楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅷ

2013-10-29 07:24:06 | Weblog
 今回からは保存機能について書いていきたいがその前になぜ失敗したのかのタイトルの理由が抜けていたので私なりの失敗の理由を書いてみたい。

 もし一言でアラブの春を言うならばデモにより政権を覆すことができた、その行動はこれからの人間社会を考えていくうえで大きな意味を持っている。今までは民主主義と言うものは選挙で選ばれたものが社会の代表となりリードしていく、しかしその選挙は日本によらず世界的にも利権構造の上に成り立っていたといっても過言ではないだろう。日本では幅を利かすのが地盤・看板・カバンという・三バンから成り立っていた。そして方や野党としては資金的にも大きな組織に立ち向かうことができなかった。

 そこにチュニジアから始まった国民の不満はエジプト、リビア、イエメン、と政権を倒して行った。そして多くの国に変化をもたらした。だがそこで言えることは成功したといえる国がないことだ、シリアのように内戦状態となっている国もあり、世界中に民主主義への熱狂を発信した「アラブの春」のエジプトで30年弱大統領を務めたホスニー・ムバラクがその地位から引きずりおろされた。

 そして2年半、エジプトの地は再び混沌たる世界と化している。初の民選大統領となったムハンマド・ムルシ大統領が就任からわずか1年で、反政府デモから発展した混乱が軍の介入を招き、大統領職を剥奪されたのである。さらに元大統領のムバラクは現在でも軍を背景に隠然たる力を持っている。

 しかしアラブの春は表面的には失敗と見えるだろうが、国民の絶大なる力を背景とし社会を変えたいと気持ちで多くの大衆が集まりデモをやり、ある時期は政権を倒すことができたという意義は大きい。

 だが理想とする政治を行う組織を作ることはできなかった。そして多くの大衆の血が流れた。また現在でもシリアのように流血は起こっている。その意味では人の血を流したということでは失敗だったのではということができる。

 なぜ両派に別れ武器を持った戦いになってしまったのだろうか。私なりに一言で言うとすれば、新しい国造りという視点が欠けていたと言うことに尽きる。

 その視点とは多くの人達が賛同するものでなくてはならない、それが欠けていた、その結果アラブの春はこれからの道を示しながらも現在の観点からは失敗したと言える。
  
 全ての人々を一点に集約できる論理を考えなくてはならない。その論理で進んだとき新しい人間社会が創れるのではないだろうか。そのとき「アラブの春」は方法論という面では成功だったと言える。






 

 日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅶ

2013-10-28 06:18:25 | Weblog
  これ等(昨日からの続き)をみていくと若年層の失業、雇用に対する不満が大きく作用しているように見える。そしてわが国では雇用に対する不安が年々増大している、派遣社員であり、契約社員、これ等の人たちはいつ失業者としてカウントされるか不安な日々を送っている。

 総務省が7月に発表した就業構造基本調査では、非正規社員として働く人が増加した。非正規社員は全体で約2043万人になり、初めて2000万人を突破し、比率も38.2%と過去最大となった(就業者の2・6人に1人が非正規)。産業構造がパートやアルバイト比率の高いサービス業に転換していることなどが背景にある。原因としては正社員の比率が大きかった製造業が生産を海外へ移転したためと言われている。
 
 20年前の調査と比べると、非正規の比率は16.5ポイント上昇した。男性・女性ともに過去最大の比率となった。正社員の比率が大きい製造業は生産拠点の海外移転などで雇用が減り、パートの多い小売やサービス業で働く人の割合が高まったことが背景だ。なかでもパートやアルバイトとして働く人が多い女性は非正規の比率が57.5%と、半数を大きく上回る。 日本経済新聞より

 このような社会的状況の中で育つ子供達は自分の親を見て将来に対しどのような希望を持てるのだろうか。そしてそれが先進国といわれている国をみたとき、安い労働力を求めて海外移転が今後ますます強くなっていく。そこから来るものは失業者の増加となり、その結果雇用不安から自殺者・デモ等の増加により、それらの不安を解消させるべく執っていく政策として、どのぐらいの額まで国債を発行できるのかというテストケースにわが国は追い込まれていく。

