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京の歴史がわかる
京都の歴史 その壱百参拾
因幡堂の近辺に居住した多くの都市住民は、
商業や交易で次第に富を蓄えはじめた新興勢力の住民でした。
そうした彼らが、
橘 行平 の豊かな財力をもらった受領としての姿と重ね合わせながら、
その霊夢と寄端を借りて、
現世的な財力と健康を祈る仏として祀りはじめた、
というのが真相ではないのかと言われています。
『 町衆 』が守り続けた堂
因幡堂は、現在も町の真ん中、住居が立ち並ぶ一面にある。
建物は何度も何度も燃えたり壊されたりしながら、
創建以来の本尊を現在まで伝えたのは、
周辺に居住した都市住民たちの信仰と努力の賜物によるところが大きい。
応永二十五年 ( 1418 ) 園城寺の僧兵たちが
因幡堂を襲撃するという噂が立ったことがあるが、
その時因幡堂近辺の「 町人等 」は、
室町幕府の侍所の勢力と共に大勢で、
昼夜を問わず 因幡堂を警護したという話が伝わっています。
また、
現在の薬師如来像が納められている厨子の背後には、
滑車が取り付けられ、縄が通されています。
これは火災などの緊急事態に像を直ぐに運び出せるようにしたもののようです。
緊急時の度に難を避けながら、
本尊を現在までに伝えてきた都市住民と 町堂 との結びつきの強さに、
今さらながら改めて感心させられます。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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