池田町の沿革は、大正4年4月1日に池田町村が町制施行により池田町となります。その後、昭和30年4月1日には会染村と合併、昭和32年3月1日には広津村、陸郷村の一部、東筑摩郡明科町の一部、中之郷、鵜山地区を編入合併し、現在の池田町に至っています。
池田町は、北安曇郡の南部に位置し、北は大町市、東は生坂村、南は安曇野市、西は高瀬川によって松川村に境し、東西6.2キロメートル、南北12.8キロメートルで総面積40.16平方キロメートル、平成31年3月1日現在で人口は9.8千人、世帯数は3.9千世帯です。
町の西部は安曇野の平坦地域で、本町の主要幹線となっている主要地方道大町明科線が南北に貫通し、ここに大字池田、会染、中鵜地区がひらけ、全人口の大部分が平坦地域に集中しており、西端を高瀬川が流れます。町の東部は山間地帯で、ここは大字広津、陸郷地区の集落が散在しています。また、本町は北アルプスの雄大な山容を一望できる景観に恵まれた地です。
町章は、町名「池田町」の頭文字の「い」を図案化したもので、一本の太い曲線による生命の躍動感を強く訴え、立体感をもたせ、円形は町民の強固な団結と、町の未来への発展と躍進を象徴しています。(昭和41年11月1日制定)
村の花は「ツツジ」、村の木は「アカマツ」です。(以上は、池田町HPより)
2019年春のJR青春18切符を利用し、3月12日から1泊で松本方面に旅行した際に訪問しました。13日は旧八坂村(現:大町市)のマンホール蓋を写した後、松川村と池田町のマンホール蓋を撮るために信濃松川駅を10時48分に下車し、松川村観光協会でレンタサイクルし1時間程付近を散策しました。
前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初はデザインマンホール蓋です。
童謡「てるてる坊主」の作詞者・浅原六朗の出身地であることから、 てるてる坊主が描かれています。周囲にはハーブの里らしくラベンダーが描かれています。
事前に役場に問合せ、カラーデザイン蓋の設置場所を確認していましたが、今回は時間が無く高瀬川大橋を渡った所でマンホール蓋を見付けたので、そこで慌しく撮って駅に引き返しました。
そんな事で、次回再訪出来たらゆっくり町を回ってみたいと思っています。
こちらは、ハンドホール蓋です。
時間が無かったせいもあり、規格模様の蓋やスリップ防止模様の蓋は見つける事が出来ませんでした。
以下で、上水道関係の蓋を整理します。
こちらは、仕切弁の蓋です。
中央上部に市章があります。
上水道関係の蓋も仕切弁の蓋以外は見付ける事が出来ませんでした。
以上で、北安曇郡池田町のマンホール蓋の整理を終了します。