 そのことが我々に見える、または想定できる未来ではないだろうか。

 全ての悪しきことは今まで一番身近にあるお金、貨幣の研究がなされてこなかったことに大きな原因がある。経済学者、またはノーベル経済学賞を貰っている人たちに本当に経済を語る資格があるのか疑問を感じる。

 何度も言うようだが経済を語るとき、交換機能だけを語っているのでは経済を語ったことにならない、貨幣が持つ機能の中で交換機能だけではなく、もっとも重要な機能は保存機能にある、そのことが貨幣の歴史始まって以来誰も研究してこなかったことに現在の状況があると断言できる。

 今からでも遅くは無いはずだ、国債発行・国の借金の増大で世界がおかしくなる前にもう一度貨幣を見直す時期に、今人間社会は来ている。

 今までの野蛮な人間社会、その元となったのが貨幣の保存機能にあったと言うことになる。






 日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅵ

2013-10-27 06:59:12 | Weblog
 昨日からアラブの春に対し色々な書き込みを読んだ。なぜ多くの国に飛び火して行ったのかが謎として残る。なぜならほとんどと言っていいほど全てが失敗と言える程に終わっている(シリアのようにまだ終わってない国もあるが内戦になっている)
 そこで読んだ記事の中で失敗をどうみているかということで次の文を載せてみよう。
 
 ただ日本を含めアメリカ・ヨーロッパという先進国は民主国家と言えるのかという疑問が残るが。単に民主的に選ばれた国を代表する者が政権を担っているというだけで民主国家と言えるのだろうか。「人間とは何か」「人間は如何に生きるべきか」その回答こそが主権在民という人間の社会ではないだろうか。

 アラブの春はなぜ失敗したのか
http://www.dir.co.jp/library/column/20130829_007595.htmlより転載 

 所得水準が低い時点での民主主義体制は、宿命的な不安定さを抱える。一方で、自由な経済体制下で経済発展が進めば、民主化はおのずと進むというのだ。2012年の一人当たりGDPが3,100ドル余り(中国の約半分、出所はIMF)のエジプトは、民主主義という贅沢品を享受するには尚早ということなのだろうか。さらに深刻なのは、イスラム系組織と軍以外に主要な政治アクターが存在しない同国で、自由な経済体制を整えることは著しく困難であろうということだ。バロー説が正しいとすれば、エジプトは民主主義を根付かせる前提となる所得水準の向上自体が、現下の政治・社会情勢の下では望みにくいという袋小路にはまっていることになる。

 インド系の在米ジャーナリスト、F・ザカリア氏も「低レベルの発展段階で民主化された国家は、インドのような例外もあるが大体は失敗する」と書いている。さらに彼は「(政治的)自由化を促進するのは、あくまでも稼いだ富である」として、民主主義と資本主義の一種のリンケージ、そしてイスラム圏などにおける民主化の難しさを指摘している。つまり、欧州やアジアにおいては、所得水準の上昇が農業から製造業を経て、サービス業へといった産業構造の高度化を伴ってきた。イスラム圏などにはそのようなプロセスが存在しない。エジプトにはサウジアラビアのような豊富な資源はないが、運河通行税や米国からの軍事援助といった「あぶく銭」で国が運営されてきた点では同じである。このような国では、教育もなく、技術もなく、「社会は時間が止まったままで停滞」してしまうというのだ。であれば、(「あぶく銭」で底上げされた)所得水準が示唆する以上に、民主化を進めることは難しいということになってしまう。

