旧明科町は、昭和30年4月1日に中川手村、東川手村が合併し明科町が誕生します。その後、昭和31年9月30日北安曇郡七貴村と合併し新たな明科町となります。そして、17年10月1日に穂高町、堀金村、三郷村、豊科町と合併し安曇野市が誕生した事により旧明科町は消滅しました。
旧明科町は、長野県の中西部に位置し、面積は42.12平方キロメートル、松本市、穂高町、豊科町、本城村、生坂村、池田町と接していました。人口は、平成17年9月1日時点で9千人強でした。
町章は、明科町の「ア」を意匠化したもののようです。(昭和39年9月21日制定)
町の花は「アヤメ」、町の木は「カシワ」です。
私は旧穂高町には、2019年春のJR青春18切符を利用し、4月3日から1泊で松本方面に旅行した際に訪問しました。
前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初は、清流を泳ぐニジマスと町の花「アヤメ」を描いたカラーデザインの汚水マンホール蓋です。
JR篠ノ井線・明科駅のロータリーの歩道に設置されています。
また、明科浄化センター内にも10枚ほどのカラー蓋とカラー親子蓋を見る事が出来ます。
センター内には展示蓋も飾られていました。
明科地区には、押野地区、生野地区、川西地区、中村地区の4地区に農業集落排水設備が導入されているようです。この展示蓋の用途には「はいすい」と書かれていますので、農業集落排水設備のマンホール蓋と思われます。
こちらは、ノンカラーの汚水蓋です。
同様のデザインのノンカラー汚水ハンドホール蓋もあります。
他に、規格模様と呼ばれるマンホール蓋を一つだけ見付ける事が出来ました。
毘沙門亀甲模様の蓋です。
こちらは、他でも見る事が出来る模様の汚水ハンドホール蓋です。
以下は、上水道関係の蓋です。
こちらは、仕切弁の蓋です。
こちらは、消火栓の蓋です。
こちらは、防火水槽の蓋です。
今回は、篠ノ井線の明科駅から明科浄化センターまでの間を散策しました。
機会があれば、農業集落排水設備が導入されている地区まで足を延ばしてみたいですね。
以上で、旧南安曇郡穂高町のマンホール蓋の整理を終了します。