今回からは保存機能について書いていきたいがその前になぜ失敗したのかのタイトルの理由が抜けていたので私なりの失敗の理由を書いてみたい。
もし一言でアラブの春を言うならばデモにより政権を覆すことができた、その行動はこれからの人間社会を考えていくうえで大きな意味を持っている。今までは民主主義と言うものは選挙で選ばれたものが社会の代表となりリードしていく、しかしその選挙は日本によらず世界的にも利権構造の上に成り立っていたといっても過言ではないだろう。日本では幅を利かすのが地盤・看板・カバンという・三バンから成り立っていた。そして方や野党としては資金的にも大きな組織に立ち向かうことができなかった。
そこにチュニジアから始まった国民の不満はエジプト、リビア、イエメン、と政権を倒して行った。そして多くの国に変化をもたらした。だがそこで言えることは成功したといえる国がないことだ、シリアのように内戦状態となっている国もあり、世界中に民主主義への熱狂を発信した「アラブの春」のエジプトで30年弱大統領を務めたホスニー・ムバラクがその地位から引きずりおろされた。
そして2年半、エジプトの地は再び混沌たる世界と化している。初の民選大統領となったムハンマド・ムルシ大統領が就任からわずか1年で、反政府デモから発展した混乱が軍の介入を招き、大統領職を剥奪されたのである。さらに元大統領のムバラクは現在でも軍を背景に隠然たる力を持っている。
しかしアラブの春は表面的には失敗と見えるだろうが、国民の絶大なる力を背景とし社会を変えたいと気持ちで多くの大衆が集まりデモをやり、ある時期は政権を倒すことができたという意義は大きい。
だが理想とする政治を行う組織を作ることはできなかった。そして多くの大衆の血が流れた。また現在でもシリアのように流血は起こっている。その意味では人の血を流したということでは失敗だったのではということができる。
なぜ両派に別れ武器を持った戦いになってしまったのだろうか。私なりに一言で言うとすれば、新しい国造りという視点が欠けていたと言うことに尽きる。
その視点とは多くの人達が賛同するものでなくてはならない、それが欠けていた、その結果アラブの春はこれからの道を示しながらも現在の観点からは失敗したと言える。
全ての人々を一点に集約できる論理を考えなくてはならない。その論理で進んだとき新しい人間社会が創れるのではないだろうか。そのとき「アラブの春」は方法論という面では成功だったと言える。
もし一言でアラブの春を言うならばデモにより政権を覆すことができた、その行動はこれからの人間社会を考えていくうえで大きな意味を持っている。今までは民主主義と言うものは選挙で選ばれたものが社会の代表となりリードしていく、しかしその選挙は日本によらず世界的にも利権構造の上に成り立っていたといっても過言ではないだろう。日本では幅を利かすのが地盤・看板・カバンという・三バンから成り立っていた。そして方や野党としては資金的にも大きな組織に立ち向かうことができなかった。
そこにチュニジアから始まった国民の不満はエジプト、リビア、イエメン、と政権を倒して行った。そして多くの国に変化をもたらした。だがそこで言えることは成功したといえる国がないことだ、シリアのように内戦状態となっている国もあり、世界中に民主主義への熱狂を発信した「アラブの春」のエジプトで30年弱大統領を務めたホスニー・ムバラクがその地位から引きずりおろされた。
そして2年半、エジプトの地は再び混沌たる世界と化している。初の民選大統領となったムハンマド・ムルシ大統領が就任からわずか1年で、反政府デモから発展した混乱が軍の介入を招き、大統領職を剥奪されたのである。さらに元大統領のムバラクは現在でも軍を背景に隠然たる力を持っている。
しかしアラブの春は表面的には失敗と見えるだろうが、国民の絶大なる力を背景とし社会を変えたいと気持ちで多くの大衆が集まりデモをやり、ある時期は政権を倒すことができたという意義は大きい。
だが理想とする政治を行う組織を作ることはできなかった。そして多くの大衆の血が流れた。また現在でもシリアのように流血は起こっている。その意味では人の血を流したということでは失敗だったのではということができる。
なぜ両派に別れ武器を持った戦いになってしまったのだろうか。私なりに一言で言うとすれば、新しい国造りという視点が欠けていたと言うことに尽きる。
その視点とは多くの人達が賛同するものでなくてはならない、それが欠けていた、その結果アラブの春はこれからの道を示しながらも現在の観点からは失敗したと言える。
全ての人々を一点に集約できる論理を考えなくてはならない。その論理で進んだとき新しい人間社会が創れるのではないだろうか。そのとき「アラブの春」は方法論という面では成功だったと言える。