  以下の出典先はウィキペディア。アラブの春より


 政権が打倒された国 =チュニジア、エジプト、リビア、イエメン、

 デモにより何らかの変化があった国 =
アルジェリア、モロッコ、サウジアラビア、ヨルダン、
レバノン、イラク、クウェート、バーレーン、オマーン、

 大規模なデモと現在でも継続している国 =シリア、

 小規模なデモ、制圧 =モーリタニア、西サハラ、スーダン、ジブチ、ソマリア

 アラブの春でもたらされたその他の影響

 アラブの春での悪影響を受けた国はイスラエルといわれている。革命の後、親イスラエルの体制だったエジプトではパレスチナ問題などのイスラエルとアラブ諸国の対立による反イスラエル感情からかイスラエル大使館への襲撃事件が起きている[97]。 また同時にイスラエル寄りのアメリカへの反発(反米)が膨れ上がっているともいわれている。
この他、パレスチナが9月24日に国連加盟申請を行ったことについて、アラブの春が後押しをしたという考察も出ている[98]。

 

 日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅴ おまけ

2013-10-26 06:35:12 | Weblog
  昨日は「日本っていつから借金が膨らんできたのですか?」
というヤフー知恵袋の回答から転載させてもらったのですが、今日読み返して見るとこの当時は‘「政府は「国の借金600兆円/国民1.2億人=国民一人当たり500万円」でした。

 現在は誰でも知っているように国の借金残高が、6月末時点で1008兆6281億円になった。1000兆円の大台突破は初めて。国民1人当たり792万円となりました。これからもどんどん増加していくことは間違いないと思う。そしていくら首相が財政再建といっても増加はすれども減少させることはありえないと、多くの人は思っているのではないだろうか。つまり打つ手が無いというのが本音ではないか。

 あくまでもこのやり方(国債発行)というやり方は貨幣の交換機能をいじっているだけに過ぎないからだ。これで利益を得ている者、それはせっせと個人の財産を増やしている者が、絶対に国債残高という増加していく怪物に知らん顔をしているからに過ぎない。財産を増やしている個人が真剣に国の借金を考えているなら、増えた分を国に返せばすむことだといえる(新AEの関係参照)しかし絶対にそれはありえない。
 行き着くところまで行く、多くの人達がなかば諦め顔で推移を見守っている、それが現状だといえる。

 なお今回書こうとしているのは「アラブの春はなぜ失敗したのか」という私なりの分析をしてみたい。偏見を持たず真実を書いていく。これが私の文を書く前提だと思っています。ただ今日(土曜)と明日(日曜)は日本ではアラブの春はどう書かれているかという知識集めから出発します。今インターネットで池上彰氏の書かれた記事を見たが彰氏独特の見方で参考にはならなかった。


日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅴ

2013-10-25 07:30:08 | Weblog
  今まで貨幣が持つ交換機能に焦点を当て書いてきたが(まだ書き足りないと思うし、また書くと思う)今度は貨幣が持つ機能の内の保存機能に触れていこう。

 この保存機能は物々交換の時代から続くものであり、原始の時代余剰生産物を他のの余剰品と交換したときから始まった。それは山の民・野の民が持つ採集した果物であったり栗等であったり、または山や野で捕獲した獣肉であったり、それ等余剰品を海や川の民が得た魚または貝等と交換したときから始まった。その中で海や川の民が持つ貝の一種「宝貝」世界最古の貨幣・貝貨 - nifty参照がもっとも珍重とされた物であり、やがてはそれが交換財としての大きなウエイトを占めるようになった。当然世界的にはその他の交換財も数多く存在するが。交換財として使われる物それがそのまたは人にとっての余剰品であり保存されたものである。そこから貨幣の元となる保存機能としての意味付けが始まった。やがて銅が産出されれば銅貨となり「貝」はやがて自然のものから「貝を真似て作られた銅製品」に変化する。 銅製品に変化する事により、大量に安定して「貝」を増やす事が可能となった。
 
 それは、商工業の発展と共に「貝」の絶対量が必要となってきた事も大きな要因でもある。「貝」という価値、銅金属の価値とあいまって、実質的な通貨(現物貨幣) として 流通した。(貨幣の誕生)http://www5d.biglobe.ne.jp/~kosen/sub/profile.html より引用

 やがて時代の流れと共に銅から、より産出量の少ない希少な金属としての金・銀へと貨幣は
変わってきた金・銀は誰でも欲しがったゆえ交換財としては最高の物質と定着していったが、保存ができる物として富者が溜め込みだした、日本でも江戸時代同じ状態が起こっている。そしてさらに時代が流れるとそれまでの金貨という貨幣では一部の富者に保存されてしまうことから市中の通貨不足(交換財の不足)からデフレという不況に見舞われてしまう。

