゼーションの考えが普及しつつあるって言ったって、社会全体が福祉に関してはてんで未熟なこの国。
障害者・児は、社会に対して声を上げないわけじゃないんです。声をあげる術を持ってい
ないんです。どうか、声なき者の、その心の声をきく想像力と心の豊かさを持って下さい。
心中については、TBSの報道特集で特集されたことがありましたね。
(2005.7.31放送「うちの子は自閉症児」http://www.tbs.co.jp/houtoku/)
私はそれを見ていなかったのですが、かなり突っ込んだ内容だったようです。
ちょうどおチビを授かった頃、双子の乳児虐待のニュースがありました。
たしか報道では、一人に先天性の異常があり、もう一人も発達に遅れがあって母親が悩んでいたということを言っていたと思います。
虐待は許されないことながら、双子であれば未熟児である可能性も高く、母親のおかれた状況に暗澹たる思いを抱いた覚えがあります。
>奈々子さん
大正時代初期、東京帝国大学の精神病医学教室の呉秀三の言葉に「病を受けた不幸のほかに、実にこの国に生まれた不幸を重ぬるものというべし。」というのがあるんだが。
これは、精神障害者に対する言葉なんだけれど(当時は座敷牢だ)、それから100年ぐらい経つのに、状況はよくなったと言えるんだろうか?
ノーマライゼーションと言い始めたけれど、金がなきゃ真っ先に切り捨てられるのも福祉だったりする。
親が声を上げていかなきゃいかんのだろうが、親だけじゃダメなんだとも思うよ。
奈々子さんの言う通り、社会一般に想像力がなくちゃ変わらない。
つぶやきでもいいから、彼らの声代弁してくれる人が増えますように。