土曜日入れて休日・祭日と3日間休んでしまった。今日は何とか書かなくてはと思いパソコン立ち上げた。昨日までの元気今日はどこへ行ったのか。休みボケ…うぅううん。
ではお金の話、これはあくまでも自分なりの考え方になるが人に強要するものでもありませんので。
ただただいつも不思議に感じることがある。それはなぜ国の借金(国債発行残高)がどの国々においてもどんどんと積み上がってしまうのか、この先に来るものは何?景気が悪くなるから国債を発行し景気を良くする、これは政府主導そしてそれを国民が望んでいるから?国民が望んでいるのは決して国の借金を増やしその付けを子孫に残すことでは無いと言える。しかし現実にはまた政府主導のOOノミクスという名の下に国債の残高を増やしてしまう。しかしそのやり方に国民は文句を言わずに付いていってしまう。
今までいつのときも同じように文句を言わなかったから現在の国の負債残高になってしまったのではなかったか。そして今回も文句を言わない。結果今までと同じように残高を膨らませてしまうと私は感じるが。言えることは打つ手はないといえる。ただ打つ手がないゆえにまた借金を重ねる。それは景気がどんどん落ちていくことを何とか防ごうとしているだけに過ぎないと言える。今のままでは人々が生き残るためにコスト競争に勝つしかない。結果、物(商品)の値段を下げていく。それをデフレスパイラルといっていた。しかし現在一部の人を除いては大部分の人々の懐が暖かくなったわけではなく、コスト転化に走れば物が売れないという状況になってしまう。そこで売れるのは住宅が上がるという思惑から一部の人たちが住宅購入をしているだけという状況ではないだろうか。はたしてこのような状態で全体的な経済活性が可能なのだろうか。国民の末端までの波及効果が考えられるのか。
今一番経済が良くなるのを期待しているのは年収が高い人ではなくカスカスの生活を余儀なくさせられている低所得の人たちである。その人たちの対策もあまりせず国際的な評価(国債残高が1千兆円を超えてしまったことで政府として財政再建に取り組んでいるという表明)を得るために消費税を来年から上げることが決定されてしまった。
底辺の人達が見捨てられたのではなかったのか(毎日のごとく人身事故による電車が止まる)このような状況が続けば日本版アラブの春が日本を襲うかもしれない、アラブの春とは国民が政治家を信用しないために主権在民という「民」が国の元であるという意識から自然発生的に湧き上がったものであるといえる。そして既存の政治家が一番恐れているのも日本版アラブの春が起きるということではないだろうか。
次回はアラブの春がエジプトなどでなぜ失敗したのかを書いてみたい。これはあくまでも私個人の思い込みかも知れないが。
ではお金の話、これはあくまでも自分なりの考え方になるが人に強要するものでもありませんので。
ただただいつも不思議に感じることがある。それはなぜ国の借金(国債発行残高)がどの国々においてもどんどんと積み上がってしまうのか、この先に来るものは何?景気が悪くなるから国債を発行し景気を良くする、これは政府主導そしてそれを国民が望んでいるから?国民が望んでいるのは決して国の借金を増やしその付けを子孫に残すことでは無いと言える。しかし現実にはまた政府主導のOOノミクスという名の下に国債の残高を増やしてしまう。しかしそのやり方に国民は文句を言わずに付いていってしまう。
今までいつのときも同じように文句を言わなかったから現在の国の負債残高になってしまったのではなかったか。そして今回も文句を言わない。結果今までと同じように残高を膨らませてしまうと私は感じるが。言えることは打つ手はないといえる。ただ打つ手がないゆえにまた借金を重ねる。それは景気がどんどん落ちていくことを何とか防ごうとしているだけに過ぎないと言える。今のままでは人々が生き残るためにコスト競争に勝つしかない。結果、物(商品)の値段を下げていく。それをデフレスパイラルといっていた。しかし現在一部の人を除いては大部分の人々の懐が暖かくなったわけではなく、コスト転化に走れば物が売れないという状況になってしまう。そこで売れるのは住宅が上がるという思惑から一部の人たちが住宅購入をしているだけという状況ではないだろうか。はたしてこのような状態で全体的な経済活性が可能なのだろうか。国民の末端までの波及効果が考えられるのか。
今一番経済が良くなるのを期待しているのは年収が高い人ではなくカスカスの生活を余儀なくさせられている低所得の人たちである。その人たちの対策もあまりせず国際的な評価(国債残高が1千兆円を超えてしまったことで政府として財政再建に取り組んでいるという表明)を得るために消費税を来年から上げることが決定されてしまった。
底辺の人達が見捨てられたのではなかったのか(毎日のごとく人身事故による電車が止まる)このような状況が続けば日本版アラブの春が日本を襲うかもしれない、アラブの春とは国民が政治家を信用しないために主権在民という「民」が国の元であるという意識から自然発生的に湧き上がったものであるといえる。そして既存の政治家が一番恐れているのも日本版アラブの春が起きるということではないだろうか。
次回はアラブの春がエジプトなどでなぜ失敗したのかを書いてみたい。これはあくまでも私個人の思い込みかも知れないが。