 その当時(現在でも同じだが)はアメリカが機軸通貨という方法で世界の貿易での決済方法としてドルという貨幣を世界に流通させていた。(通貨の金兌換)1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は金と米ドルの兌換が停止され、それ以降は紙に印刷された紙幣が幅を利かせることになった。だがやはり貨幣の持つ保存機能を何とかしようという発想は経済学者にも起こらなかった。そこで唯一の解決方法は国債という市中の貨幣とは切り離された市場での取引となる、国債という金利を付けて印刷した紙切れと交換させる方法だった。このようにやれば市中の貨幣量を一定量に保てると為政者は考えたのである。それが現在わが国の1千兆円という国債残高となってしまった。
 今までの経済学者は経済論を書きながら何をやっていたのかと言わざるを得ない。

 この号の書き込みの終わりに面白い(失礼)投稿があったので掲載します。
huehukidouzi64さん http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1221488842
「日本っていつから借金が膨らんできたのですか?」

「国の借金=国債残高」へのご質問ですよね。
建設公債は昭和40年・佐藤栄作内閣からが始まり、特例公債(赤字国債)は昭和50年・三木武夫内閣からが始まりました。

特に赤字国債が急増したのが平成8年の橋本内閣からで、この時、特例公債法案に「一般会計の歳出の財源に充てるため」と言う屁理屈が明記されたのです。
その後の小渕・森・小泉内閣も膨大な赤字国債を発行し続けたのです。もちろん第一党が数の力で国会を牛耳ってきたのです、毎年。
国債発行残高のグラフは、以下のようにクリックし見てください。
財務省HP「日本の財政を考える」→「財政データ集」→「公債残高の推移」又は「公債発行額の推移」

「この膨らんだ借金を国はどうする予定なのですか?」

政府は「国の借金600兆円/国民1.2億人=国民一人当たり500万円」と宣伝し、要は「借金返済(国債償還)の為に、国民は一人当たり500万円を負担(納税)せよ」と明言しているのです。
もし我々が払わなければ「子孫にツケがまわる」のです。事実、毎年100兆円もの借款債(償還を繰り延ばす為の債券)が発行されていて、ひどい政府です。

貴殿も皆さんも払いますか? 500万円もですよ!
私は絶対に払いませんね。だって政府に借金(国債発行)なんか頼んでないし、国債から何の利益も受けていないのですから!

皆さん!こうなったら政府と対決しましょう! 国民には選挙・投票権があるので、これを行使しましょう。
国債発行の特例法に加担した党・議員への投票はもうやめましょう。ただ選挙制度が崩壊したり、政府が転覆しては国民もこまるので、妥協案です。
「国債・借款債の発行を毎年5%減らしてくれる党・議員に投票する。」
20年経てば国債も借款債も今の1/10に減り、国の借金は確実に減るのです。これには国民の数の力が必要で、皆さんに賛同頂ければありがたいです。
いや、もっと良い案があればお教えください。ーー以上ーー











日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅳ

2013-10-23 06:23:05 | Weblog
  私の手元にある朝日新聞の4月5日の朝刊記事『金持ち天国 タックスヘイブン』を取り上げてみよう。ここまでアラブの春Ⅲの続き
 
 つまり本来の経済の正常なあり方は、各自の労働で作り出した商品を貨幣(お金)を通して交換をする。「新 AEの関係)参照 ただこのように書くと人間が幸せになるため、社会を発展させるためには単なる交換機能だけではなく投資という役割が必要であり、資源開発、新技術の開発、または医療技術を進歩させるためにはより貨幣を必要とする、ぎりぎりの貨幣発行では新しい文明・文化は育たないと私も考えます。
 
 しかし現在の投資をみていると人間社会をより幸せにするということよりも、より利益を得たいために投資をしていると見得てくる。つまりそこには人間社会の幸せより自己の欲望から自己の有り余る(実際は数字の羅列を多くしている)資金を動かしてより利益を上げるということであり。そして金さえあれば政治さえ動かすことができる。それが現在の社会が持つ投資のあり方ではないかといえる。

