日日の幻燈

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【note】美味なる馬刺しを求めて松本へ(6)-文明開化の薫り高き旧開智学校-

2017-09-23 | 日日の幻燈

【6】9月10日(日)旧開智学校校舎

【旧開智学校校舎1】


馬刺し旅行最後の目的地は、松本城から歩いて10~15分、旧開智学校校舎(重要文化財)です。松本へ行くんだったら、絶対に連れて行ってくれ~と、私が強く希望した開智学校。長野県民にその名は轟けど(小学校の頃からもちろん知っていました)、実際に見るのは初めてです。見学料は300円。

ところで、開智学校って何ぞや?って方。
長野県民以外にはあんまり知られていないかも。

開智学校は松本藩の藩校の流れを汲む学校で、学制発布の翌年、1873(明治6)年5月に開校。当初の校舎は廃仏毀釈で廃寺となったお寺を使用していましたが、1876(明治9)年に、この擬洋風(和風と洋風画混ざり合った建築)の校舎が完成しました。
もともとは市内の別の地に建っていましたが、昭和38年から翌年にかけて、現在地へ移築・復元されたとのこと。建築史上貴重な遺構として、1961(昭和36)年に重要文化財に指定されています。

【旧開智学校校舎2】


それにしても、学校というより貴族の洋館といった外観。明治の初期、こんな建物がいきなり出来たら、そりゃ、松本の人々もビックリだったでしょうね。しかも学校。
学校?なんじゃそりゃ?寺小屋の大きくしたようなもんか?
近代国家の礎を築こうとした明治政府と庶民のギャップが、なかったわけないと思うのです。ちょっと可笑しい(あ、政府は大真面目だったでしょうから、笑っちゃいけませんね)。
こんなオシャレな学校に通っていたのは、袴姿のキリっとしたハイカラさん?う~ん、実際は近所の鼻たれ小僧や、幼い弟や妹をおんぶした女の子たちだったようです。

【旧開智学校校舎3・内部】


内部は資料館として開放されています。昔の教室が再現されている部屋も。そういえば、自分の小学校も木造校舎だったのでこんな雰囲気でした。なんだか懐かしい光景。自分の小学校は壁まで木造で、床や壁から隙間風が入ってきましたが…。

【旧開智学校校舎4・内部】


階段の踊り場から2階をパチリ。学校というより、ほんと、貴族の館かホテルって感じです。
この立派な校舎で学んだ効果がいかんなく発揮されたからなのかどうか、長野県は長らく教育県としてその名を高めてきました。現在はどうなんでしょうね?

【旧開智学校校舎5・照明】


廊下の照明もオシャレ。明治の初期、学校も政府の文明開化政策の一環として重要な位置を占めていたのでしょう。諸外国へのアピールもしなければいけなかったでしょうし。明治天皇もここへ行幸されたそうです。正面玄関を入ってすぐのこの照明がその当時のものなら、そりゃ、こういった小道具(?)ひとつにも凝りますよね。


尚、隣には現役の開智小学校があります。校舎も旧校舎をモダンにアレンジした感じ。明治から脈々とその流れは続いているのでした。


そんなわけで、2日間に渡る馬刺し旅行も終了。
帰りは中央道をひたすら東京を目指しましたが、途中で渋滞に遭遇、やむなく下道へ。夕方、無事帰宅しました。
松本、ほんと、綺麗になっていました。私の30年前の印象とは大違い。市街をゆっくりと散策す時間はなかったので、いつか機会があれば…と思いました。


-馬刺し旅行・完-


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