 そこで4月5日のアサヒ新聞朝刊「金持ち天国 タックスヘイブン」の記事になります。副題として「秘密フアイル入手」となっています。少し記事を引用します。

 カリブ海に浮かぶ島々は、タックスヘイブン(租税回避地)として知られ、節税やマネーロンダリング(資金洗浄)目的の巨額の資金が世界中から流れ込んでいる。ベールに包まれてきた取引。その実態を明らかにする250万もの秘密の電子フアイルが報道機関の手に渡った。その中には、フィリピンの故・マルコス大統領の娘や、ロシア副首相の妻、オリンパス粉飾決算の協力者らの取引記録がある。

   『租税回避 世界から2000兆円』
 英領バージン諸島、ケイマン諸島などに登記された12万を超える数の企業やファンドに関する膨大なファイルを入手したのは、米国ワシントンDCに本拠を置く非営利の報道機関「国債報道ジャーナリスト連合」(ICJC)。朝日新聞を含む各国の報道機関とともに半年以上をかけて分析を進めている。中略 世界中の大金持ちがタックスヘイブンに保有する金融資産の総額は少なくとも21兆ドル(約2千兆円)多くの場合は合法的な国際取引に利用されるが、脱税や粉飾決算、資金洗浄の温室となっているとの批判が根強い。企業情報がほとんど公表されず、カネの流れが見えづらいため、日本や欧米の国税当局も手を焼いているのが実情だ。引用終わり

 ただ私が書くことは脱税の資金がどうのということではない。脱税・マネーロンダリング・粉飾決算で得た闇資金も現在の法律に照らして、悪といわざるを得ないが。多分スイスの銀行にもこれに劣らずお金が積まれているのではないだろうか。それを明らかにするのには世界中の国債残高・負債残高と市場に出回っている貨幣を足し、数字上からどの位のカネが漏れているかと言うことになるが。全てが秘密のベールに包まれている。

 なぜベールに包まなくてはならないのか、これ等の交換機能から外れたマネーがあることで市中の貨幣(お金)が不足し経済が動かなくなる、つまり不況ということになる。このような余分の貨幣を市中に戻せば何も国債を発行しなくても済むのではないか。ここにカネにものを言わせ政治を握っている少数の人達が、現在の政治が擁護している自由の名の元に好き勝手なことをやっていると私には見得てならない。


新 AEの関係

2013-10-22 07:33:25 | Weblog
  今まで書いてきたAEの関係は私自身が不充分であると気が付きましたのでここに加筆し新たに掲載いたします。

 この『A・Eの関係)という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。この関係を理解することでアダム・スミスの『見えざる手』が『見える手』になるかと思います。

 注釈*見えざる手(みえざるて、英: invisible hand)は、アダム・スミスの言葉であり、国富論の第4編第2章に現れる術語であり、古典的自由主義経済における市場仮説を指す。 この言葉は『国富論』では一度しか出てこないが、あまりにも有名である。神の見えざる手(invisible hand of God)という名でも知られるが、『国富論』には「神の」という単語は無い。出典: フリー百科事典『ウィキペディア』

 今回は解り易く貨幣の例として書いていくものです。今まで書いた文章でAEの関係を読み返したとき、不親切さが解りました。AEの関係とはA~Eまでの人物が生産者であり消費者であると言う前提でした。

 そこで例えばAは人が生きるのに必要な主食となる米と野菜の生産者であるとします。Bは鶏等を育て卵と鶏肉の生産者。Cは味噌等調味料の生産者。Dは船を持っていることから漁業に精通した魚類の生産者。Eはパンや麺類の生産者。であるとします。

 このA~Eという関係者の中に1枚の紙幣、例えば千円をAに渡します。
AはBが生産し販売していた商品、卵と鶏肉を千円で購入します。そこにはAが持っていた千円がBに渡ります。Bはその千円でCが生産し販売している味噌等調味料を購入します。最初Aが持っていた千円はBを通してCに渡ったわけです。CはDが生産し販売している魚や蟹等を購入します。そしてDはEが生産し販売しているパンや麺類を千円で購入します。そして最終段階ではEはAが生産し販売している主食となる米や野菜を購入します。

 ここまで来ると最初Aが持っていた千円がまたAの手へ戻ってきたことになります。
これを何回か繰り返せばABCDEとその日に必要とする生活必需品を皆が購入でき満足することができます。ここでは最初の千円があれば五者の生活が成り立つこということです。ただしA~Eの人たちは五人が必要としている商品の生産に、自己の労働を通して商品の生産をしなくてはならないということです。そこには働ける状態があれば失業も無くデフレ・インフレも起こらないということになると言えます。

 これは何を言おうとしているのかといいますと、貨幣は労働で作り出された商品と、はたまた労働で作り出された他人の商品の交換を仲介しているに過ぎないと言うことです。
このことは貨幣の機能としての交換機能に重点を当てて他の機能、保存機能を無視したにすぎません。そしてこの1枚の千円札はいつまでも擦り切れるまでこの五人の中に留まっていることになります。ここでは市中にカネが無くなり国債を発行して新たに千円を投入する必要も無いということです。

 追記 まだ貨幣には違う役割があるということで追記ということで書きます。
AEの関係を読んだ人もなんだ手っ取り早く物々交換にしちゃえばいいじゃないかという人もあるかと思いますが、ご存知のように物々交換にはお互いの製品にお互いがOKを出さなくては成立は不可能です。例えばAさんは肉屋であり、そしてAさんが魚が欲しいと考えたとき、Bさんの魚屋に行き魚と自分の持っている肉とを交換してくれと頼みますがBさんはパンがほしいということでAさんの申し出を断ります。そこで貨幣(お金)を介してBさんが持っている魚を買えばいいことです。Bさんは魚を売ったお金を持ってパン屋に行きパンを買ってくる。ということです。




日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅲ

2013-10-20 07:22:22 | Weblog
  昨日は話を途中で変えてしまったが、経済の根本が間違えていたという話に戻そう。ただそのことを書いたとしても富者は決して譲歩をしないであろう。例えば国債残高を手っ取り早く減らす方法として、投資による利益を上げたとき高率の税金を掛けるとか、富裕層から富裕税として税を取るとか、遺産相続に高額の税を掛けるとか、このようなことをいえば当然猛反対にあうだろうし、根底から資本主義を否定しようとしている。お前はアカではないかと言われるのが落ちとなる。

  しかしこれ等による富者の財産増加、言い換えれば貨幣所持の偏りがやがては市中の貨幣量を減らし経済停滞(貨幣とは何か『新AEの関係参照』)へと結びついていく。そこから為政者は経済を活性化させようとして市中の貨幣量を増やす方法を取る。そこで最終的に金融機関に貯まりだしてきた貨幣と、富者が溜め込んだ貨幣に利息を付け国債に化けさせる。この繰り返しでは国債残高の増加はその都度増えていくことになる。それが現在の状況だといえる。

 そして言えることはこのような繰り返しが国の借金の増加となり、やがてその増加に耐えられなくなり国債価格の暴落となる。そこから紙に印刷された紙幣の信用失墜となり、経済停滞と同時に超物価高(ハイパーインフレ)となって国民生活を脅かす。そのとき多額の貨幣所持をしている者も、その原因をつくったのであるから当然その災難を背負うことになる。

 社会が不況による混乱に陥ったとき、つまり大量の失業者が街にあふれ出したとき、行き場の無い人達がやがてはネット社会の構造の下、各地でデモとなって為政者に対する抗議行動となる。

 決して私が脅しで書いているわけでもなく、またすでにこのようなことを理解している人たちにとってはなんら新しい事を書いているわけでもなく、読む価値もないと断じられてしまうかもしれない。

 ただこのようなことがアラブの春という名の下に北アフリカ、中東諸国で起こった一連の民主化運動の元であり、やがては不満が堆積した国、どのような国で起こったとしても不思議ではない。その原因を作っているのが貨幣所持の偏り(貨幣とは何か『AEの関係参照』)でしかない。そしてその偏りを是正する勇気がより多くを所持している人達にとっては法で守られている財産権の侵害でしかないと決して譲歩しようとはしないであろう。

 アラブの春という名の下にエジプト等が混乱に陥った。そして対岸の火事を見物するがごとく混乱は政治の未熟から来るものだと論評している。しかしご存知のように1千兆円を超えた借金を持っているわが国で起きたとしたら政治の先進国?であるわが国は完全に対処できると考えているのだろうか。またアメリカも国債残高が16兆ドル(日本円にして1600兆円弱)の債務を抱えご存知のように枠を設けそれ以上増やさないと取り決めをしたが、結局その枠を再度広げることになった。

 私が書くまでもなくその金が国債に化けさせないで発行された紙幣だとしたら、そしてその紙幣が市中に出回ったとしたら、超超超インフレになっている。それらをうまく処理しているのが国債という一枚の紙切れに変えている事でしかない。でも印刷すればいくらでも発行できる紙幣に換算すれば膨大な量の紙幣、それ等は誰の手に渡っているのだろうか。

 私の手元にある朝日新聞の4月5日の朝刊記事『金持ち天国 タックスヘイブン』を次回取り上げてみよう。
 

日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅱ

2013-10-18 06:30:32 | Weblog

   『経済の考え方の根本が間違えているからでしかない。』

 昨日のブログの中でこのように書いたが。またこのように書くとき21世紀に生きている人達が人間の歴史始まってこの方、(狩猟採集経済社会を除いて)国によってエジプトのように長い年月を持つ国もあるが、人は貨幣に対し強者からのマインドコントロールをされてきたものといえる。

 それは貨幣とはこのようなものだと強者の力によっての押さえつけであり、または教育によってであり、労働とは貨幣によって売り買いができるものである等と、何の不思議さも感じさせず、無意識的に人の頭脳へと刷り込ませてきた。

 それは経済の中に占める貨幣の意味を原初から21世紀の現代社会まで継続させてきたのが今の状況であるといえる。
 
 キリストも不平等社会に気が付いた一人といえる、ただそれをその当時の思想から神に結び付けてしまった。貧者の救いはこの世ではなく来世という天国で幸せが得られる、その代わり富者はラクダが針の穴を通るよりも難しい(はたしてキリスト自身の言葉かは失念)この考えは富者にとっては最高の思想といえる、そして現在でもこの思想はキリスト教を信じている社会では優位性を保ち、不平等・経済的格差の原因を作っている根本の考え方だと言える。ただ富者はお目こぼし的寄付という行為で来世も現世と同じように天国で幸せが得られると考えている。根本には貨幣が持つ考え方を捻じ曲げて現代の社会まで継続させてきた証だといえる。

 そしてマルクスはやはり人間社会の不平等、この時代では資本を持っている側とただ労働を売る側という視点からこの状態を解消するには労働者自身の国を作ること。いわゆる共産主義国家を建設するという思想に傾注した。ただ言えることはマルクス主義という思想、そしてその活動が無かったら言論の自由・表現の自由もおぼつかない状態が現在でも継続していたといえる。決して富者は進んで民主主義、言論の自由を取り入れようとはしないだろう。マルクス主義があったからこそ、民主主義とは何か、言論・表現の自由とは何かという知識が一般化されて来た時代であるからこそ、私自身もこのような文章を書ける自由が与えられていると感じる。

 そして不遜にも私はキリスト及びマルクスは間違っていた、つまり偉大な過去の両者は不平等の根源が何かをみていなかったということになる。

 話が変わって、アメリカでの債務(借金)上限問題の引き上げが17日米上院で可決され、下院でも可決となり、後はオバマ大統領の署名を待つだけとなったという。おそらく経済を少しでもかじったことがある人なら当然こういう結果になると考えていたのではないか。

 なぜなら債務不履行(デフォルト)ということになれば今まで国債を大量に発行し現在の社会まで持ちこたえてきたものが一瞬のうちに崩壊してしまうことになる。この先何回かこのようなことが起きるかも知れないが当然の結果として国債残高の積み上げという先送りで崖っぷちに歩を進めていくことになる。

 国債発行という飴玉がやがてはそれが毒薬入りだと人が気が付いたときまで、何回もその飴玉をしゃぶらせることとなる。つまり現状の国債発行残高は積み上がりこそすれ、決して減少させることはできないと言える。それは経済浮揚と国債発行はどちらも切り離すことができないからであり、国の借金体質を変えようと財政再建に取り掛かれば景気はダウンしていく。景気がダウンしたとき富者にとってはそれほど響かないことだろうが、多くの国民にとっては不況は死活問題に直結していく。

 資本主義=それは現在の状況を観ていると崩壊直前まで来ている姿なのではないかと私には観える。

 このことではどのような政党がやったとしても多くの国民を苦しませてしまうだけである。根本を変えない限り…
 

日本版アラブの春はあるのだろうか

2013-10-16 08:45:59 | Weblog
 昨日のタイトル何か解りづらいのでタイトルを変えて見ました。
 
 2010年12月17日、チュニジアで26歳の青年が警察に抗議し、焼身自殺をはかり死亡したことから青年の失業率(25~30㌫)の高さの不満から大学卒業後も就職できない若者を中心としたデモが各地で広がり結果としてチュニジア政権が崩壊した(ジャスミン革命)そしてその後各国にその波は広がり呼び名も「アラブの春」という言い方が定着してしまった。
 アラブの春というタイトル自体日本人には春という言葉では、春一番という風を連想させ、吹くという表現が一番似合うのではないかと私も考えてしまった。アラブの春が経済の停滞から失業率の増大という国中に広まるやりきれない思い。やがてはデモとなり
国中をデモの渦に巻き込んでいった。その民衆の力は政権を倒し新しい国づくりを始めようとする力となっていく。だが現在のところ成功したという例は見当たらない。

 それに対し多くの評論は『「アラブの春」以降の中東諸国、成熟途上の政治風土が混乱招く』 http://www.afpbb.com/articles/-/2965539?pid=11279386  

 『アラブの春は失敗に終わったのか?』JPプレスhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38223 

 火事場の見物的に評論をしている。その中でも政治風土の未熟というとき、日本では政治風土は完成しているという立場からの評論なのかと考えさせられてしまう。

 日本を含めアメリカ、ヨーロッパの先進諸国においても主権在民つまり真の民主主義国家とはいえない。なぜなら格差が逆に拡大している、その結果政権を取った政党も何とかして経済を活性化して失業率増大から来る不満、低賃金から来る不満、日本ではそれほどの物価高という面での不満は今のところ無いが、やがてはその不満が出てきてしまうだろう。

 現在の自民党政権が、何とかしようという気持ちはわかる。その結果国債という借金を増大させていることはその政党人ですら解っているといっても過言ではないだろう。うまくオリンピックを誘致し、そのインフラ整備で当面の経済活性化を波及効果も含め好調な期間を長引かせることはできたとしても、その宴(うたげ)が終わったとき残ったのは経済の停滞と国債増大からそれ以上の国債を発行できないというジレンマに落ち込んでしまうだろう。

 なぜなら経済の考え方の根本が間違えているからでしかない。国債残高が1000兆円ではどうしょうもないと言えるのではないか、これがせめて100兆円の残高だったら、しかしありえない。国民の不満が吹き上がり国がアラブの春並みにデモが頻発することを政治家が恐れるあまり経済を活性させるために国債を増刷させてしまったのだ。

 今の現状を税制で乗り切れるものではない。いくら税金収入を国家が得たとしてもその反面消費経済の落ち込みから、かえって税収がマイナスとなり経済が停滞し国民の不満が増大してしまい、この日本においてもデモが多発してしまうだろう。そしてそこにはけ口を見いだした弱者が交通機関への飛び込み自殺よりも政治を変えれば何とかなるだろうと一抹の希望を持ち生きていく道を選ぶと考える。そこにアラブの春が日本にも上陸してしまう。